第14話 「トーブズ農園の四季」(5)

 季節はすすむ。

 再び秋が訪れるころ、バランカス農園との長年の公事沙汰は、トーブズ側の勝訴で終わりをみた。県尉のできの悪い息子が入りびたっていた娼館とのいざこざを、金で解決してやったことで、弱みを握ることができたからだ。

 しかし、ただでさえ険悪であった両家の関係は、もはや修復することすらできないほどに悪化した。この一帯で一、二を争う大農場である両家が争えば、とんでもない騒動となることは眼に見えているが、特に敗けた側であるバランカス農園は、もはや引き下がることなどできなくなった。

 不穏な噂が流れだした。バランカス側が報復のため、流れの傭兵を抱えこみだしたというものだ。

「ふざけやがって」そのうわさを耳にしたウルケが、晩餐の席で猛って叫ぶ。「バランカスなんぞ、こっちから襲っちまえばええんじゃ」

「考えなしは黙ってろ」血の気が多いオランドが、形ばかりいさめる。「だけど、バランカスの連中だがよ、力ずくでこようって腹かもしれん。親父、こいつの云いぐさじゃないけど、甘い顔してりゃ、おれらがなめられてしまうでぇ」

 家長のヨードルは息子たちをにらみつける。

「訴訟は我が家の勝ちだ。いらん騒動をおこせば、めんどうなことになるこたぁバランカスもわかっとる、妙なまねはせん」

「だけど本当にバランカスがそう出てくるなら、おれらも考えにゃならんじゃろう」

「その時は相応の報いを受けてもらう。このタラで自分の農園を護るにゃあ、刀槍の流儀がある」

 長兄のロカノンがそう答えた。

「当然じゃ」

 ウルケが嬉しそうに酒杯を干した。この分別が足りない末っ子は、ヘレネやカーペルにした仕打ちのことなど、もうとっくに忘れているのだろう。今はおきるかもしれない紛争への血のたぎりで、胸がいっぱいの様子だった。

「兄貴、うちの者で使えそうなやつらは?」

「年寄りやがきは使えんけぇ、使用人が二十人ばかし、奴隷は五十もおらんじゃろう」

 オランドが乳の出のよい牝牛を数えるように答える。

「バランカスよりは多いじゃろう」

「ベンと、マーカス兄弟あたりに束ねさせるか?」

「それがええな、やつら血の気が多いけぇな」

 オランドとウルケが楽しそうに談義をする。

「でも兄貴、奴隷がちゃんと動くか? 見とらにゃ、すぐさぼろうとする連中じゃけぇ」

「解放しちゃるって約束してやりゃええじゃろ」

 長兄のロカノンが上から口を出した。

「そりゃもったいないじゃろう、奴隷解放したら、うちの農園は立ちいかんぞ」

「お前はばかか、そがいな約束、守る必要ないじゃろう」

 あきれた様子でロカノン。

「ロカノンの兄貴も結構ひどいな」

「ばかを云え。できることなら、争いごたぁないほうがええんじゃ。金はかかるし、人手をとられたら作業もとどこおる。勝ったって、バランカスの土地がうまいことおれらのものになるかどうかもわからんのだでぇ」

 ロカノンは気の荒い弟たちにくぎを刺す。

「だがやる以上は、絶対に勝つ。ええかお前ら、売られたけんかは買う、だがおれたちから手は出しんさんなや、大義名分はこちらにあるんじゃ」

「けんかってな、そがいなもんじゃねぇじゃろ、先手必勝だでぇ……」

「ウルケ、兄貴の云うことを聞け、お前みたいなばかは、考える必要ないんじゃ」

 不満げなウルケをオランドがたしなめた。


 だが、不審な噂は、奴隷たちの間でもささやかれはじめた。

 ここらでは見かけない男が、何人か連なって農園をうかがっていた、そいつらはバランカスが雇った傭兵だ、バランカスでは近隣の村の男たちを集め、いざという時は加勢するようにとの約定をとった――などの噂が行きかうようになった。

 ハデスには事実かどうか確かめるすべもないが、農園全体に不穏な空気が流れていることは、肌に感じる。

 旦那はとりあえず、夜回りを強化することを決めたようだ。いつもの夜警番に加えて、夜回りが新たに割り振られた。

 その夜、ハデスの小屋からはハデスと不平屋、西の小屋からはマートルが当番だった。夜回りと云っても、広大なトーブズ農園である。周縁はひと晩かけても、ひとめぐりすることもできない。だから街道筋を重点に、定期的に見回るだけだ。 普段の夜警は放牧地そばの小屋につめるだけだが、これはひと晩にずいぶん歩き回らなければならないし、夜起きておかなければならない割り当ての当番が増えて、奴隷からは不評だった。

「ああ、もう夜回りが辛い季節になってきたなぁ……」

 不平屋が例によって例のごとくぼやく。三人は灯火を持ち、街道にそってつづく柵の脇をとぼとぼと歩いていた。不平屋の云うとおり、もうずいぶんと肌寒くなっていた。

 手にした灯火は、せいぜい足許を照らす程度だ。今夜は下弦の月で、あたり一面どちらを向いても夜の闇は見通せない。何かがあってもわかるわけがないので、こんなことをして何になると、彼らは心の中では思っている。

「マートル、本当にバランカスの連中が襲ってくると思うか?」

「バランカス、公事沙汰で敗けて、相当気が立ってるらしいが……」

 ハデスたちとは別の小屋のマートルは、不平屋と同年代の骨太の男であった。小屋は違うが仲がよいようだ。

「いくさになったって、おれらにゃええことなんてないぜ、勘弁してほしいよ、まったく」

「万が一いくさになったら、奴隷から解放されるって噂だが……」

「ははは、ないない、あの旦那がそがいに甘いもんか、期待するだけ無駄だでぇ」 マートルがむなしく笑い飛ばす。今夜は、不平屋のおかぶを奪うような悲観っぷりだ。

「朝から夜中までへとへとになるまでこき使われて、旦那や使用人の顔色をうかごうて、いつもびくびくしてなきゃならん、女も酒も手に届かん、おれはごめんだ。いくさに出りゃ解放してくれるのなら、それに賭けてみてぇよ……」

 と不平屋。

「いくさになったら、真っ先に殺されるのがおちだ。それよりもきっちりと貯めこんで、身分を買いもどす方が、よほどええさ」

「平民になるころにゃ、よいよいのじじいだでぇ」

「おれはこのままでええ。平民になったところで、貧乏暮らしに変りゃせん。それどころか、天気や盗人に怯えて、畑や家畜に気ぃつかって年貢の算段も自分でせにゃあならん。トーブズの旦那に使われとったほうがよほど気が楽じゃ」

 マートルは暗い声でそう云う。

「キア、お前はどうだ?」

 不意に、半歩さがってついてきたハデスに、不平屋が声をかける。

「……どうなるかなんて、考えてみたこともないよ」

 ハデスは言葉をにごした。本心は隠しておきたかった。

「お前、ウルケに眼、つけられてんじゃろ? 早いとこ逃げだした方がためになると思うがのぅ……」

 例の件で、ハデスとカーペルは奴隷仲間からも一目おかれることになってしまったのは、皮肉なことであった。いざとなったら、何をやらかすかわからないと思われたようだ。おまけにハデスが使用人に反撃して撃ち倒したことは、どこからか尾ひれがついて奴隷仲間の間に広まっていた。

 奴隷たちは互いに不干渉だ。そのような気持ちの余裕もないからだ。だが、横暴な主人一家や虎の威を借る使用人に対する不平不満は、共通のものだ。

 あの件以来、カーペルの様子は見た目変化はなかった。元々表情豊かな方ではなかったのでそう見えるが、ハデスには彼の眼の奥に深い憎悪が昏い熾火としてくすぶっているのを見てとれる。心に追った深い傷は癒しようがない。

 スイレイから頼まれたが、とても自分の手にはおえないと思っていた。ただ、とんでもないことがおきないように、できるだけ身近で見守ってやることしかできない。

 闇の向こう側から、山犬の遠吠えが聞こえてきた。


 冬が来た。刈り入れが終わり、再びドロウへの貢納の時期が来た。今年はハデスもカーペルも駆りだされることはなかった。

 だから知らないが、ドロウでとうとうトーブズとバランカスの間で、何らかの決定的ないざこざがおきたらしい。

 もどってきたウルケはいきりたっており、ついていった奴隷もくわしくは知らなかったので、噂だけだったが、トーブズ側も慌てて流れ者を雇いはじめようとしているらしい。

 年が明けて数日たったころ、ここ数日はこのあたりでは珍しく足首まで埋まるほどの雪が降った日の午後のことである。

 敷地内の路の雪をかいていたハデスたちは、どこかでざわつきはじめたのに気がついた。使用人たちが屋敷へ駆けていく。

 あれは何じゃ――と奴隷たちがいぶかしがっていると、すぐに彼らも怒鳴りつけられ呼び集められた。母屋の裏手へ回ると、働き盛りの使用人たちも召集されていた。

 彼らのざわつきから、街道から少し外れたゆるやかな丘陵のすその敷地の境界あたりで、あやしげな人影がみとめられたらしい。ひとりだとも、何人だとも、剣を持って武装していた、騎馬であった、いや徒歩であった――など、噂する者によって少しづつ異なる。

 母屋からロカノンをはじめ、息子たちが出てきた。彼らが腰に剣を佩き、甲冑こそまとっていないが手甲や脛当ををかためているのを見て、一同に緊張が走る。

「お前らよう聞け!」三男のオランドが吠える。「バランカスの連中がとうとう手を出してきた! 先刻、斥候らしいやつがうろうろしとった。とっ捕まえて泥はかしちゃる!」

「オランド、オッド、ウルケがそれぞれ十人ばかり連れて行け。三方から包囲するようにして追いつめろ」ロカノンが淡々と指示をする。「各自、手ごろな犂や鎌を持っていけ。ええか、絶対に殺すな、そいつはバランカスが手を出そうとした証人にさせる、わかったな」

 使用人も奴隷も、こわばった顔で互いを見つめた。いよいよ始まるのだ。すぐに動きだそうとしない一同に、オランドが舌打ちをして怒鳴ろうとしたのを、ロカノンが留める。

「安心しろ、相手はひとりかふたりだ。捕まえて訴えりゃあ、争いにゃあならん」鷹揚に語りかけるロカノン。「それと最初に云うとくが、仮にいくさになっても参加すりゃ充分に手当てを出す。借金を棒引きにしちゃってもええ。奴隷どもは身分を解放しちゃるつもりじゃ。その代わり怖気づくやつは許さんぞ」

 ウルケには奴隷を解放するつもりはないなどと云っておきながら、平然と云ってのけた。

 使用人は皆、旦那に借金をしている。奴隷とは違うが、トーブズ家に首根っこつかまれていることには違いはない。棒引きにしてやると云われたら、発奮する。一同の気分がのってきたが、奴隷たちの一番後ろで、カーペルが小さく舌打ちしたのを、隣のハデスは聞きもらさなかった。


 ハデスもカーペルも、どういうわけかウルケの下につけられた。斥候とおぼしき人影が見られた北の丘陵に、三方から追いこむのだが、ウルケは西から周りこんでいく。

 兄弟の中で、ウルケが一番猛っている。その斥候を自分の手で捕らえたくてしかたがなく、従った使用人たちを、雪の中遠慮なく追いたてる。低木ばかりがまだらの丘陵だ。今はすっかり葉を落として遠くまで見通せる。

 ハデスはもうずいぶん時間がたっているので、もういるものかと半疑だが、手に犂を持って黙々とついていく。カーペルはハデス以上に熱のない様子でついてくる。

 まさかと思っていたが――その人影はいた。

 黒い外套をまとい、木陰から農園を見下ろしていた。顔立ちは無論わからないが、遠目にも巨躯であった。

「若旦那、おったぞ」

 ウルケのかたわらの使用人が、緊張した声をかける。あの日、ハデスを散々に殴ったあの使用人だ。

「一番手柄じゃ……」ウルケが武者震いする。「お前ら、遠くからあいつを囲え、おれが仕留める」

 自信いっぱいに使用人たちに指示した瞬間、人影は一同の気配に気がついたのか、不意に身体を翻すと駆けくだりはじめた。

「野郎、気がつきやがった」ウルケが慌てる。「何しよる、追いかけろ!」

 そのウルケが真っ先に雪を蹴散らし、人影を追いはじめた。ハデスたちもそれにつづく。

 人影の脚は驚くほど速い。樹々の間をぬって走る様はよどみがなく、獣のようだった。ハデスはその人影に、不意にいやな感覚を覚えた。農夫などの動きではない。これは熟達した兵士や剣士のものだ。しかも、隠された外套の下には、剣を佩いているようにも思われた。

 思わず脚が止まった。危険だ、不要に近づくべきではないと感じた。

「お前ら、回りこめ!」

 焦ったウルケが指示を出したが、ハデスは身を樹陰に潜ませ従わなかった。追いかける一同の気配が遠ざかっていく。

「カーペル?」

 彼の姿まで見えない。まさか追って行ったのかと、不思議に思った。追われる者と追う者の雪上の痕跡を、距離を充分とってハデスも進むが、もう先方がどうなっているのかわからない。

 陽が低くなりはじめていた。胸騒ぎがする。

 結局、ハデスはウルケたちに追いつくことはできず、オランドの一団と鉢合わせとなった。すでに薄暗くなりはじめていた。やがてウルケに率いられていた使用人や奴隷たちも、ひとりふたりと合流するようになった。人影はとうに見失い、ばらばらになっており、彼らも途方にくれていたのだ。ウルケはひとりでまだ追っているようだった。

 彼らはもうとっくに敷地から出ており、これから先は広々とした原野が広がっているだけだ。

 オランドは、いまいましげに舌打ちをした。灯火の準備はしていない。灯りと食事と酒、さらに捜索するための増員が必要であった。ハデスの他何人かが命じられて、母屋へ戻らされた。

 増員と、命じられたもの一式を担いでもどると、四男のオッドたちも合流していた。すっかり真っ暗となり、寒さが身にしみる。焚火の前でオランドとオッドが何か話しこんでいた。

 どうもウルケがまだもどらないらしい。オランドは先ほどまでウルケといっしょにいた使用人を、怒鳴り散らしていたようだ。焦っているのがわかる。横柄で傲慢なオランドだが、出来の悪い弟はかわいいのか。もう怪しい人影ではなく、ウルケの捜索が目的となっていた。

 合流した一同の中にカーペルがいたので、ハデスはほっとした。離れたところから、無表情で焚火の焔を凝視していた。

 取ってきた酒瓶を無造作に傾け、慌ただしく腹にものを入れると、オランドは他の者のことなど気にもとめず、すぐに進めと命じた。

 灯火を手にした一同は、ところどころ灌木が繁る雪の原野を進む。寒さでハデスは歯の根が合わない。隣はカーペルだ。無表情で、投げやりに一同に従っている。

 うんざりするほど時間が流れ、真夜中に近い頃合い、ウルケの屍が見つかった。人目につきにくい灌木の陰に、自慢の剣に手をかけることもできずに、無残に頭を叩きつぶされて横たわっていた。


(つづく)

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