29 ドラゴンステーキ早食い勝負
銅鑼の音を聞くと両者の手はまずフォークを掴んだ。
肉を切るために用意されていたナイフは無視され、代わりに肉へと先端が突き刺さる。肉汁がテーブルに零れ落ちるのも気にせず、二人は熱さなどまるで感じないかのように食らいつく。
貪るという言葉が相応しい勢い。しかし野蛮さを咎める者など居らず、老若男女問わず見る見るうちに減っていく肉の山へと皆夢中になって歓声を上げている。タイタニラも一斬も皿一つを平らげてもペースを落とさずに次へと手を付ける。
だがタイタニラがニヤりと口端を上げ、不敵な笑みを見せると、肉を鷲掴みにし……なんと丸飲みし始めた。一斬がそれを見て、すかさず自分もフォークを捨てると手で掴んで口に持って行く。両者によって肉の片付けられた皿が乱雑に積み上がっていき、けたたましい音が終始机の上へと鳴り続ける。
「さぁ、これはまだ勝負が分からない! タイタニラに挑戦している、この青年! その小さな体に一体どうやって入っているのか!? またしても完食、これで十五皿目!!」
司会が驚愕するのも無視して食べ続ける一斬に、野次を飛ばしていた者達も、その異常さに気が付いたようだった。だが辺りの熱気が疑問を吹き飛ばしてしまったようで、歓声に混ざり一斬に対する応援の声も上がり始めていた。
「……普段だったら絶対ママに怒られてるねぇ」
机の下にまで飛び散る肉汁に顔を顰めながら、アイラが引き気味にそう呟いた。
「しかし一斬のペースが徐々に落ちている。このままだと負けるだろうな」
「そう落ちていないように見えますが……」
隣で呟いたリーンシアの言葉に、マットは半信半疑と言った様子で食べ続けている一斬を見ている。だが――リーンシアの言った通り、肉を頬張った一斬の表情が僅かに曇り始めていた。
*
「なぁ、あんた」
不意にタイタニラが手を止め、一斬へと話しかけて来た。口に肉を詰め込んでいるせいか、一斬は返事こそ返せなかったものの、視線を投げて答える。
熱気からか、それとも焦りからか、満腹感からか、汗の滴り始めた顔を見てタイタニラは鼻で笑って見せた。
「勝負に手を抜いてちゃ、この先は守りたいもんも守れないよ」
意味ありげな言葉を投げ掛けるタイタニラは視線を逸らした。同じように一斬が視線を向けると、そこにはリーンシア達が居る。その中でミーシャは落ち着かないのか、心配そうな様子で一斬を見つめていた。
「あんたがこれからも人と関わるんだったら、アタシから忠告だ」
横から掛かった笑い混じりなタイタニラの言葉に、再び一斬の視線は正面へと向けられる。肉を丸飲みしつつ、タイタニラは自信ありげな様子を崩しはしなかった。
「己を偽るな。どんな場所だろうと、どんなあんたでも――受け止める事が始まるんだよ」
その言葉に一斬はしばらく黙り込んでタイタニラを見つめた後――体に力を籠めた。
青年の体が膨れ上がり骨格すら変わっていく、鼻が伸び、毛が生え揃い、耳は大きく尖り、口は裂けていく。周りの人々が豹変していく青年の姿に悲鳴を上げ、その姿を間近で見ている司会は――
「じ、人狼……!」
悲鳴に近い声を上げ、変わり果てた青年の姿に驚いて思わずステージから落ちそうになった。だがタイタニラがその腕を引っ張り、ステージ上へと戻す。彼女は眼前の存在に対し、余裕を持った笑みを浮かべたまま、慌てる様子もない。
「落ち着きな」
「し、しかし……!」
「勝負はまだ続いてるよ、アレを見な」
司会が冷や汗を流しながら狼の方を見れば、その口が肉を飲み込んで皿を重ねる。あまりの光景に驚いている人々が固まっている中で、狼はじっとタイタニラが再び勝負へ戻るのを待っていた。
人になど興味を持っていない、そんな姿は人狼の伝承や話からはとても信じられない様子だった。
「この舞台に立った奴は誰だろうと、アタシの勝負相手だ。続けな」
呆然としている司会をよそに、タイタニラは再びテーブルへと戻る。爛々と光る狼の目が、まるで獲物を狩る前のように輝き、その口元には鋭利な牙が見え隠れしている。だが――瞳には人らしい理性が残っている。
その瞳を見て、タイタニラはふてぶてしく笑った。
「さぁ試合再開だ! 銅鑼を鳴らせ!」
会場を包み込むよう高らかに響いたタイタニラの声に、再び銅鑼が鳴った。
呆然と口を開けて事態を見ているしかない人々は、声を上げる事を忘れたかのように勝負の行く末を見守る事しか出来なかった。人を喰らうと言われている化け物が、人など眼中になくただ目の前の肉だけを喰らっている。
そしていつの間にか、二人の横には同じ高さまで皿が積み上がっていた。
「もうすぐ三十皿……! 速さはお互いにほぼ同時! ここからはどこまで食べられるかの枚数勝負となります!」
「で、出来ません!」
司会の声に割り込むよう入って来たのは厨房から出て来た料理人たちだった。
「もうドラゴンの肉がありませんよ! 町で振る舞う分や統領達の分が無くなってしまいます!」
人狼に目をやりながらも、料理人たちは熱気のせいもあって汗を拭いながらそう言った。司会は「えっ」と声を出して固まったが、タイタニラと一斬に視線を向けられる事に気が付くと、大きく両手を振り上げた。
その瞬間に三度目の銅鑼が鳴り響く。
「ひ、引き分け! 引き分けです!」
左右に振られた両手、そして大きく司会の声が上がったところで呆然と事態を見ていた人々も、舞台の上に何が居るのか――正気に返り始めたようだった。
「なんで人狼が居るんだ……」
誰かが呟いたのをきっかけに、人々は再び舞台の上に居る狼の存在にざわつき始める。
「やっぱりあんた、あの時の狼かい」
そんな辺りの様子をよそにタイタニラは狼……一斬の傍へと近寄った。一斬は辺りを見渡してから、半ば睨むようにタイタニラを見据えた。
「あんた、分かってたんだろ」
「確証はなかったさ。でも……その目はよく覚えてた。人と獣が混ざった、中途半端な目だ」
からかうような言葉を言えば、狼の顔は多少納得が行かぬように眉を寄せた。
「タ、タイタニラ! これは一体どういう事なんだ……!」
「なぜ人狼がこんな場所に……!」
「アンデリータの神聖な祭りをなんだと……!」
「黙りな!」
足を力強く踏み締め、人々の前へと吼えるようなタイタニラの声に、人々は一瞬黙った。舞台の上から人々を見る目線は鋭く、先ほどまでの快活な印象とはまた違っていた。
「この狼はあの〝ハバース戦争〟でアンデリータのために戦った戦士だ。こいつを侮辱するのはアタシが許さないよ!」
タイタニラの一言に人々のざわめきは大きくなる。しかしその内容は、人狼への恐怖から先ほどの言葉への驚きへ変わっていっている。
「ハバース戦争を……?」
「そういえば、西の部隊には人狼が居たと聞いた……」
「奴がそうだと……?」
「てっきり噂だけかと……」
「――そこまで」
扉を開いたと同時にそう言い放ったのは、一人の年老いた男だった。だがその体格は常人のものとは思えない――タイタニラより体格の良いその男の体は、顔に刻まれた皺に似つかわしくなく、重厚なローブの下からでもその巨体は見て取れる。
細く吊り上がった目つき、黒く短い髪に、髭……そして右目の上から、左頬に掛けて付いた大きな傷。その風貌に、畏怖の念を覚えない者はおそらく少ないだろう。
「ガ、ガリダの頭……なぜここに……!」
その姿を見た瞬間に司会が声を震わせ、恐れ戦くかのように身を縮めていた。ガリダと呼ばれた男は辺りをゆっくりを見渡していく――そして、リーンシアと目を合わせた瞬間、鋭い目がさらに鋭さを増した気がした。
「この祭りに人狼が居ると聞いて来てみれば……本当だったか」
視線を逸らし、そう話しながら、ガリダは緩慢だが堂々とした動きで舞台の上へと上がって来た。
「よぉ、ガリダ」
タイタニラが手を挙げて挨拶をするも、ガリダの方は歓迎するような雰囲気ではなく、張り詰めた空気に似つかわしくない態度に苛立ちを覚えたようだった。
「神聖な祭りに魔物を呼ぶとはな、タイタニラ」
「その魔物はこの地を守った戦士の一人だよ」
強く言葉を放ったガリダに対し、タイタニラは笑ってそう答えた。その言葉に、ガリダが一斬と目を合わせる。その目に明らかな敵意が籠められているのが、外から見ているミーシャにも伝わって来ていた。
「……今回はタイタニラに免じて許そう。だが、このアンデリータはお前達<人喰い>が長居していい土地ではない。さっさと出て行って貰おうか」
「そんなに嫌そうな顔しなくても、探し物が見つかったら帰るっての」
「ここに貴様が望むような物などない」
「こっちが何探してるか知らねぇくせに」
「知らずとも<人喰い>が探す物など災いを呼ぶ物だ……さぁ、下りた。この舞台は戦士の魂を癒やすための我らが宝、人狼などに汚されては堪らぬ」
忌々しいと言わんばかりに、まるで吐き捨てられるような言葉だった。軽蔑の眼差しが一斬を刺すように見つめた瞬間、タイタニラが間に入る。
「ガリダ、いくら何でも客人に対する礼儀じゃないだろう?」
その咎めるような言葉にも、ガリダの表情は変わる事がない。
「お前こそ、このアンデリータの地をなんだと思っているのだ、タイタニラ?」
「誇り高い戦士に種族なんて些細な事だろう?」
「本気ならば、貴様の首はもうすぐ切り落とされる事だろうな」
「まだ頭じゃないくせに、もう大将気取りとはね。気が早いもんだ」
煽るかのように鼻で笑ったタイタニラの発言に、ガリダが纏っていたローブを大きく翻した。その隆起した肉体が露になると、周りの人々は息が飲む。その目に炎でも纏っているかのように怒りの色が燃え盛っている。タイタニラも引く様子はなく、睨み続けていた。
そんな二人の睨み合いが続く中、一斬が大きく溜息を吐いた。
「……もういい。くだらねぇ喧嘩すんなよ。俺は一旦帰らせて貰う」
一斬を睨んだガリダの眉間に皺が刻まれる。一歩間違えれば斬りかかられるのではないか――そんな威圧感を放たれ、一斬は肩を竦めると大人しく舞台を下りた。次いで、ガリダはリーンシア達にも鋭い眼差しを向けた。
「貴様らも、出て行って貰おうか。西の客人よ。その魔物と一緒に大人しく帰るがいい」
「……この場は失礼するとしよう。行くぞ、皆」
「は、はい」
ミーシャも圧倒されていたが、リーンシアの声に皆の後ろを付いていく。振り向くと、まだ舞台の上でタイタニラとガリダが睨み合っている様子が見えた。
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