第7話 専業主婦にだって

「だけどさ、失礼しちゃうと思わない?」高田さんは来るなり


「保育所に入る時は入所規定がどうのこうのでさんざんいろいろ難癖つけて、やっといれてくれたと思ったら、今度は、はい、来年からこの保育所は無くなります。ばかにした話よねえ。」だいぶ怒っている。


高田さんは自宅でピアノ教室を開いている。一時はコンサートピアニストをめざしたこともある腕前で、おこづかいかせぎの中途半端な教室じゃない。毎年発表会を開くたびに生徒の数が増えて、彼女の教室はいまや狭き門だった。先生自身が毎年披露する演奏もすばらしいもので、何より生徒さん達のピアノに感動を覚える人が少なくなかった。

 全員のピアノに心が流れている、私もいつもそんなふうに感じる。きっと高田さんのピアノへの強い愛情がしっかり生徒さん達に伝わっているのだと思う。


レッスン中に自分の子供がちょろちょろしてるなんてとんでもない、そんな状況では生徒にも申し訳ないと、子供が大きくなるまで教室は開かないと思っていたそうだ。でも周りから請われてレッスンを始めた時に 3歳のかんた君をひなぎくに預けることにした。

 だが、自宅でのピアノ教室なら レッスンの時間は午後だろうし自分の子の保育ができないという理由にはならないと役場はかんたくんの入所を認めなかった。

でも、生徒さんが多いので午後からびっしりレッスンがあり、幼稚園だったらお迎えにはいけないこと、午前中もレッスンの準備等で充実した保育ができないことなどを具体的に役場に示し、やっと許可がおりたのだ。


「だって、教えてる場所が自宅というだけで、学校で教えてるのと変わらないのに、おかしいよねえ」と高田さんは言う。

「かんたがやっと慣れて楽しく通って、あと1年なのに新しいとこに変われなんて」ひどい話だよと

「近いというのも考慮して入れたのに、他の保育園では、歩いてではとうてい無理。せめて今いる子どもたちだけでも卒園するまで面倒みるのが普通じゃない。」


「そうよねえ、いくらなんでも薄情よね。」と私も相槌をうった。

「なにがなんでも統廃合なんてやらせない。なんとかしなきゃ。」


「やってみよ、ね。できることから。福祉審議会のメンバーにあたればきっと何かわかるかも。」と私。 

「ねえ、高田さん、今日ね、あのラーメン屋さんの小沢さんに、審議会のメンバーを教えてもらおうと思ったらね、彼女ね

 但馬さんは 家にいるから 時間あっていいねえ。そう言うのよ。」


高田さんは笑って、

「気にしてるの?」というので、


「そりゃあ、お店やってる人とか フルタイムで働いてる人に比べたらさ、私なんて甘いよね。わかってる。保育園に入れるしか選択肢がない人から見れば私がやってることは変かもしれないし、ぜいたくかもしれないことは承知してる。」


「慧君にいいと思ってのことでしょ。あなたがラクしようとか、そういう気持ちで入れたんじゃないことはみんなわかってると思うよ。」


「そうだけど、なんか 外で働いてる人に引け目というか、なんか感じてしまうのよね。今は『虹』にちょこっと記事書くだけしかしてないから。」

「そういうのって、かえってお互いに垣根を作ってしまうよ。それぞれに自分の生き方は選択してるんだから。」


 高田さんは、そうだろう。でも 私は、なんとなく生きてきた。勤めていた仕事もあっさりやめて、結果的に夫にすべてをゆだねてしまった。


 コーヒーを入れ、テーブルに置くと、高田さんは座ってた椅子を引きなおし、姿勢を正して、私にも椅子に座るようにという仕草をした。 


 「ねえ、ゆきさん、保育園が働く女性のためだけでなく、すべての母親に開かれていればどんなにいいだろうと思ってるよねえ。ゆきさんは乳飲み子と2歳の子を抱えて、締め切り迫ると慧くんを充分に遊ばせられないことに危機感を抱いたから保育園にいれたんでしょ。」


「けいの大人しい性格も気になったの。でもりっぱに同じような状況を乗り越えてる人たちはいっぱいいる。」


「その人それぞれだし、こどもの性質の問題もあるし。あまり問題に思わない人もいれば、あきらめちゃう人もいる。ゆきさんはこれじゃだめだ、なんとかしなくちゃいけないって思って行動した。消極的な選択ではなかったよね。」


「うん。ただ預かってくれる場として保育園を選んだわけじゃない。自然の中で五感を研ぎ澄ませ、思いっきり身体を動かすひなぎくの保育に魅力を感じたから。

あかんぼのりょう抱えて 私ひとりで慧にそんな経験させてあげられない。それに、入れてみて、いろんな価値観、考え方の母親が集い、理解しあい、助け合っていける場として保育園の門が広がればいいとますます思うようになった。」


「働いている親にとっては必要不可欠の施設だけど、母親ひとりで閉ざされた所で保育することの多い専業主婦にとっても 保育所って助けになる場ではないのかなあ。」


「ね、私たちみたいにフルタイムで働いているわけではない母親は そういう願いをもって保育園存続運動をしていこうよ。保育園はすべての母親にとってオアシスになればいいのにっていう理想を持って。」


不規則に仕事がある時でも、病気の時でも、あるいは 精神的に育児に行き詰ったときにでも そう、専業主婦の母親にだって、いつでも だれにでも保育園が門を開いて 受け入れてくれる場所だったらどんなにいいだろう。


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