プロローグ
「あー、姐御、姐御。510番目のヤツ生きてますよぉ!」
のんびりとフードを目深に被った魔法士の少年がカウンターの魔法で確認しながら声をかけた瞬間、緑色のゴブリンは同じ色の体液を撒き散らして肉塊へと変貌した。
目にも止まらぬ速さとはまさにこのことだろう。
少し離れた場所にいたゴブリンたちも同じ速さで肉というか謎な緑色の物体に変わっていく様を苦笑とともに見つめる。
「ほんっと僕たちの存在、必要ないですよねぇ?」
「あー、まぁなぁ」
隣に立っていたのっぽな剣士が、緊張感のない間延びした声で同意する。彼は象徴たる剣すら構えず、なんなら鞘に入ったまま背中に背負っている。
「ゴブリンが千匹いたところで、こちらの過剰戦力だろうさ」
ゴブリンは実は手強いモンスターだ。一匹ならば魔法でも剣でも簡単に倒すことができる。だが奴らはすぐに増殖する。それこそ一匹見つかれば近くに五十匹はいると考えたほうがいいと言われるくらいに増える。ネズミ並みだ。そして肉食のためエサを求めて移動する。
そのため頻繁に討伐依頼が出されるし、あちこちで同様の依頼が上がる。
大抵は複数のパーティを組んで討伐にあたる。それでも成功率は八割ほどだ。ゴブリンの巣の規模を見極めるのはそれほど難しいのだ。何せ一日あれば乗数で増えていくのだから。
そして今回の依頼も王都近くにゴブリンの目撃情報が出たが、規模は百匹ほどだと言われていた。本来ならばベテランの冒険者パーティが十組ほどは必要になる。
だが偵察がてらやってきてみると、千匹近くいたのだから驚きだ。
王都の近くなのだから、エサは家畜や旅人だろう。しかも次から次へと現れるから絶好の繁殖場所となったのかもしれない。
王都に続く街道からやや離れた平原とそこから森へと視線を向け、カウンターの魔法をかけながら中空に現れた光る数字に思わず絶句した。それもすぐにため息に変わったが。
単身で赤い塊が緑の塊に突っ込んだ。
かと思えばグロテスクな塊が街道から離れた平原に出来上がる。
ぼこぼこした白い岩に緑色の塊が横たわり、草も花も緑に塗りつぶされていく。
そこから森に向かってあっという間に緑の絨緞が出来上がっていく。
光る数字は驚異の勢いで小さくなっていく。
百桁目が9、8、7…と瞬きするだけで減っていくのだから。
「でもやっぱり、ミーちゃんだけに任せるのってよくありませんよね?!」
回復役の聖女が白い装束の長い袖を振って抗議をしてくる。
「そうは言っても、実際僕ら邪魔ですしね」
「僅かに動きが見えるだけでなにやってんのか、サッパリわかんねぇんだよな…殴る、蹴る、引きちぎるって感じなんだろうけど…とにかく動きが止まったら近づけばいいだろう?」
「うー、それで本当にいいんでしょうか…私たちパーティなのに…」
実際には、今戦っている人物を補佐するために集められたパーティだ。
一応実力はトップクラスで国王からも折り紙つき、太鼓判を貰っている。
少年は最年少の魔法士で、魔道王の再来と言われている天才であるし、青年は王国の騎士団の一つを任されていたほどの剣士だ。少女だって大陸随一の権勢を誇っている聖華教の中で最も神に愛された聖女で彼女の使う聖魔法は死人すら生き返ると言われているほどではある。
だが今、ゴブリンを殲滅している彼女は、全くの規格外なのだ。
常識ってなんだと問いかけたくなるほど、人外で埒外だ。
「いいんですよ、不測の事態さえ起こらなければ。僕たちが率先して戦う必要なんてないんです。姐御が戻ってくるのを見守って、戻ってくればいつものように洗浄魔法かけて場を片付けるだけで」
「そうだ、そうだ。それが一番平和だな」
「わかりました、ミーちゃんが戻ってきたらすぐに綺麗にできるように待機しておきますね!」
少女が明るく気合いを入れたのを、うんうん頷いて安心させてあげる。
不測の事態など、早々に起こらないから不測なのだ。
そもそも原因となる人物は滅多に王都から出ない。それは彼女の唯一の弱点となりうるため、厳重に管理されているから―――。
「あれぇ、こんなところでなにやってるんだ?」
三人は声のした方に秒で顔を向けた。
そこには背中に籠を背負った人の良さそうな青年がにこやかに立っていた。ぼさぼさの茶色の髪に、変哲もない茶色の瞳。容姿はさほど特徴はないが、格好も王都の平民たちがよく着ている簡素なシャツにズボンだ。
「な、なんであなたがここに?!」
「ちょ、第七の奴らなにやってやがる」
「ふえーん、緊急事態ですよぉ…」
「なんだよ、この世の終わりみたいな顔をして…俺はちょっとそこまで薬草とりにきただけなんだけど…ミーニャはどうした? もしかして、怖くて逃げちゃったりしたかな。ごめんなぁ…アイツ昔から異常なほど怖がりで。なんで勇者なんて仕事やってるのか本当に不思議なんだけど、あれでも可愛い義妹だからさ。呆れずに助けてやってくれよな」
困ったように頭を掻く青年になんと声をかけたらいいのか、三人は戸惑った。
あなたが心配している義妹ならば今ゴブリンを素手で挽き肉にしていますよ、などとは言えない。だが心の中ではシャウトしている。心の中なら合法だ。
形だけの沈黙は可愛らしい少女の声であっさり破られたが。
「お義兄ちゃぁん!」
緑色の塊が物凄い勢いで青年に突撃した。
それをあっさり受け止めた青年は実は只者ではないのだろうが、そんなことを指摘できる猛者は今のところいない。
緑色の塊は赤い髪を二つに結わえた美少女だが、勿論青年が見とれることもない。
「うお、ミーニャ…危ないから抱きついてくるときはゆっくりこいって…お前、どうしてそんな緑色なんだ?」
「あのね、緑色のね、怖いモンスターが出たから見てきてくれって言われたんだけど…あんまりに怖くて逃げてたらこんなことになっちゃったの!」
青年の腕の中には、きゅるんと水色の瞳を潤ませて震えている少女がいた。
お前誰だ、さっきまでゴブリン素手で瞬殺してたの誰だと尋ねる猛者もこの場にはいない。
「ああ、ゴブリンが出たって皆噂してたもんな。ミーニャたちに依頼がいっちゃったのか。よし、頼まれたのは偵察なんだろ。なら、俺が見てくるよ。そうしたら任務完了だもんな」
「えっ、やだやだ! お義兄ちゃんにせっかく会えたのに、離れたらもっと怖くなっちゃうから!!」
「そうは言ってもお前たちの依頼だろ。ミーニャが怖くてできないなら、兄が代わりにやるのが筋ってもんだ」
今にも駆け出しそうな勢いの青年の腕の中でぶわりと殺気が放たれた。その殺気が雄弁に物語る。至福時間を邪魔するな、お前ら何突っ立てるんだ、と。
敏感に察知した魔法士の少年が慌てて言い募った。
「だ、大丈夫ですよ、ハウゼンさん。ここは僕たちに任せてください。ね、カーティさん」
「そうだ、そうだ。なんのために俺たちがいると思ってんだ、こんな不測の事態のためだろうぅぉぉ…??」
目が血走った剣士が背中の剣を抜きながら、森へとズンズン歩いていく。
正直、残存しているゴブリンを三人で討伐するのはキツイ。だが、この場に留まることは自殺行為だと知っている。ましてや青年一人を行かせようものなら楽には死ねない。決して。
数百のゴブリン退治のほうがまだマシだ。
「待ってください、今、防御の聖魔法かけますから!」
「じゃあちょっと行ってきますから、姐御じゃなかった、ミーニャさんを頼みますね」
聖女が駆け出していく後ろを魔法士の少年が慌ててついていく。
「ミーニャは頼れる仲間がいて本当に良かったなぁ。でも、怖がりなんだから危ない依頼がきたらまずは俺に相談しろって言ってるだろ」
「ごめんなさい、お義兄ちゃん。でも皆が大丈夫っていうから…こうして怖いこと引き受けてくれるし、すごく感謝してるよ。でもやっぱり怖いから一緒にいてね」
「はいはい。いくつになってもミーニャは甘えん坊だな」
青年に抱っこされながら、すりすりと胸に頬を押し付けていた少女は満面の笑顔で頷いた。
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