第10話

 僕は、はやる気持ちを抑えて、噛み締めるようにそれを読んだ。

 メールは久しぶりの連絡を喜ぶ言葉にはじまり、近況を報告する文が続いた。

 その報告によると、石山は現在、僕の大学の近くにある国立大学に通っているらしい。そしてもうすぐ期末考査の時期なので、それが終わったらどこか一緒に出かけよう、とのことだった。

 それを読み終えると、僕はすぐさま了解した旨を伝えるメールを送った。

 ついに石山と再会できる。そう思うと、せっかく落ち着いてきた鼓動が再び激しくなり、喜びが全身を駆け抜けていった。これほどの喜びを感じたのは久しぶりだ。

「さっきからスマホばっかり眺めてなにしてるんです?」

 体を震わせながら喜ぶ僕を怪訝な表情で野宮が見つめる。

「なにって、石山からメールが来たんだ! それに今度、会おうって!」

 興奮しながら話す僕に野宮は身を引いた。そして僕の顔の前で両手をパァンと打ちつけた。

「ちょっと、どうしたんですか。そんなに興奮して」

 それに石山って誰です? と眉をひそめた。

 冷静さを取り戻した僕は野宮に石山のことを順を追って話した。僕の初めての友達だと言うこと、中学時代、ずっと一緒に過ごして同じ高校を目指したこと、僕だけがその高校に行けなかったこと、高校はダメだったけど大学で再会しようと誓いあったこと。そして誓いも守ることができなかったこと……。もちろん彼と会うことが僕の〈やりたいこと〉だということも話した。

 すべてを聞き終わると野宮は黙って頷いた。それから「天原さんが石山という人にどれだけ依存していたか分かりました」と野宮が言った。

「何を言ってる? 依存だと?」

「そうです。他に友達いない天原さんは石山という人にどっぷり依存しています」

 野宮は検事が問題を指摘するように、人差し指をビシッと突き出した。

「いくら仲がいいといっても人生を左右する高校や大学も同じにしようなんて、はっきりいって幼いと思います」

 僕が幼いだって? この女、何を言っているんだ。幼いのは小中高と僕の周りで馬鹿話をしていた同級生たちだろ。それに石山だって同じ学校に行きたいと僕が言ったら喜んでいた。

「それから、本当に石山さんとは仲が良かったんですか」

 野宮の切り揃えられた髪先がさらりと揺れた。

「それはどう言う意味だ、野宮」

「そのままの意味です。石山さんはあなたのことを友達と思っていたんでしょうかね。ただ話をあわせて仲のいいふりをしていただけかも」

 石山が仲のいいふりをしていたなんてありえない。彼はそんなヤツじゃない。それに、そんなことをするメリットもない。

 それに、どうして野宮はこんな僕を不安にさせるようなことを言うのだろう。

 口では、ああ言っていたが内心では見つかったことを怒っているのだろうか……。

「なぁ、野宮。何でそんなこと言うんだ? もしかして見つかったこと、怒っているのか」

「いえ、違います」

 野宮は首を左右に振って否定した。

「なら、どうして……」

 見つかったことで怒っているんじゃないのなら何だ。何が野宮をこんなふうにしているんだ。頭の中で今日の出来事を振り返ってみたが思い当たる節がない。

 ああ、どうしよう……と頭を抱えたとき、ハッとした。僕は脅されて無理やり協力させられているだけだ。野宮のご機嫌うかがいまでする必要はない。そう思うと、今度は侮辱されたことに怒りがふつふつと沸いてきた。

「野宮、たとえ僕が依存的だろうが、石山が僕のことを友達と思ってなかろうが、君には関係ないだろ。何でそんなこと言われないといけないんだ」

「はい、関係ないですよ。ただ、自分の〈やりたいこと〉にうつつを抜かして私の〈やりたいこと〉を疎かにされるのは困るんです」

 野宮はピシャリといった。どこまでも自分本位なやつだ。本当に腹が立つ。

「お前に迷惑はかけないよ。それでいいだろ」

 そう言うと野宮も「ならいいです。勝手にしてください」と返してきた。言われないでもそうするさ。


 それから二人で帰路についたが、駅まで向かう道でも電車の中でも僕たちの間に一切会話はなかった。先行する僕の後ろを二、三歩間隔をあけて野宮がついてくる。そんな距離感のまま家の最寄り駅まで戻ってきた。

 改札口を出ると外は夜の闇がさらに濃くなっていた。時間も時間なので駅前の人出もほとんどない。

 野宮にひと言だけ別れを告げて歩き出すと、すぐに背後から声がした。

「送ってくれないんですか?」

「あんなことを言ったあとで、よくそんなことが言えるな」

 不満そうな野宮に冷たく言い放つと僕は家に向かって歩みを進めた。

 すると再び背後から「個人情報、どのサイトにしよう……」と野宮が呟くのが聞こえた。その魔法の言葉で僕は回れ右をして野宮の元に舞い戻った。

「……送っていくよ」

「えっー。本当ですか? ありがとうございます」

 わざとらしい野宮を見て僕はあの日公園に行ったことを激しく後悔した。

 それでも弱みを握れている以上、言うことを聞かなければならない。僕は野宮とともに歩き始めた。

 野宮の家は、駅から十分くらいの住宅街にあった。

 野宮があそこです、と指した家は赤茶色の屋根をした一軒家だった。壁面は一部レンガを基調としたデザインで、ガレージにはシルバーのセダンが停められていた。家族はもう寝てしまったのか家の明かりは消えてひっそりとしている。

「ここでいいです。送ってくれてありがとうございました」

 野宮はそれだけ言うと明かりの消えた家に入っていった。

 野宮の姿が完全に見えなくなるのを見届けて僕はやっと帰路につくことができた。

 街灯が照らす夜道を歩きながら、石山のことを考えていた。まさか、石山が僕の大学の近くにある大学に通っていたなんて驚きだ。まあ、片や日本を代表する国立大学、片や馬鹿ばっかりの三流私立大学と学力の差はあるが、そんなことは気にしない。久しぶりにメールができただけで十分だ。

 メールでは期末考査が終わったら遊ぼうとあった。僕の大学では期末考査は来週から始まる。たぶんどこの大学も似たような時期だろう。そうなると一番早くて来週末といったところか。

 久しぶりに石山と会って何をしよう。中学時代と違って今は大学生だ。あの頃よりたくさんのことができるようになったはずだ。さて、計画を立てないと……。

 そう思ったが、石山以外友達がいない僕は「友達と遊びに行く」という経験がまったくなく、何をすればいいのかわからなかった。よく考えてみれば「あの頃」である中学時代ですら石山と一緒に遊びに行ったことはなかった。いつもクラス上位の成績を誇っていた石山は勉強に忙しく、遊びに誘ってもいつも塾があるからと申し訳なさそうにしていた。


『本当に石山さんとは仲が良かったんですか』


 不意に野宮の不穏な言葉が頭の中でリフレインした。

 いやいや、そんなはずない。僕と石山は正真正銘の親友だ。だって学校では常に一緒にいたし、話だってたくさんした。仲がよくなかったらこんなことはしない。

 たかが女子高生の戯言に惑わされるなんてどうかしている。僕は頭を左右に振って野宮の不穏な言葉を払い退けた。

 何をするかは後でネットで調べよう。そういえば石山は見た目こそ地味だったが、僕と違って友達が多かった。遊びの一つや二つ彼ならすぐ思いつくだろう。それに何をしたって石山となら楽しいはずだ。約四年ぶりの再会に思わず口もとが緩んでしまう。

 アパートに着くと、ちょうど加賀さんが通路に続く階段を降りてくるところだった。相変わらずヨレヨレのシャツでカメラの収納ボックスを肩にかけている。これから撮影なんだろうか。

 いつものように軽く頭をさげて挨拶をした。すると「なんだか嬉しそうだね」とめずらしく向こうから話しかけてきた。

「えっ?」と僕が戸惑っていると、加賀さんは「いつもと違って表情が明るいから」とやわらかい声でつけたした。この人の声がこんなにふんわりとした感じだったことをはじめて知った。

「実は、久しぶりに親友と会うことになったんです」

「それはいい。私も長らく友人とは会ってないなあ。まだ向こうが私のこと覚えていてくれたらいいけど」

 加賀さんは懐かしむように遠くを見つめた。

「そうそう友達の顔を忘れませんよ」

「そうだとうれしいね」

 そろそろ撮影に行かないと、と加賀さんは別れの挨拶をして闇夜に消えていった。

 部屋に戻ると今日の疲れが一気に押し寄せてきた。今すぐにでも横になりたいがこの格好では窮屈だ。重い体を動かしてなんとか部屋着に着替えた。布団を敷く気力もなく僕は押し入れからタオルケットと枕を取り出して畳に寝転ぶ。

 まぶたを閉じるとすぐに僕の意識は眠りに落ちていった。

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