「しせい(死生)」「マスク」「井戸」 作・平田貞彦

昔むかしあるところに、小さな村があった。村の人々は決して豊かではないが、それでも平穏な日々を愛し、営んでいた。

しかし、ある時、村を大規模な日照りが襲った。苛烈な日差しは何日間も降り注ぎ、あまりの暑さに村の井戸はすべて枯れ果て、蓄えの水がめのすべてが空になり、とうとう、人々の生きる糧である水を村から一掃してしまったのである。

これには村の人々は大層困り果てた。水が無ければ生きてゆくことはできぬ。作物は枯れ、喉は乾き、やがてすべてが死にゆくだろう。人々は顔を突き合わせて悩んだ。しかし良い策が出ぬ。

そんな時、村に旅の僧がやってきた。人々は歓迎し、僧に事情を話し、知恵を求めた。必死に頼む村人を見て、僧はしばらく考えたあと、こう提案した。「今から新しい井戸を掘りましょう。」

村の人々は困惑した。井戸を新しく掘るとなるとそれなりに時間はかかるし、何よりどこを掘れば水が湧くのかわからない。それに、井戸を掘れるような力のある若い衆は暑さにやられてほとんどが寝込んでいる。これでは新しく井戸を掘るなど夢のまた夢である、と。

しかし、僧は自分ひとりで井戸を掘ることができると宣言し、村人がその真意を問う間もなく村の裏手の山へと登って行ってしまった。村人はただ信じて待つのみであった。

翌日、いよいよ人々が渇きのために苦しみ始めた頃、山からぼろぼろになった僧が降りて来た。彼を迎え入れた人々が「井戸は掘れたか」と問うと、彼はゆっくりとうなずいた。

僧がいう場所に村人たちが駆け付けると、確かにそこには井戸があった。覗き込むと、底になみなみと水が湧いているのがみえる。久方ぶりの水を味わった人々は大喜びして僧に感謝したが、彼をもてなそうと村に戻ったときには、僧はすでに村から旅立っていた。見返りを求めぬ僧の心意気に、人々はいたく感動したという。




ここで、しばらく時を戻って、僧が山に登った頃。僧は大層困り果てていた。困っている村人たちを黙って見捨てることができず、ああ言ってしまったものの、今から井戸を掘るなどできるはずはない。だからといって断ることもできなかった。僧は優柔不断であった。

僧は悩んだあげく、見せかけの井戸を掘ることにした。そして、村人がその井戸に注目している間に逃げ出してしまおうと考えた。僧にあるまじき考え、だが、そうするしかない。思えば、自分が出家したのもそんな見せかけのためであった。信心などほとんどなかったが、正体を隠して生きるには格好の隠れ蓑であったのだ。生きるにはそうすることが必要だったのだ。

彼は必死に石を積み、穴を掘って見せかけの井戸を完成させた。一晩の所業とは思えぬほど立派なものが作り出されたのは僧の必死さのためだろうか。おかげで身体はぼろぼろになってしまったが、僧は気にする余裕もなかった。気づけば朝である。急いで村へ降り、村人たちに井戸を掘ったこととその場所を伝えて、僧は村を逃げ去った。歓迎してくれた村人への申し訳なさと責任を逃れた安堵で涙が出そうだったが、あいにく身体は渇ききっていた。



この二つの話を聞いてみなさんは大変当惑されたことと思う。井戸は見せかけであったはずなのに、どうして水が湧いていたのだろうか、と。わかっていることは、僧が姿を消したこと、村が救われたこと、そして日照りが終わってしばらくした頃、井戸から水を汲もうとした村人が、井戸から僧の水死体を引き上げたことのみである。

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