第35話
「なあ、おい」
「何? もう眠いんだけど」
世良が眠そうな声で言う。
目は閉じられていて、欠伸混じりの声は、妙に艶っぽくて、どきどきする。
暗い部屋の中で、世良の吐息が聞こえてくる。すぐ近くで体温を感じられる。
さて、俺たちが今、どういう状況なのかと言うと、俺は世良は同じベッドで寝ていた。
変な意味じゃない。本当に。
というのも、あの後、世良は突然、俺に、こんなことを言ってきたのだ。
「今日、私の抱き枕になりなさい」
一瞬、何言ってんだ、こいつ。とも思ったが、世良の瞳には怯えた色が混ざっていた。
考えてみれば当然のことで、自分が殺されたという記憶を思い出したんだ。
今までは、ただの夢だと思っていたんだろうが、それが実際にあったことだとわかった今、恐怖を感じない訳がない。
詰まる所、1人で寝るのが恐いんだろう。
それは理解できる。
理解できる、が。
「一緒の布団は、まずいだろ」
夜通し付きっきり一緒に。
とかならまだわかる。
だが、世良が言ったのは、抱き枕。
当然、一緒の布団で寝ることになる。
幼馴染みとはいえ、俺たちも高校生だ。
一緒に寝るなんて、そうそうあることじゃない。
それなのに、世良は安心しきった顔で寝ようとしていた。
俺を男と認識してないんじゃないかって思うぐらいに。
「はぁ。まあ、いいか」
世良が意識していないというのなら、俺も考えるのをやめよう。
そもそも、世良はそんな邪な気持ちでこんなことを言ってきた訳じゃないんだろうから。
まあ、俺もそんな邪なことは考えてないが。
よし、寝よう。
……。
いや、やっぱり無理だろ。
心臓の音がうるさくて、寝られる訳がない。
すぅ、すぅ。
と可愛い吐息が聞こえてきて、目を瞑れば、それがより際立つ。
世良って、意外と可愛いのか。
なんて、普段は考えないようなことまで考えてしまう。
仕方ない。
今日は寝ないで過ごすか。
俺は寝るのを諦めて、世良に背を向けた。
「ねぇ。覚えてる?」
「ん?」
もう寝たのかと思っていたが、後ろから世良の声が聞こえてきた。
眠そうで、小さな声だったが、静かな部屋の中ではよく聞こえる声だ。
「昔、お化けが怖くて寝られなくなったこと」
「あー、あったな、そんなこと」
小学生くらいの時か。
世良が俺の家に泊まりに来ていた時。
俺たちは偶々やっていたホラー特集のテレビを見て、怖くて寝られなくなることがあった。
俺も世良も、小学生にもなって、怖いから親と一緒に寝たい、なんて言えなくて、2人で寄り添いながら寝たんだったな。
「あの時は、あんたと一緒にいてもずっと怖かったわ」
「頼りなくて悪かったな」
その日は結局、2人して朝まで眠れなくて、寝不足になった。
まあ、2人でいても効果がなかったってことだ。
男として不甲斐ないって話なら、俺は何の反論もできないエピソード。
だが、どうやら、世良はそういう話をしたい訳じゃないらしい。
「あの時も、ずっと怖かった。泣きそうで、見えない恐怖に震えていたわ」
世良の声は、とても穏やかなものだった。
「でも、あんたが一緒にいたから乗り越えられた」
俺は世良の方に振り向く。
世良は、いつのまにか目を開けていて、真剣な表情で俺を見ていた。
「あんたは頼りないわ。それは変わらない。見ていても危なっかしいし、期待できる実績なんて何もない。でも、あんたがいるから、できることもあると思う。そう思わせてくれる」
俺を見る世良の顔はすごく綺麗で、俺は思わずそれに見とれてしまった。
「あの出来事は、あんたのせいじゃない。奈那先輩のせいでもない。ただ、運が悪かっただけ」
「そんな訳……」
ないはずなのに。
だが、世良は、首を横に振る。
「だって、こんなに私は落ち着いていて、安心できてる。それが答えでしょ。多分、奈那先輩も、同じだったんじゃない?」
安心する。
そういえば、そんなこと、奈那先輩にも言われた気がする。
「本当に、私は大丈夫だから。だから、少しは私に頼りなさいよ」
「え?」
フワッと世良の香りに包まれた。
何が起きたのかと思ったが、どうやら俺は世良に抱き締められているらしい。
「世良。この体勢は、何だ?」
「んー? 別に」
問いただしても、答えは返ってこない。
結構な力で抱き締められているので、本気で抜けようとしないと抜け出せなさそうだ。
頭が固定されていて世良の顔も見れない。
逆を言えば、俺の顔も見えないということだが。
「別に、何でもないけど、落ち着くでしょ?」
「いや、これは……」
世良は身長が低く、全体的に小さく見えるが、スタイルはかなり良い方だ。
そんな世良にこんな無防備に抱きつかれたら、柔らかいのが当たって。
「何、意識してんの?」
「し、してねぇし!」
さっきの憂いを帯びた表情を思い出して、顔が熱くなる。
必死でそんな雑念を振り払おうとしていると、上から優しい声が落ちてきた。
「わかってるわよ。あんたが、奈那先輩をどれだけ好きなのかぐらい」
言いながら、世良は俺を抱き締める手に力を込める。
「何も言わないし、何も聞かない。何も見ないから、少しぐらい力を抜きなさい。じゃないと、何も考えられなくなるわよ」
どこまでも優しい声は、すとんと俺の胸の中に落ちていく。
自分でも気付かないうちに、体に力が入っていたらしい。
言われた通りに力を抜くと、次第に視界がぼやけていった。
「あんたがどれだけのものを背負ってるのか、それは私にはわからないかもしれない。けど、私だって、あんたを支えることぐらいはできるんだからね」
ポンポンと背中を叩かれる。
それで堪えられなくなった。
奈那先輩を救えなかった後悔。
世良を救えなかった後悔。
すべての原因が自分にあるという絶望。
許されることのない罪が俺にあるんだって思ってた。
決して、許されない罪が。
泣く資格なんて、俺にはないと思ってた。
泣くことを許されないと思ってた。
それでも、もし、その気持ちを吐き出していいのなら。
そう思ったら、もう、止まらない。
「う、うう」
すべてを包み込んでくれるような世良の優しさに俺は甘えてしまう。
止まらない涙は、世良の服を濡らして、世良が仕方ないわね、なんて笑って、俺はそれだけで救われた気がする。
俺は、世良に頼ってばかりで、申し訳ないことばかりで、そんな自分が情けなくて、助けられなかった自分が許せなくて、今度こそ、助けなければ、そんな思いが、強く、重く、俺の心にのしかかった。
「俺は、絶対、諦めない」
俺の小さな声は、世良にも届いた。
「うん。わかってる。私も協力する」
そう言ってくれた世良に、俺は本当に救われた気がした
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