もののふともののけの挽歌 —— 會津城下のこひびと——

碧月 葉

序章

戊辰の夢

 静かだ。


 外の喧騒、混乱が嘘のよう。

 奥の座敷に会した一族の女たちは、まるで普通の歌会を愉しむかのように、筆を執り渾身の一句を書き留めていく。


 幼子から老女まで、一様に白装束。

 私たちはこれから死出の旅にでるのだ。

 敵兵はもうすぐそこまで迫っていて、城下から、あらゆるものを奪っていく。

 

 男たちが表で剣を持って戦をするように、女たちの戦場はここにある。

 武家の娘の誇りをもって、往かねばならない。

 不思議なほど恐れなどはなく、互いに最後の句の出来栄えを称えあう穏やかな情景。別れの挨拶はとうに済ませ、今最後の時を迎える。

 

 恐れはないが、未練がないといえば嘘になってしまう。

 胸の奥にある甘い痛み。もう少しと願えばきりがない。

 この想いを胸に抱いていけるのだから、幸せなのだろう。


 ―さらば

 

 大叔母様に続き、私もすうっと懐剣を抜き、この首を突いた。

 僅かに急いでしまったのは、幼い従妹たちの最後をこの目で見るのは辛かったから。

 体から熱が流れ出ていく。

 ゆっくりとあらゆる感覚が失われていく。

 今やほとんど音も光も感じない。


(ああ、そうだ。これは「夢」だ。幾度となく見る「夢」。ほら、痛みを感じちゃいない。そしてもうすぐ目が覚めるはず…!)


 ふと、誰かの気配がする。

 何かを叫んでいる?ついに敵が入ってきたのか?いや、違う?

 その誰かは私に触れ、きつく抱きしめてきた。

 必死に何かを叫んでいるようだけれど、残念、もう聞き取ることができない。

 頬に唇に温かいものが触れる。

 同時に温かい水が落ちてくる。

 とめどなく、とめどなく…。



 ピヨピヨ・ピヨピヨ♪ピヨピヨ・ピヨピヨ♪ピッ


 飛び起きた俺は、慌てて目覚ましのアラームを消した。

「ふぅー。」

 大きく息を吐きだすと、髪をガシガシ擦る。もう、全身汗でべっとり。

 この夢を見た朝はいつもこうなる。

 16歳のしかも男子高校生の見る夢じゃないよな。我ながらそう思うが、実はこの夢、かなり小さいころから繰り返し見る夢だった。


 舞台はおそらく幕末の東北、戊辰の役の会津藩。

 旧幕府軍と新政府軍との戦いが激化する中、長州藩・薩摩藩をはじめとした新政府軍が、ここ会津の地に攻め入って来る。家族が次々と亡くなり、豊かだった故郷は敵兵の乱入に混乱を極め、自分の命も失われる。そんな夢だ。

 

 この夢を見るようになったのは、きっとあの人たちの影響なんだ…。

 俺のじいちゃんは、いわゆる郷土史マニアだ。地元の歴史研究会にも入っていて、それこそ古代から近代までの会津の歴史を熱心に調べている。俺は小さいころから、関心に関わらず延々といろんな歴史話を聞かされてきた。 

 

 そして、亡くなったばあちゃん。

 それこそ昭和生まれとは思えない、女性なのにやたら武士っぽい人だった(明治生まれのばあちゃんのばあちゃんにかなり厳しく育てられたらしい。)。

 彼女は薙刀の師範で俺の師匠だ。

 共働きの両親に代わって、そんな二人に面倒を見てもらって育った俺は、同世代の友人たちよりも、郷土の歴史、幕末の会津が大分身近なものに感じていた。

 そして、数百人に及ぶ会津の婦女子の自刃の話は、あまりに衝撃的だったため、未だにその夢を見続けているんだと思う。


 幾度どなく見ている夢だけど、なんだか今朝のはいつもと少し違っていた。

 普段ならば、ただゆっくり意識が遠のいてそして目覚めるというパターンなのに、今回は誰かに抱きしめられて終わっていたようだ。しかも、

 ―ああ、彼だ。

 という思いが胸に溢れ、言いようのない胸の痛みと、じわりとした幸福を感じてしまった気がする。

 「彼」って…あれ相手、男だよな。

 夢では俺は女子設定だから当然そうなるだろう。俺の夢の中でも最もシリアスなこの話に、男に抱きしめられるワンシーンが加わるなんて、いったい最近の脳内構造どうなってんだろう?

 しかも、それに若干トキメキ的なものを感じた俺って…。

 ―やばっ、早く彼女作った方がいいな。



勇生ゆい、ちょっとー、まだ寝てるの?結構雨強いわよ学校どうする?」

 まだ、ベットの上でボーっとしているところへ、ドア越しに母さんから声がかかった。

「大丈夫、起きてる起きてる、待って、直ぐ支度するから、一緒に乗せてってよ。」

 慌てて返事を返した。いつもは自転車で通学しているが、雨の日は母さんの通勤に同乗させてもらっていた。

「7時15分には、出たいから急いでね。」

 母さんはそう言うとパタパタとか1階に降りて行った。

 えーっと、今の時間は…

 7時3分!


 結局5分オーバーで出発。

「ありゃーこっちも混んでたかぁ。」

 ハンドルを握る母さんががっかりした声を出す。車の多い、大通りを避けたはずが、ここでもズラリと車の列ができていた。

「母さん、ホントごめん…。」

「そうだねー、雨の日は道路混んじゃうんだから、早め早めに動かなきゃ。でも、こうなりゃしょうがない。焦らず行くしかないよ。」

 そして車は、渋滞の波にのまれる。


 俺の住む街「会津」は、東北の南に位置する福島県の西部にあるまちだ。

 県内第3の都市とはいえ、人口は13万人程度。

 そんなに人はいないはずなのに、ちょっとしたことですぐに道路が詰まってしまう。雨の日もそう、雪の日なんていったら目も当てられない。

 市街地に行くのにその中心にまちのシンボルでもあるお城とお堀があって、まっすぐ抜ける道が少ないってのも原因だろうけど、道路と建物の位置、町の配置自体のバランスがいまいちな気がするんだよなぁ。


 車窓の遠くに見え始めた、赤瓦の城に目を移してため息をつく。

 激動の幕末、戦争でボロボロに負けた後、遠い将来を見据えたまちづくりなんて、する余裕はなかっただろうし…。


 今朝の夢の余韻があってか、つい昔に想いを馳せ、過去を恨みがましく考えてしまう。

 戊辰戦争によって会津が失ったものはきっと計り知れないくらいある。


 命、名誉、文化、歴史ある建造物等々数百余年かけて築き上げてきた多くのものをなくしてしまったけれど、その最も大きかったのは「人」だと俺は思っている。


 郷土学習で習った時も、じいちゃんの熱弁でも、江戸時代の会津の教育水準はかなりのもので、藩校のレベルも全国トップレベルだったというから、きっと当時は優秀な人材が育っていたはずだ。


 それが、戦で負けたために、ほとんどこの地からいなくなってしまった。それはその後、灰塵の中から立ち上がり、まちをもう一度作り直すときにも、かなり大きな損失だったんじゃないかと思う。


「そういえばさ、あんた、本当に薙刀はもういいの?」

 不意に母さんが話しかけてきた。

「うん、いいんだ。先生の所、通うの大変だしさ。もう何回も優勝したから、やり遂げたって感じ。」

 俺は、物心ついたころから続けてきた薙刀をやめようとしている。

「本当にいいの?せっかく強いのに、勿体ないわねぇ。旅費なら心配しなくていいよ。そのくらい出す余裕あるから。」

 母さんはそう言ってくれるけど、そうまでして続ける意味が今は見いだせずにいる。

 昨年、全国でも指折りの先生だった、祖母が亡くなり、一旦は新しい指導者を探していた。先生の目星はついたのだが、それは関東圏に住んでいる人で、新幹線に乗らないと一日ではいけない場所に道場はあった。(ちなみに会津には新幹線は通っていない。)

 なので、そう頻繁に通うことができないというのもネックだったし、何より中学時代に全国大会を連覇したことで、俺自身がどこか満足してしまい、一向にモチベーションが上がらないのだ。


 中学時代はまでは、全国トップ選手だの、文武両道だのと、正直ちやほやされていたと思う。

 けれど、この春、地元の進学校に入ってみると、全く井の中の蛙とはこのことと思い知った。

 みんな勉強は出来て当たり前。陸上の他、メジャースポーツ競技でもインターハイで活躍できる奴も少なくない。そもそもの競技人口が少ないうえ、男子の競技者がかなり少ない(競技人口の9割は女性。)どマイナースポーツの薙刀でいくら活躍しても、残念ながら霞んでしまう。


 一方で、部活はほどほどにして、有名大学目指して勉強にまい進する奴や、趣味に生きる奴、恋愛を楽しむ奴らを見ていると、ひたすら薙刀に打ち込む高校生活ってのが、人生にとって良い選択かどうか分からなくなってしまった。

 「ちっちゃい頃から薙刀ばっかりやって来たからさ、そろそろ違うことをやってみようと思ってる。ほら、勉強だって頑張んなきゃいけないだろ。」

 とは言ってみたものの、実は新しくやりたいことなんて全く見つかっていない。ただ、今までと同じように生活し続けることに感じる正体の良く分からない焦りが、俺を薙刀から遠ざけようとしている。

 


 ふと時計を見ると、結構きわどい時間になっている。

「母さん、ごめんここまででいいや、俺走っていくから。」

「えっ、雨かなり強いよ、大丈夫?気をつけてね。」

 母さんの声を背に、慌ただしくドアを開いて、傘を広げ、大粒の雨の中を駆け出す。


 遠くに雷の音が聞こえる。

 結構とばさないと遅刻しそうな時間帯になっていたので、雨の中を必死に走った。

 せっかく途中まで送ってもらったのに、これじゃ学校に着くまでにずぶぬれになりそうだが、やむを得ない。遅刻は避けたいとばかりにひたすら雨の中を駆けた。

 

 ……ユイ


 その時ふと、誰かに呼ばれた気がした。

 一瞬足を止めて振り返った。


 すると、突然目のくらむような光。

 同時に体にすさまじい衝撃が走った。


 何が起こったのかわからないまま、俺の意識は暗闇の中に落ちていった。



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