自力で転移したら【接続】の異能で世界最強に

吹雪 リオ

第一章

1話 異世界に逃げる

――その日は雨だった。




 朝、まだ雨は弱かった。目が覚めた僕は何故だか無性に雨が気になり、カーテンを開けて窓の外を眺める。だが理由はわからず時間だけが無作為むさくいに過ぎていく。


 その日は僕の誕生日で、八歳になった。しかしいつもと変わらない日常。

 ここ三年は誕生日などないかのように一日が過ぎる。祝ってほしくないと言えば嘘になるが、やはり必要ない。酷い結果になるのは目に見えているから。それこそお通夜のような空気となるに違いない。

 気まずいわけじゃない。むしろ警戒と呼ぶべきものだ。家族を敵として警戒している時点で家族とは到底思えないが。


「おにぃちゃ……おはよぉ」

「ははっ、おはよう」


 まぶたこすって起きてくるこの子が、僕の妹。最愛にして唯一心を許せる妹だ。実はこの子は天使なのかもしれない。


 昼が過ぎて、雨はまだ降り止まない。雨が気になりながら机に向かって今日も日記をつけていく。




 僕が日記を書き始めてちょうど五年が経った。最初につけ始めたのは三歳のときだ。その時はまだ家族が笑顔で祝ってくれて、貰ったプレゼントの中身が日記帳だった。幼子ながらに喜んだ。嬉しくて毎日寝る前にその日の出来事を日記に残していった。積もりに積もって五年分、足りない分のページは僕が継ぎ足していった。


 日記を読み返せばわかる。この五年で随分と家族は変わってしまった。父も母も、一つ下の弟と行動するようになり、僕と妹には見向きもしなくなった。家は屋敷ほどの広さで使用人も何人かいるため、食事に困ることはなかったが、それ以外では干渉してこなかった。


 僕には妹がいたため、単なる育児放棄なら相互不干渉と割り切るつもりだった。妹は幸い、僕を一番に慕ってくれていたため生活に不満を感じている様子はなかった。


 とはいえ、僕も妹も親の愛を欲しがる年頃でもある。それを受けられないとなると、年子である妹は、一つしか違わないとはいえ、兄である僕に依存していった。かくいう僕も、妹を優先に物事を考えるようになり、気付けば同じ部屋で寝食を共にするようになっていた。


 僕だけを頼って僕だけに笑顔を見せる。そんな妹が大好きだった。環境が人を変えるとはよく言ったもので、僕は妹に愛情に似た感情をも抱いていた。


 違和感に気づいたのは四歳の頃だった。その日は、何故か異常に体調が悪かった。病気の類かと思いつつも、妹に迷惑をかけないよう常日頃から予防を心掛けている僕としては、おかしなことだと思った。


 それから三年間。時々、同じような症状で苦しみながらも耐え続けていたそんなある日。起き抜けに吐き気がしてトイレに急いで向かおうとすると、自室の物の配置が少し変わっている気がついた。戻って妹に確認するも違うという。よく部屋を観察すると、床のカーペットに薄く足跡が残っていた。大人の足跡だ。


 僕の体調不良が人為的なものだとしたら、この家にいるだけで危険だと思った。


 だから僕は計画を立てた。

 妹を連れて家を出る。

 実は僕たちにとって家の外は未知の世界だった。生まれてこの方、庭より外に出たことがない僕たちは、外の世界に憧れて想像を語り合うのが日課だった。

 家族との決別、不思議と僕たちは何とも思わなかった。


 そして八歳の誕生日であるこの日、計画を実行する。

 これまでひそかに進めてきた準備がこうそうし、外で生きていく準備は最大限整っていた。あとは最愛の妹を連れていけるかどうか。ないとは思うが、連れていけないと判断したその時は、家を出ることは諦める。最愛の妹を一人にはしていけないから。


 まあ、僕としては妹とさえいられればどこにいたっていい。この家で妹を守っていく覚悟もあった。しかし僕の胸中には嫌な不安が渦巻うずまいていた。そしてそういうときほど嫌な予感は、いやおうにも当たってしまうのだ。


「おにぃちゃ……!」

「えっ……」


 ゴンッ――。


 後頭部に強い衝撃が走る。世界がスローモーションになっていく中、前のめりに倒れていく僕は見た。

 目の前には恐怖に顔を歪めた妹がいる。そしてその瞳に反射する僕の背後の人間。鈍器を持った父と、その横に控える母と弟。よりにもよってこのタイミングで何かしてくるとは、完全に予想外だった。


 妹を守らなきゃ。何が何でも、この身がちようとも、必ず守って見せる。そう決意を固めた僕の体が床に倒れると同時、意識も落ちていった。




「お…ぃ…………んて、……じ………い……だ」


 誰かの声に、意識が戻る。

 辺りは既に夜。気付くと僕は森の中を一人で歩いていた。


「どこだ、ここ……うっ!」


 胸が痛む。よく見れば爪が深く食い込んでいる。けれど、痛いのはそれだけじゃない。もっと胸の奥にある、触れることの出来ない何かが、とても痛い。心だ……心が痛いんだ。銃弾で貫いたかのようにぽっかり空いた心の奥底から『悲しみ』や『絶望』といった負の感情がき上がってくる。


 何が起きているのか。昼に日記を書いていたはずの僕が何故なぜこんなところに。現在に至るまでの数時間の記憶がない。妹はどうした。計画はどうする。

 そんな疑問と焦りが胸中を入り乱れるなか、ふとあるものに視線が向く。


 雨が、また強くなっている。


 黒々とした曇天どんてんが空を覆い、色を落とした世界に流れる雨は、何かを洗い流すように強く降り注いでいる。

 ただの自然現象に過ぎない雨に意味などないはずだが、生憎あいにくと僕には普通の雨には見えない。もし意味があるとすればそれはきっと、途方もない『悲しみ』の現れだと思う。


 僕の『悲しみ』と雨の『悲しみ』。溶けるように混ざり合っていくならば、この穴の空いた心も少しは満たされるのだろうか。

 どしゃぶりの雨の中、一人森を歩く僕は、傷だらけの身体で歩いていた。




◆◆◆




ーー雨には目があった。


 雨は全てを見ていた。

 ゆえに雨は全てを知っている。


 少年の予定が崩れたことも、しかし図らずも予定の道を進んでいることも。

 少年が何をされ、何をしたかも。

 心が痛む理由も。その正体も。

 妹に何があったのかも。


 少年に触れた雨だけが、少年を知っていた。




◆◆◆




「お…ぃ…ゃん…んて、……じ…え…い……だ」


 頭に声が響く。何を言っているのか、はっきりはわからない。けど、この声が聞こえるたびに痛い。胸が痛い。心が張り裂けそうだ……。

 そんな僕の思いを知ってか知らずか、雨は一層勢いを増す。


 まるで泣いているようだ。

 ただの自然現象である雨が何をこうもなげいているのか、僕には不思議とわかる。まるで何か見えない糸で繋がっているように、手に取るようにわかる。


 感情は心だ。生きとし生けるすべての生命が持つ唯一不変のことわり。人が心を失ったら、それはもはや人ではなく、ただの人形だ。

 人形に魂は宿らない。空っぽの器に、魂は色を、形を失っていく。あとに残るのは動かなくなった人の形をした何かだけ。

 そんな末路に、僕が近づいてしまったから、この雨を降らせている何かも、心を痛めているのだ。


 感情を失ったものは、やがて人形と化す。

 僕の感情、心。それは僕だけが持つ僕だけの理。

 わかってきた。数時間前からの記憶はないけど、雨が少しだけ教えてくれる。


 そうだ、僕は逃げているんだ。妹から。僕が耐えられなかったから。僕にとって唯一無二の存在である妹が、唯一僕に絶望を与えられる人間だから。だから僕はこうして逃げている。

 最低だ。僕は妹のために在ろうと密かに誓っていた。にも拘らず、妹から逃げて。受けた絶望は記憶もろとも忘れ去る。

 結局、僕は自分のことを選んでしまったと言うわけだ。

 もう戻れない。僕がここにいるということは、失くした記憶の中で、妹との決別を選んだということ。

 ならば僕は先に進もう。




「おにぃ…ゃんなんて、……じ…え…いい…だ」


 一寸先は闇の中。雨でぬかるんだ泥道を歩き続けて幾何いくばくかの時を経て辿り着いた。家の裏山を超えた先の森に佇む一軒の廃墟。コンクリート造りで、何時からあるのかは知らないが、ところどころ風化して剥がれ落ちている。

 僕は迷わず中へと入って行き、一つの部屋に向かう。一度の下見で発見した、唯一天窓がある部屋。

 何を目的に作られたかはわからない。けれど、何か特別な部屋だったのだと思う。


 ここが人生の分岐点だ。


 僕は最愛の妹を置いて逃げる。

 僕はここで、僕という存在を形作る心の一片いっぺんを賭けて願いを叶える。心を失った人間の末路を知りながら、それでも僕は逃げることを選んでしまったから、少しだけ僕は僕の理を捨てて自然の理を再現する。


 昔に一度だけ見たことのある現象。それが神隠しの正体だと気付くのにそう時間はかからなかった。

 その現象はまさに摩訶まか不思議。一見すると周囲の景色は変わらないのに僅かに空気だけが変化する。僕は当時、その変化を如実にょじつに感じ取っていた。まるでそこが似ているだけの全く別な場所であるかのような感覚を。


 そこには人がいた。言葉の通じない女性が、赤子を背負って困っていた。その人たちはその後、空気が戻ると同時に消えた。

 これを見て僕は一つの仮説を立てた。

 この現象は、全く異なる二つの地点を同一環境として座標位置を重ねているのだと。だから同じ場所に見えても、実際には別の場所でもあるから空気が変わる。これは時間がてば元の状態に戻るが、僕が体験したあの時、人が突然現れて現象が終わると同時に人は消えた。つまり、僕のいた場所からあの人のいる場所へ、移動することが出来るはずだ。

 普通に考えればあり得ない現象だ。

 普通に考えれば出来るはずがない。

 しかし僕にはできる。僕だけが出来る。

 何故ならば、僕は人にはない力を持っているから。そして今は、その力が無尽蔵むじんぞうに溢れてくる。


 これならば、転移が出来る。

 しかしそれではダメだ。逃げるなら妹がたどり着けない場所へ。

 場所と場所が繋がるなら、いっそのこと異世界に繋がらないだろうか。


 前に見た都市伝説で、パラレルワールドや未来人の存在が示唆しさされていた。

 次元を巻き込み時空すら超える現象が本当にあったとして、僕の持つ人知を超えた力で可能なのか。確率が高いはずないし上手くいく保証もない。けれど試す価値はある。

 ここで得られる結果は二つに一つ。

 失敗して全てを思い出して心が死ぬか。はたまた成功して過去から逃げるか。

 成功パターンが最低なのは自覚している。

 しかし僕はまだ八歳だ。もう少し生きてもいいと思う。

 だから僕は人知を超えた尋常ならざる力を使う。




「接続」




◆◆◆




 雨は全てを見ていた。

 光に包まれた一人の少年が、その場から消え去ってしまったところを。

 そして役目を終えたと言わんばかりに、雨は降り止んだ。




◆◆◆




 光に包まれて意識が朦朧もうろうとする中、ずっと途切れ途切れに聞こえていた誰かの声がはっきり聞こえた気がした。


「おにぃちゃんなんて、死んじゃえばいいんだ」

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