4-2
9月に入り、2学期になった。推薦試験の出願資格を満たすかどうかの発表が始業式になされた。僕は無事に出願できることになった。蘭には資格は与えられなかった。蘭は変わらず友人と仲良くしていたけれど、蘭が答えようとしないので、みんな彼女の進路について尋ねようとはしなくなった。
みんなの出願も終わり、あとは結果を待つだけになった頃のことだった。
いつも通り挨拶をして、朝のチャイムが鳴って、朝礼が始まろうとしていた。週番の起立、の声に合わせて全員が立つ。
……と、視界の右で何かが動いた。
僕は咄嗟に右後ろに歩み出て、倒れてくるものを支えた。蘭だった。数名の女子が、ひゃあ、っと小さく叫んだ。
「蘭?」
応答がなかったので、支えながら軽く肩を叩いた。
「らーん、どうした? 蘭?」
やっと徐々に目が開き始めた。目を開ききると、すぐにハッとした顔つきになった。
「ご、ごめん響也……!」
「上島さん、大丈夫?貧血かな?」
「あぁ先生……すみません。お水、飲んでもいいですか?」
「うん。ゆっくり座って、飲んで。平野くん、ありがとうね」
朝礼はすぐに終わったけれど、僕は隣で水を飲む蘭がとても心配だった。
「蘭、朝ごはん食べた?」
「あー……今日は寝坊したから、サラダだけだ……」
「ん」
僕はお弁当袋の中からおにぎりを1つ差し出した。小さく切った生姜焼きが中に入っている。僕のお気に入りで久々に伯母が作ってくれたけど、今日は蘭に渡すべきだと思った。
「え……?」
「休み時間、あと少ししかないよ。今のうちにしっかり食べときな」
「響也、いいの?」
「んー正直言うとめちゃめちゃ大好きな具だから良くないけど、また蘭が倒れる方が良くない」
そんな大好物くれるの?! と蘭は吹き出した。随分と血色が戻り、笑顔が見られて良かった。半分あげようか? と言う蘭に、早く全部食べなって! と促した。あいがと、ともぐもぐしながら僕に伝えるその姿は、施設で暮らす小さな子ども達のようで可愛らしかった。
「響也くん、今日のおにぎり、リクエストに応えたよ! どうだった?」
帰宅すると、エプロンで手を拭きながら伯母が玄関までやって来た。僕は食べられなかったけれど、蘭のあの笑顔を見られた。きっといつも以上に美味しかったのだろう。
「すんごい美味しかった! また明日も食べたいくらい」
えー、明日も?! 本当好きだなぁ生姜焼きおにぎり! と伯母は笑っていた。
翌日、僕は今度こそ大好きなおにぎりを食べられたのだった。
顔が驚くくらい白くなって倒れたのは、あの時が最初で最後だったけれど、蘭は体調の優れない日が多くなっていった。表情に僅かに翳りが差したり、体育の時に顔つきが歪んだりすることが増えた。些細な変化ではあったけれど、僕には分かった。分かってしまった。
だから僕はある日、「今日、暇?」と蘭に尋ねたのだった。
僕達は屋上に着いた。僕の制服を着心地悪いものにしていた湿っぽい風は、いつの間にか秋らしい風に変わっていた。屋上には僕達しかいなかった。
「蘭。最近、どうした?」
「ん、どうしたって、何が?」
「最近ちょっと変だよ?……体調、あまり良くないんだろ?」
「それは、まあ寝坊が増えたというか……」
蘭は僕より少し早めに学校に着いていることが多かった。見え透いた嘘だった。
「なんで嘘つくの?」
すぐにバレたことが分かったみたいで、蘭は途端に慌てた。
「う、嘘じゃないって」
「嘘だよ。何でそんな分かりきった嘘つくんだよ……何隠してんの?」
「何も隠してないって! ねえ、響也こそ変だよ? 急に何なの……?」
頑なに嘘をつく蘭に苛々した。というか、なぜこのタイミングで蘭が嘘をつくのか本当に分からなくて、相当困惑していた。
「本当に隠してないって言えんの?……じゃあ、何で記憶がないの? 何であの施設にいるの? どこから来たの? 何でここに通ってるの? 本当は卒業したらどうするの? 何であんなに勉強できるの? 家族はどうしているの? 全部分かんないんだよ、蘭のこと、本当に少ししか知らないんだよ、こんなに分からないことがあるのに、隠してないなんて言えるのかよ。こっちは心配してるのに、話してもくれない」
「隠したいわけじゃなく、って……本当にっ、分かんなくてっ……!」
蘭の目が潤み始めた。
本当は、大事なサインだったのに。きっと僕にしか、見せない涙のはずだったのに。
「泣けば嘘ついたのも許されると思ってる? もうそんな子どもじゃないだろ。施設の中でも蘭は大人だろ? 甘ったれるなよ」
「ううっ……んっ……」
蘭の嗚咽が止まないことに、もっと苛々した。
ずっと気にしているのに。心配しすぎて、心が悲鳴を上げそうなのに。ずっと想っているのに。
何で素直にSOSを出してくれないんだろう。原因が分かれば、対処できるじゃないか。施設に連れて行ってくれたのは、僕を信頼してくれたからでしょう?2人の秘密、きちんと守っているのに。なぜ、これ以上大切なことは何も教えてくれないんだよ。
「話したくないならいいよ。1人で泣いてろよ。隠す人間は信用できない」
僕はそう捨て台詞を言い放って、屋上を後にしてしまった。
家に帰ってからすごくすごく後悔したけれど、もうどうすることもできなかった。
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