第45話
過ぎ去る景色は名古屋を離れるにつれて田園風景が多くなる。停車駅をいつくか過ぎるとそれすら見えなくなり、列車は山あいの中を進んでいく。
「そろそろ長野県に入ったみたいだけど、見覚えある風景?」
「全然ですね。うちは車ばっかりで電車で旅行に行くことはあんまりなかったので。でも松本まで行けば結構懐かしさがあると思います」
「えーと、松本までは……」
スマホの乗換案内アプリを開いた。アプリの時刻表には『松本 十一時〇四分着』と表示されている。
「あと三十分くらいか……」
僕は外を見た。相変わらず車窓は緑尽くしだ。まだ三十分もこの景色が変わらないのは退屈だ。
「野宮、そろそろ着いたら何するか教えてくれよ」
退屈しのぎに野宮に話しかけると、彼女も「そうですね。そろそろいいでしょう」と振り返った。
タイミングを計っていた風を装っているけど、野宮も絶対車窓に飽きたに違いない。だって、さっきから窓の外は草と木ばかりなのだから。
「私が地元でする〈やりたいこと〉は二つだけです」
そう言うと野宮は数えるように人差し指を立てた。
「一つは『幼馴染に会いに行く』です。家の近所に住んでいた男の子で引っ越す前までは仲良くしてたんです。彼が今どうしているのか見てみたいです」
続いて中指も出してⅤマークを作った。
「もう一つは『タイムカプセルを掘り起こす』です。私が引っ越す一年前にクラスで埋めたタイムカプセルがあるんですが、それを一足先に掘り起こしたいんです」
電車が松本駅に着くと、次は鈍行に乗り換えた。目的地はもうすぐだ。
「あーっ、この辺の景色は覚えてます! 懐かしい!」
鈍行列車の車窓に野宮のテンションを高くした。二両編成の列車は乗客が少なく、ボックス席に向かい合って座った。列車はコトコトと田園地帯を行く。視界を遮るビルやせわしなく行きかう人の姿はない。僕の地元も畑や田んぼはたくさんあるが、遠く向こう側まで続く田んぼの風景は新鮮だった。
野宮の地元の最寄り駅に到着したのはお昼前だった。駅を出ると一番はじめに目に飛び込んできたのは正面にそびえる山々だ。まるでこの町にやってきた人を出迎えるように鎮座するそれらは深い緑に覆われ僕らを見下ろしている。
駅前には小さなロータリーがあってその周辺には民家と何を売っているのかよく分からない個人商店が建っていた。
ロータリーにつながる道は左右と正面にまっすぐ伸びている。正面に延びる道は左右に延びるものより大きく奥にそびえる山の方に続いていた。
「いやぁー、意外と時間が掛かったな。もうお昼だ。朝早く出てきて正解だったな。時間もないし、早速始めるか。幼馴染とタイムカプセルどっちから行く?」
「タイムカプセルは校庭に埋まってますから、忍び込みやすくなる夜の方がいいでしょう。なので先に幼馴染に会いに行きます」
「よし幼馴染だな」
駅を離れて十数分歩いた先に野宮が住んでいた住宅街があるという。野宮は勝手知ったるという風に足取り軽く道をたどり始めた。
「その幼馴染はどんな奴だったの?」
野宮は「そうですねぇ」と顎に手を添えた。
「彼は弟みたいな存在でした。実際は同い年だったんですけど、とにかく弱虫の泣き虫でいつも私がいないと何にもできないんです。本物の弟より手がかかりましたよ」
「へぇー。その彼が今、どうなってるか気になると?」
「はい。きっと私がいなくなって困ってると思うんですよね。ちゃんと一人でやっていけてるのか心配です」
言葉の反面、野宮の表情は嬉しそうに輝いている。
目的の住宅街に着くと野宮は自分の家があった場所を探し始めた。この辺りは家は僕の地元や今住んでる町と異なり、一軒一軒の間隔が広い。
「あそこの曲がり角の先が私の家だった場所です。彼の家は私の家の三軒となりにあるんですよ」
駆けだした野宮は僕を置いて先に角を曲がって行ってしまった。
「おい、待ってくれよ」
後を追いかけて角を曲がると目の前に野宮の頭が見えた。
「おっと!」
ぶつかる直前にぎりぎり回避することができた。もう少し動くのが遅かったらぶつかっているところだ。
「待ってって言ったけどこんなところで立ち止まるとあぶな……野宮?」
なんだか野宮の様子がおかしい。僕のことなんて眼中になく口をつぐんで、ただ一点をじっと見つめている。さっきまでの有頂天ぶりはどこへやら、顔は青ざめて眉は八の字にして悲しそうな表情をしている。
「……家が……私の家が……なくなってる。私の思い出の場所が……」
野宮の視線の先を見ると、家々が並ぶなか一か所だけ更地になっている場所がある。不動産屋ののぼりが建つそこは長い間手入れされてないのか雑草が伸び切っていた。
「……きっと野宮の家は先にあの世に行ったんだよ。野宮の家族が困らないようにさ」
僕は野宮に向かい合ってしゃがんだ。そして彼女の肩に両手を置いて、真っ直ぐ目を見つめて言った。
気休め程度の慰めにしかならないことは分かっていたが何か優しい言葉をかけなければいけない気がした。
道の真ん中で立ち止まる僕たちを見て通行人の若い女性が怪訝そうな顔で通り過ぎる。
「ほら、幼馴染の家を探さなきゃ。三軒隣だろ? どっちに隣だ?」
「あっちです」
僕は立ち上がって後ろを振り返った。野宮は赤い車が止まった家を指している。
「あの赤い車の家か?」
「はい」と野宮は頷いた──その時。
先ほど僕たちの傍を通り抜けていった女性が幼馴染の家の前で立ち止まり、インターホンを鳴らした。
数秒後、玄関ドアが開くと、髪の短いさっぱりとした少年が出てきた。
「あの男の子か?」
「はい。背がだいぶ伸びていますが、あの人です」
よそ行きの格好をしている彼は女性を一目見ると表情を崩した。そして仲睦まじい様子で二、三言、言葉を交わすと二人でどこかへ行ってしまった。
「彼女、ですかね」と二人を見送りながら野宮は呟いた。
「さあ。でも親しそうだったな」
「心配してましたけど、上手くやっているみたいですね。安心しました」
野宮はハッピーエンドの映画を見終わったあとのように声を震わせ、大げさに明るく言った。
「……野宮」
「それにしてもあんなオシャレして、女の子と出かけるようになるなんて……。成長したんですね」
「……なぁ野宮」
「よかったよかった。これで私も安心して逝けるってもんですよ。本当によかった」
それはまるで自分自身に言い聞かせているような口調だった。
「──じゃあ、どうして泣いてるんだ。野宮」
野宮はハッとして目許に手をやった。
「私、泣いてなんか……」
瞳に溜めた涙がほろりと流れて指を濡らす。
「あれ……? おかしいな涙が勝手に……嬉し涙かな」
拭うたびに野宮の目から涙がこぼれて頬を滑り落ちた。その量は次第に増えていく。
嗚咽しながら蚊のような声で泣く野宮を僕はそっと胸に抱いた。包み込むよに優しく頭を撫でる。
「……私、本当は彼が独りぼっちだったらいいと思ってたんです」
濡れた声で野宮がポツリと話し出した。顔を僕の服にうずめているから、くぐもって聞こえる。
「私がいなくなったことに困り果てればいいと……。でも彼も高校生ですからね。いろんな出会いがあったんですね。私のことを忘れるぐらい……。彼の隣は私の場所だったのに……」
「野宮の気持ち、分かるよ」
「……私、彼のことが好きだったのかもしれません。だっていつも私を頼ってくれる彼は、家族以外では一番身近な異性でしたから」
僕から顔を離した野宮がしゃくりあげながら言う。赤らめた瞳にはまだ涙が残っていた。
「もう行こうか」
それだけ呟くと、野宮も無言でうなずいた
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