魔法の木 エニシダに囲まれて
文乃木 れい
第1話 慧 ライオン組になる そして 桜
「すっげえ!」
園庭の入り口の柵の前で とうさんが大きな声をあげた。
ほんとだ。柵を押して庭に入ると、目の前がぱあっと明るくなった。園庭は桜の花びらが散って一面ピンク色になっていた。
月曜日だったから、とうさんは僕の昼寝用の布団を両手に 抱えている。僕が門の柵を押さえていたら、
「夜風が強かったもんねえ。おはようございます。」とようこのおばちゃんが続けて入ってきた。
ぼくは、ふたりが通ってから門をしめた。ようこは?と見まわしたが、もう先に行ってしまったんだろ。
「せっかく咲いても、散るのはほんとに早いわねえ。」と、
ようこのおばちゃんは最初、先に歩いてるとうさんに話しかけたようだったけど、とうさんはどんどん行ってしまうので、
おばちゃんは僕に向かって、にっと笑った。
テラスでみんなを迎えていた島先生が、
「けいくんのおとうさん、おはようございます。おふとんはテラスに置いといてくれて結構ですよ。」ととうさんに声をかけた。
「僕がいれる!」靴を下駄箱に入れながら思わず叫んだ。
大きいらいおんだから。保育園で一番大きい組になったんだから。
「おっ、今日はお花見か!」連絡板に目をやってとうさんが声をあげた。
「庭でね、ござひいて、お昼ちらし寿司なんですよ。」島先生は応え、それから、
「このたびはお世話になります。わたしら立場が立場なんで、おとうさんたちが頼りです。よろしくお願いします。」と頭を下げた。
「あ、いや、どうも。なんやろ?」
「あ、すみません、どうか奥さんにお聞きになってください。よろしくお願いします。」と先生はまたお辞儀をした。
「ようわからんけど、嫁はんに聞いときますわ。じゃ、お願いします。」
先生と話すのが苦手なとうさんはぼくのほうを見て、
「天気がいいし、花見にぴったりやな、じゃ、とうさん仕事いくな。」
とさっさと園庭を横切っていった。
「いってらっしゃーい。」と島先生が言い、僕はとうさんに手をふった。
そして よっこらしょっと布団をもちあげ、ホールの押し入れにしまいに行った。
こうじのおばちゃんが、あかちゃんをおんぶしながら 押し入れに頭を突っ込んで、おふとんを押し込んでいた.
「けいくん おはよう。自分で入れられるんだ。えらいねえ。」
ぼくは、隣の押し入れにふとんごと突進した。
おばちゃんが後ろで 「おかあさん 来てる?」と聞くので、「ううん、とうさん。」と振り返ると
「けいくんのおかあさんに聞こうと思ったんだけどね。」とこうじのおばちゃんは、ぼくのほうから、ようこのおばちゃんのほうに向きなおって、
「トーハイゴーのこと。」と付け加えた。
ようこのおばちゃんが、
「土曜日に父母会があるって聞いたから その時にわかるでしょうよ。」
と布団を入れ終わって 「お帰りの時にお手紙くれるってさ。」と、よっこらしょっと立ち上がった。
この時が最初だった。トーハイゴーという言葉を聞いたのは。
お昼ごはんにするよー
ござひいて食べよーねー
島先生が、テラスで手を振って呼んでいる。
お花見だ、かっちゃんとよっちゃんが物置に走った。
途中の砂場で
「ござをとりにいしょにこいよなー」とたっくんがえらそうに命令すると、ままごとをしていた女の子たちが 砂だらけの手をぱんぱんしながら後を追ってかけていく。
ぼくもあとをついていく。
何枚いるの? と言うと、たっくんが 「ひとり一枚もっていくべ」というので、巻いてあるござを両手でしっかりと持ち上げた。
さの先生がやってきて
「気が利くねえ、さすが らいおんさん」と言いながら、ござをみっつもかるがると抱えていった。
桜の木の下にござを敷いて、折りたたみのテーブルも、みんなでリレーして運んだよ。
さあ、手をよく洗ってから、調理室の岡田先生のお手伝いもしましょうね。
ちらし寿司と 大根や人参のお漬物、桜のかたちのふの入った澄まし汁。
いただきまーす。ちらし寿司おいしいね、外で食べるとおいしいね。
みんなで食べるとおいしいね。 おいしいね。
ピンクのでんぶ。でんぶってしってる? 知ってる。あれ?
だれ?
ここ ここ さくらのおすし、ピンクのおすし。
さっき女の子たちがままごとで使っていたおちゃわん、にちらし寿司がのってる。
そして、 あれ? 女のこ?
その前にちょこんと座っている女のこ。 ちっちゃな子!!
胸がどきんとして そのあとぼくはばかみたいにぽかんと口をあけたまんまだったと思う。
思わず周りをみたけど、みんな夢中で食べてて、ぜんぜん気付いてない。
えっ? でも やっぱりちゃんといる。女のこ。
隣のまりちゃんのうでをつっついた。
「何?」
とまりちゃんは 僕が目を離せないでいるほうをちらっと見て聞いた。
見えてないんだ。うそだ!
「ふざけてないで ちゃんと食べなね。」とまりちゃんが言う。
どっくんどっくん僕の体の中の音が聞こえそうだ。
どーしよー、せんせ… と声が出かかったけど、でも
きちんと正座をしている女の子の様子が 少し僕をおちつかせた。
真っ黒なおかっぱ頭とピンクのスカート。その下から真っ白な膝小僧が並んでいた。
ぼくはその子から目が離せず 体を動かすこともできなかった。
「食べないの?」女の子の声が頭の中で響いた。
「だれ?」 ぼくは聞いた。
「なんにもないよ。」
声は聞こえているけれど、女の子はしゃべってはいない。黙々とお皿のお寿司を口に運んでいる。ぼくのほうを見もしない。
「なんにもない!?」 僕が声をあげたら、まりちゃんが、「えっ」っとこっちを向いた。
「なんでもない」とぼくは 女のこのほうにかがんだ。
「あのね、なんにもなかったでしょ。」また声がする。
心の中で尋ねた。「なかった?」
「そう、花はなんにもないとこに咲くでしょう?」
声をださなくても ちゃんと通じている。
「桜の花のこと?」
「そう。どんなものでも 最初はなんにもないの。」
ぼくは、空をおおっている桜の花を見上げた。まったくだ。なんにもないところにいつのまにかこんなにたくさん咲いたんだ。」
「いちばん最後に開いた花びら。散ってきて、もし誰かの肩に触ったら、その人がちょうどパワー全開だったら ちょっとだけその人の心の中に入れるの。」
「だったら なんいもない じゃないね。」
「そう、そうなったら なんにもないじゃなくなる。けど、」
女の子はにこっと笑った気がした。
「ちゃんといるよ、ここに。」
「ううん、ここには なんにもない。」
「でも その、ここにいるじゃない」ぼくは思わず手を出して、
彼女のことをひっくりかえしそうになった。
「ごめん、だいじょうぶ?」
彼女は おままごとのおちゃわんのふたをそっと置いてから、両手でひざのスカートの上をすっすっとのばすようにさすってから
「ごちそうさまでした。」と立ち上がって、そのとき初めて僕の顔をまっすぐに見た。
ガラスの人形のようにきらきら光って、涙があふれるような目をしていた。
「なんにもないってことは、見えていないっていうだけのこと。」
そう言うと 女のこの身体がゆらぎ しずくのようになった。
「行かな…」とぼくは、のどの奥からしぼりだすような声を出していた。
「だいじょうぶ、ずっといるから。毎年咲くから。」
女のこの姿はもうほとんどなかった。かげろうのようになって、
地面に吸い込まれるようだった。
あとに桜の花があった。急いでつまんだら花びらが ぱらっと散ってしまった。
「早く食べなね、けい、また一番遅いよ。」
まりちゃんの声がして、同時に にぎやかなみんなの声も聞こえてきた。
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