後日談:アーニーって呼ばないで 後編

「わあああああああああっ!」


 息が続かなくなったところで叫ぶのをやめた。だがまだ落ち続けている。


(こんなことになるならさっさと校歌を歌っておけば良かった!)


 後悔先に立たず、だ。

 地下水道に落とされた時のことを思い出す。あの時は師匠のスーツケースが滑りこんできて、水に落ちる前に支えてくれた。だが今は?


(この下がどこなのかによる……っ!)


 体をねじって目線を下にやった。

 遠くに小さな光が見える。どうやらどこかに繋がってはいるらしい。アーネストは杖を握りしめて願った。どうか安全な場所でありますように――!

 光はどんどん大きくなって、やがてアーネストの視界にパァッと景色が広がった。


「っ!」


 真っ先にシャンデリアが目に入った。

 というかシャンデリアの上に落ちた。


「うぐっ!」


 火が灯っている蝋燭の上でなかったのは不幸中の幸いと言っていいかもしれないが、それでも細い鉄の上だ。腹がアームに食い込んで吐きそうになったが、どうにかしがみつく。飛び乗った衝撃で古いシャンデリアは大きく左右に揺れた。

 その下で悲鳴が飛び交っている。

 少し冷静になったアーネストが周りを見回すと、そこはカレッジの食堂だった。夕飯時だったが、ピークは過ぎているらしく、先生は誰もいないし生徒も少なかった。


 が、


「おーい、何やってんだよアーネスト!」

「どっから落ちてきたのー?!」


 食堂で落ち合おう、と約束していたおかげで、ヴィンセントとダニエルが揃っていた。いつもの二人がいつものように声を掛けてくれるだけで、アーネストはすっかり元気を取り戻した。


「ちょっと遭難しかけて、気付いたらここだった!」


 と返して、ふと、


(……あれ、これどうやって降りるんだ?)


 アーネストはアームによじ登り、鎖の一本に掴まりながら首を傾げた。高さはそれなりにある。軽率に飛び降りたら軽傷では済まないだろう。


「ねぇ! これどうやって降りたらいいと思うー?!」

「知るかぁっ!」

「先生呼んでくるねぇー!」


 ヴィンセントが怒ったように怒鳴り返して、ダニエルはサッと踵を返した。

 呑気に手を振って、ダニエルが食堂を出るのを見送る。「呑気にしてる場合かよ!」とヴィンセントが下で足を踏み鳴らしていたが、他にどうしようもないのだから仕方ないだろう、と肩をすくめる。


 その時だった。


 ミシリ、と嫌な音が少し上で鳴った。


(……ん?)


 バキンッ


「うわっ!」

「アーネスト!」


 持っていた鎖が切れた。

 バランスを崩して転倒して、


「っ!」


 落ちるギリギリのところでアームを掴む。

 方々から悲鳴が上がった。

 アーネストは斜めになったシャンデリアにぶら下がる形になった。鎖は中央の一本と、そこから残り二本が伸びているが、それだっていつまでもつものか。左右に揺れているのがさらに負担を掛けているに違いない。


(ヤバいっ……これはヤバい、ヤバいっ!)


 アーネストは唾を飲み込んだ。手汗がにじんでくる。


「アーネスト!」


 ヴィンセントの声だ。


「手ぇ離せ! 飛び降りろ!」

「はぁっ?!」

「そのまま鎖が全部切れたら、シャンデリアの下敷きになるぞ!」

「っ……!」


 ヴィンセントの言う通りだ。上に乗った状態で鎖が切れたならまだ良かったかもしれない。が、ぶら下がった状態の今、鎖が切れたら間違いなく下敷きになり――下敷きになった方が、飛び降りた時より重症になることは想像に難くない。


「サポートする! 三数えるからそしたら手ぇ離せ! いいか?!」

「……分かった!」


 アーネストは腹を括った。何にせよ下敷きになるよりはマシだ。


「行くぞ! 三! 二!」


 一、と聞こえた瞬間、もう一本の鎖が切れた。

 ガクン、と傾いた衝撃で手が滑った。


「あっ……」

「っ、ふ、『ふんわり浮遊floating』!」


 少し動揺したようなヴィンセントの詠唱が、けれどきっちりアーネストにかかった。落下のスピードががくんと落ちる。落下自体は続いているが、パラシュートを付けているかのようにふんわり浮かんでいる。

 その間にアーネストは体勢を整えて、


「っ……もう……無理っ!」


 支えきれなくなったヴィンセントが魔法を放棄した時にはしっかり足から着地する体勢になっていた。

 魔法が切れて重力を思い出した体が真っ直ぐに落ちる。

 彼を追いかけるように、頭の上でバキンッ、バキッと立て続けに音が鳴った。


(やばっ)


 アーネストは着地すると同時に、ヴィンセントへタックルを掛けるように飛び付いた。

 ヴィンセントもアーネストの首根っこを掴んで思い切り後ろに後退したから、二人は重なって倒れた。だがそれでもぎりぎり下敷き圏内だ。


 ――シャンデリアが落ちる。


「『防壁guard』!」


 ガッシャーンッ!


 破砕音。悲鳴。

 アーネストは来るべき痛みが来なかったことに困惑して、パッと起き上がった。


「ひぃ……間に合った……」

「ダニエル!」


 二人の前で『防壁』を展開していたダニエルがへたり込んでいた。


「ありがとうダニエル! 助かった!」

「ギリギリだったねぇ……ふぅ……」

「ヴィンスも――いてっ!」

「何やってんだよ本当にお前は! ったく、寿命が縮んだ!」

「悪かったって……」


 ヴィンセントにはたかれた頭をさすりながら振り返る。


 と、


「やあ、問題児たち?」

「……バロウッズ先生」


 満面の笑みを浮かべたバロウッズ先生が立っていた。先生はいつも笑顔でいるが、笑顔にも種類があるのだ。アーネストはよく分かっていた。


 今のこの笑顔は怒っている時の笑みだ。


「反射神経の良さは褒めてあげよう。修業の賜物かな?」


 三人はこくこくと頷いた。


「しかし、戻ってきて二日でこの騒ぎとは……これも修業の賜物だね?」


 ダニエルとヴィンセントがこちらを向いて、アーネストはそっぽを向いた。はっきり否定することは出来なかった。師匠に教わった通路を使った結果がこれなのだから。


「シャンデリアは明日明後日で取り替える予定だったから、破損についてはまぁいいとして。とりあえず三人に怪我がなかったことは何よりだ。――アーネスト、君は罰として厨房掃除の手伝いを明日から一週間、毎日放課後に行くこと」

「はぁい」


 アーネストは口をすぼめて頷いた。


「まったく、問題児は困るな」


 と笑ったバロウッズ先生は、言葉に反して楽しそうな笑顔をしていた。


 †


「で、お前らは上手くいったわけ?」


 自室に戻ってアーネストが聞くと、二人は得意げな顔で頷いた。


「当然だろ」

「バッチリだよ!」

「結果は明日の朝、だけどな。完全犯罪だ」


 それなら自分が体を張ったかいもあった、とアーネストは満足して頷いた。


 何かと突っかかってくるジェフリー・ネイピアとそのご一行様に、仕返しをしたくてたまらなかったのだ。

 弟子入り()したあの日も、しつこくアーネストを「やーい落ちこぼれ、問題児!」「むしろ君のおかげで、キャベンディッシュ氏はもっと勢いづくかもね」「“これだから魔法使いは管理制限するべきなんだ”って!」などとなじってきたから、つい殴りかかってしまって師匠に止められたのだった。


 それが不完全燃焼を起こしていた。

 もっと前からの恨みつらみも溜まっていた。


 だが、仕返ししようにもなかなか出来ずにいたのだ。彼は無駄に魔法の才能があったし、下手につつくと本当にネイピア長官に告げ口されて、そこからミル先生あたりに誇大された報告がいって、厳重な処罰がやってくるに決まってるから。


 ヴィンセントがベッドに寝転がった。


「いやー、本当に、良い魔法を教わったよな」

「『静電気』な」


 アーネストもニヤリと笑った。


 人体にしか効かないあの魔法。無機物にあらかじめ掛けておけば、人が触れた瞬間に・・・・・・・発動する・・・・トラップになる。

 威力は大したことないが、それでも、何かに触れるたびに必ず・・静電気が流れたら、嫌になるに決まっている。

 明星寮ヴェヌスへの忍び込み方は師匠が話してくれた通りだ。あとはアーネストが囮になってジェフリーたちを引きつけ、その間にヴィンセントとダニエルが侵入して、手当たり次第に魔法を仕掛けてきたというわけだ。


 今頃彼は静電気でバッチバチになって、混乱して喚き散らしているに違いない。


「ちゃんと追跡妨害魔法もしてきたし」

「証拠は何一つ出ない。言いがかりを付けてきても無視しておしまい、だ」

「へっへーん、最高だねぇ」


 三人はハイタッチをして、それぞれのベッドにもぐりこんだ。


「……夏休みぐらいに、もう一回会いたいね」


 とダニエルが呟いた。

 誰に、とは言わなくても全員分かった。


「いつ行ったっていいだろ、正式な弟子なんだから。イースター休暇だってあるんだし」

「あ、いいねぇそれ!」

「次は何教えてもらおうかな」


 ヴィンセントはもう行く気満々だ。


(イースター休暇、か……)


 アーネストはぼんやりと考えた。イースターで家へ帰ったら、きちんと話そう。そうしてから、心置きなく師匠のところへ遊びに行こう。

 わくわくすることがなくっちゃ現実は乗り越えられないのだ。


「楽しみだな」

「うん!」

「まぁな」


 素直に頷いたヴィンセントがひょいと腕を伸ばして、電気を消した。


『――心と行動は、一直線で結ばれているわけじゃないんだよ』


 暗闇の中で、アーネストはふとヘンウッド先生の声を思い出した。

 車でトーの丘のふもとにまで連れていかれて、その後だ。どうしてもヘンウッド先生が敵対していることが納得いかなくて、けれど脅されて動いているようにも見えなくて、プレイステッドが席を外した隙に問い質したのだった。


『先生は師匠の親友なんだろ? なのになんでこんな、師匠を傷付けるようなことするの? 先生、師匠のこと嫌いじゃないでしょ? 一緒にいる時、ずっと心から心配してたよな?』

『……君はよく見ているね』


 ヘンウッド先生は弱々しく微笑んで、縛られたアーネストの手をそっと握った。


『嫌いだから傷付ける、というのは分かりやすいよね。でも、人を傷付ける理由はそれ以外にもたくさんある。羨ましいから、とか、怖いから、とか。――心配だったり、大好きだったりすることも、傷付ける理由になれるんだよ。分かりにくいかもしれないけど』

『……』

『僕は、心配だからこそ、これから、アーチを、ひどく傷付けるんだ』

『先生』

『心と行動は、一直線で結ばれているわけじゃないんだよ……』


 そう言いながら、ヘンウッド先生は許しを乞うみたいに、深く深く俯いたのだった。アーネストは何も言えなかった。先生の手から伝わってきた感情は、いろんな種類のものがぐちゃぐちゃに混ざっていて、あまりにも複雑すぎて、これとハッキリ言うことは出来なかった。


(先生の言ってたこと、分かるようになる時がくるのかな……)


 心配だからこそ傷付ける。大好きだから傷付ける。

 そんなことが本当にあるのだろうか。


(……ごめん、先生。そんなこと信じられないよ。俺だったら、絶対に傷付けない。心配だから、大好きだから、傷付けたくない。たぶん、一生分からないんじゃないかな)


 分からないのが良いことなのか悪いことなのか、それもなんだか曖昧で、もやもやしたままアーネストは目を閉じた。

 眠りの波はいつもと同じように、彼をそっと連れ去った。




 おしまい

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