鋭敏

「かもしれないけど……」


 間違いなく飛彩は不調を隠す、それを蘭華は経験則で理解していた。

 特に蘭華の前で弱さを見せることはない飛彩に強く問いただしたところで徒労に終わるということも。

 心底心配しているが、さも気にしていないという様子を装って言葉を投げかけた。


「カクリみたいになんか代償があるかもしれないじゃない」


「ヒーローもヴィランも基本的に能力行使にリスクはねぇ。そもそも変身時間がリスクみてぇなもんだからな」


「その変身時間がないんだよ? 他の影響があってもおかしくないって」


「——詳しいことはわかんねぇ。メイさんが何とかしてくれるだろ」


 はぐらかすように呟いた飛彩はゆっくりと立ち上がる。

 自分の見たものがただの夢ではない、と感じていた飛彩は初めて左腕の力を恐れた。

 だが飛彩は恐れるわけにはいかない左手の拳を強く握りしめた。

 自分が守らねばヒーローを誰が守るというのだという覚悟のもと。


「飛彩……」


 座ったかと思えばすぐに歩き出したのは、飛彩の中で違和感が確信に変わったということなのだろう。

 続いて立ち上がった蘭華はすぐに飛彩を追いかける事が出来なかった。


「あんたがヒーローを守るのは分かってる……でも、あんたのことは誰が守るのよ?」


 苦しむ想い人をどう救えば良いのか、蘭華は非力な己を恨み唇を強くかんだ。



「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


「やぁぁぉぁぁぁぁぁぁ!」


 ある日の体育の授業。


 数クラス合同で行われる授業で飛彩はいつも手を抜いていたが、翔香との競争になるや否や全力疾走を何度も繰り返している。

 身体を動かしている間は余計なことを考えなくて済む、と現すかのように。


 元気な様子を見せているが、何も解決していない現状に蘭華は物憂げな視線を送り続けていた。


「隠雅って、あんなに足速いのか」


「レスキューイエローやってる走駆さんと同等、いやそれ以上……?」


 クラスメイトたちのどよめきが波紋のように広がり続けている。

 仕事柄目立たない方がいいと考えている蘭華は、わずかに百メートル走で翔香に負けた飛彩に歩み寄った。


「飛彩、皆に怪しまれてるからもう少し手を抜いて」


「あ? 護衛対象より弱くてどうすんだよ!」


「声がデカい!」


 蘭華のソバットという凶悪なツッコミを打ち込まれた飛彩はゴロゴロと地面を転がる。

 その様子を翔香は笑いながら眺めていた。


「運動神経は私の勝ちだねー」


「んだとテメェ!」


「コラ飛彩! 翔香ちゃんも挑発しないで!」



 起き上がり翔香へ詰め寄ろうとした刹那、飛彩はその場から飛び退いた。

一気に上昇した心拍数のせいで耳に鼓動がへばりつく。



「ちょ、ちょっと隠雅? 冗談だよ、そんなマジにならないでって」


 困った様子の翔香と呆れ果てている蘭華。

 二人には何も感じなかったところから自分にだけ向けられた「殺気」のようなものにどんどん鼓動が早まっていく。

 しかし、感じた何者かの瞳は影を潜めてしまった。


 恐らく飛彩が勘付いたことで一旦退いたのだろう。

 敵対する存在の気配が遠のいたことで、緊迫した状態から解放される飛彩。

 走り回っていた時よりも酷い汗に自分自身怯えすぎだと反省した。


「……過敏になってるだけか?」


 戦いに身を投じるようになって数年。

 ここ最近は命に関わる戦いが多かっただけに、一瞬の気の緩みも許されなかった。


「……」


 ただ、先日の白昼夢で味わった恐怖が現実のものになったかのようで嫌な汗で体操服がじっとりと汗ばんだ。

 しかし自分はヒーロー何人も守ってきた存在だ、と気合を入れ直し再び翔香たちの元へ歩いていく。


「走駆、次はぶっ潰すからな?」


「はいはい、私も負けないからっ!」


「あー、体力馬鹿に付き合ってたら身体のスペアが必要になっちゃうわ」


 変な反応を示した飛彩を追求することなくいつもの調子に戻し、授業を筒がなく行う学生へと戻っていく。

 再び全力疾走を繰り返す飛彩と翔香だったが、結局この日は一度も翔香に勝利することは叶わなかった。

 本調子じゃない、ずっと何かを引きずっていると蘭華だけがそのことを理解出来た。



 そして訪れる放課後。

 護利隊の移動の要として重宝される一学年下の浮星ふわぼしカクリは眠たげな表情をより一層強いものにして、ホームルームに臨んでいた。


 空間移動の連打でどうにも疲れが溜まっているらしい。

 もともと展開力を即座にするかわりに一切の戦闘能力を有さないカクリは、一般人より非力なのだ。


 まだ陽は沈んではいないが、傾きかけてきた光が窓際にいた少女を幻想的に照らした。

 不思議ちゃんな上にたまに授業をサボったりもするが、美少女なカクリは男子からの熱い視線を常に受けている。


 のらりくらりとした彼女とまともに会話をしている男子はほとんどおらず、常に連絡先を聞こうとする男子達が虎視眈々と彼氏の座を狙っているのだ。

 今日ももれなく男子たちが我先にと声をかけようと机から駆け出そうと身体を傾けている。


「では、また明日。最近物騒だからさっさと帰れよー」


 気の抜けた女性担任が教室を出た瞬間、カクリを狙う男子たちは一斉に立ち上がる。

 眠そうにしていたカクリも机が立てる音に気づいて寝ぼけ眼を向けた。


「ふにゃ……」


「ふわぼ……」


 男子たちが一斉に声をかけようとした瞬間、担任が出て行った方とは違う後ろの出入り口が大きな音を立てて開いた。

 少女を狙う愛の戦士どころか教室の視線が全てそこへと集中する。

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