第109話 超人戦争 1
ネーベイア軍は王都を発ち、アッカダ子爵領を抜けて、ワルトール侯爵領へと向かっていた。
その兵数は五万。中核はネーベイア軍であるが、ロッシ大公家の軍も同規模加わり、諸侯の軍が残りを占めている。
西方への遠征において、軍の士気は高かった。それは最近行われた、ロッシ家の後継者争いの顛末を知っているからだ。
あれで多くの貴族家が没落し、新興貴族が誕生したり、家を継げない子弟が家を作った。
西方でも同じことが起こると期待する、貴族の子弟は多い。
マッシナ大公家の存在する西方は、ガラハドのような強大な隣国は、あるにはあるが岩砂漠地帯がそれを阻んでいるため、戦争にまで発達したことはここ数世代はない。
南は海に面した部分が少しあるが、海からやって来る敵は海賊が多く、それほどの数ではない。また南部は南部で、西とは違った防衛線がある。
よってただでさえマッシナ大公家の軍は弱く、さらにワルトール侯爵家が存在するため、東のロッシ大公家ほどの勢力は持たない。
それでも防衛戦の有利さにより、七万の兵力は用意出来た。
ワルトール侯爵領内で、ネーベイア軍は陣を張った。
ダイタンまでは進行しない。友軍とは言えこの規模の軍が間近で駐留するのは、いらぬ緊張を与える。
先行するのはアーリアの騎兵隊だけである。そもそも面識があるので、彼女が最適任でもある。
今回の軍の総大将は、ハロルドである。
戦略や戦術はアーリアを筆頭に他の者が考えたが、最後にそれを承認するのは彼である。
今後のアルトリア王国内での活動のためにも、彼には軍事的な実績も積んでいてほしい。
そんな思惑からの人事である。
実際のところ、ハロルドは二人の兄ほどではないが個人の武勇に優れ、軍政面ではむしろ上回る。
決定的に不足しているのは、指揮官としての実績なのだ。
アーリアの目から見て、この小器用な兄はそれもそれなりにこなしそうだが、彼に求められているのはそういった才能ではないのだ。
勝てばいい。そして勝たせるのはアーリアの役目だ。
勝つために必要なのは、正確な情報の収集である。
アーリアの出した斥候兵に加えて、ワルトール侯爵となったアンドレからも、連絡が来ている。
マッシナ大公家の軍は、ゆっくりとワルトール領へ向かっているようだ。
おそらく決戦の場は、かつて複数の貴族家を相手とした、あの平原になるようだった。
一度経験した戦場は、アーリアもしっかりと憶えている。
両軍合わせて10万を超える大軍の戦場としては、やや狭い気もする。
「森の中を進むか、迂回して挟撃するか……」
アーリアの呟きに、様々な声が案を出してくる。
大方は凡百の言に過ぎないが、かといって無視するほどの愚策でもない。
アーリアは考える。この戦争の勝利条件を。
簡単だ。ゲオルグを政治的に再起不能にすればいい。
戦争で権力基盤を全て奪い取るのもその一つの手だが、それよりももっと直接的なのは、命を奪うことだ。
ゲオルグには妻子がいるが、そこまで皆殺しにする必要はあるだろうか?
敵も味方も、王家の一員であることには変わりはない。ならば現在王座を目指す王族以外は、そこまで無理に族滅する必要はない。
そう、簒奪を考えるネーベイア以外には。
兵の質においては、戦争経験の多いネーベイア軍が優っている。
指揮官の質も、新たに領土を得ようという下級貴族の士気は高いし、戦闘を経験した者が多いため優っている。
何より最高指揮官と、装備の質で圧倒している。
数だけは揃えたようだが、遠距離攻撃と高速移動、高い防御力を備えて戦術の確立された軍相手に会戦をするのは、三倍の兵があっても厳しいだろう。
篭城? そんなことをすればこちらが調略をかけて、内通者を作るだけだ。
兵站が確立されていなければ長期包囲は難しいが、少なくともワルトールからの街道は整備されているため、補給もそれほど難しくはない。
相手の動きが遅いのは、練度の問題だろうか。
「一軍をもって先行し、戦場の要地を占領します」
アーリアの宣言に、我も我もと群がる貴族諸侯であった。
日が没し太陽の残滓が地上から消える。
アーリアの騎兵を中核とした舞台は、戦場予定地に到着していた。
騎兵を分けて四方へ向かわせ、アーリアは戦場となる場所で、最も高い丘の上に陣取る。
騎乗する彼女の横には、徒歩で馬に付いてきたレオンの姿があった。
「気付いてるか?」
無口な彼がようやく口を開き、アーリアは頷く。
「かれこれ一週間かな」
何者かの視線と、緻密に隠蔽された魔法の探査を、アーリアは感じていた。
先に気付いたのは、ティアであった。
「ものすごく美味しそうな血の匂いがする」
そう言ったのは、アーリアがまだダイタンに入る前の時点である。
今回の戦いは、ティアの出番はないはずである。人間の軍同士の戦闘は、通常昼間に行われる。夜間の奇襲がないわけではないが、そう頻繁に行われるものではない。
だが彼女がそう言ったために、アーリアは改めて周囲を確認し、その監視者に気付いたのだ。
レオンは今まで口にしなかったが、ティアであっても血の匂いに反応したのであって、監視者の気配を感じたわけではなかった。
純粋に魔法的な隠蔽で、視覚的にも聴覚的にも、また魔力的にも隠蔽をしている。
アーリアが相手でなければ、絶対に気付かないほどだ。
「心当たりは?」
「あるけど……どれだ?」
一番妥当であるのは、マッシナ大公が雇った凄腕の暗殺者といったところか。
だがそれは、この場における物語としての必然性はともかく、偶然性に頼りすぎているとも思う。
他には、アーリアが狙う神の使徒。これは何時来るか分からないので、この状況で来てもおかしくはない。
あとは神殺しのエグゼリオン、大魔王ジーナス、セクトールの聖騎士あたりか。
……さすがに敵を作りすぎているというアーリアの反省然りである。
しかし魔王ロカも、使徒マヘリアも、アーリアに対して明確な殺意は持っていなかった。
ジーナスは善なる大神に帰依する全ての国家や民衆と対立しており、エグゼリオンも神々に祈る人間とは関係が悪い。
するとセクトールの聖騎士というのが一番無理がない。
ロカやマヘリアは退いたが、前の聖騎士はマヘリアによって討たれている。
そんな事情を知らないセクトールが、また聖騎士を送り込んでくるというのは、無理のある話ではない。
ただ、それだと事態は悪い。
「一人で来てるとは思わないんだよね」
前に聖騎士が敗れている以上、あちらは警戒しているはずだ。
さらに脅威度の高い聖騎士が、複数で来ているとしても当然のことである。
「だが、もう日は沈んだ」
レオンの言う通り、少し後方の荷馬車で、ティアが棺から出た頃だろう。
彼女が合流すれば人外の力を誇る超越者が三人。セクトールの騎士が二人で来ても余裕で勝てる。
だが、そうすんなりとはいきそうにない。
「嫌な気配だ」
無表情ながらもレオンの闘気が、戦闘用のものに変化していく。
わずかならがも次第に上昇してくる強大な気配に、アーリアも剣を抜いた。
「オイゲン! 全斥候部隊に連絡! 後方の本隊と合流しろ!」
「姫様は!?」
「先に行け!」
こう言われてすぐに行動するのが、オイゲンのいいところである。
自分で考えるより、アーリアの考えに従った方がいいと、経験則で知っているので、無駄なやり取りが少ない。
散らばっていた斥候に、念話の魔法で撤退を指示し、アーリアは馬から下りてレオンと並んだ。
「ほら、お前も先に帰っていなさい」
鼻面を撫でられた馬も、素直に東方へ去っていく。馬は時折、人間よりも賢い。
念話で呼んだティアが来るまで、それほどの時間は必要ないだろう。
「今のところ、探知範囲内には一人」
「だがこの圧力はなんだ? 竜種と同等か、それ以上だ」
こいつ竜と戦ったことあるのか、と呆れるアーリアであるが、何かが迫っていることは確かだ。しかも二つ。
(片方は……幻獣か? それともう一つは人間っぽいが……)
気配だけで探るには無理がある。アーリアは戦闘に意識を向けたまま、身体強化の魔法を活性化させる。
丘の上から見える、はるかな西の森。
そちらから駆けて来るのは、巨大な生物だ。
「狼型の幻獣だな」
木々を砕きながら接近するのは、白い毛並の幻獣種だ。
おそらく竜種と同程度の強さはある。
「背中に二人、それに自分の足で走ってくるのが一人」
森を抜けた一行は、瞬く間にアーリアたちの前に到達した。
そしてそれと同時に、アーリアの横に降り立つティア。
「これ、どういう状況なわけ?」
「まだ私にも分からない」
人数だけを言うなら三対三。ただ幻獣の脅威は絶大だ。
対して二人の少女のうち片方は、もう一人にお姫様抱っこされながら、幻獣の上から降りる。
(片方は使役者か? それなら実質は二人と一匹。いや、使役者の戦闘力が低いなら、一人は護衛役か?)
それなら三対二で戦えるな、と思った次の瞬間に、背後で莫大な魔力の高まりを感じた。
(こいつは今まで気配を消していたやつか)
これで三対三。
しかし相手は一人を除いて、女である。
その装備もメイド服を改造したようなもので、それはある人物を想起させた。
マヘリアだ。すると目の前のこいつは。
フードから顔を出したその男は、見事な赤い髪の、中性的な美形であった。
「アーリア・ネーベイアだな?」
「違います」
「アーリア・ネーベイアだな?」
「違います」
「アーリア・ネーベイアだな?」
「違います」
「アーリア・ネーベイアだな?」
「違います」
「アーリア・ネーベイアだな?」
「違います」
「アーリア・ネーベイアだな?」
「違います」
「アーリア・ネーベイアだな?」
「違います」
「アーリア・ネーベイアだな?」
「……」
根負けしたアーリアは、無言で回答とした。
「そちらは神殺しのエグゼリオン?」
「ああ」
最悪である。
この大陸において――いやおそらくこの世界において、最強の戦士。
それがどうしてここまで出張してきたかとは、まずアーリアに用があったのであろうが。
どう戦うかと覚悟を決めるアーリアに対し、エグゼリオンは長剣を抜く。
(あ、ダメだ)
エグゼリオン相手には、自分では勝てない。
アーリアの分析は早かった。
エグゼリオンの持っている剣は、レオンのそれと同じレベルだ。
「ごめんレオン、相性が悪いからあっちの相手をお願い。足止めでいいから」
「別に倒してしまってもかまわんのだろう?」
「……いや、本当にね。あいつの持ってるの、神剣だよ」
どこかで聞いたような台詞だと思ったが、アーリアの見立てでは、レオンでもエグゼリオンには勝てない。
純粋な剣術だけでも、せいぜい互角がいいところだろう。伝説になった存在相手というのは、いかな超戦士レオンと言えど、勝率は低い。だが時間稼ぎなら一番向いているだろう。
「ティアは後ろを。魔法も剣も使えるタイプのはずだから」
「うい。任された」
ティアが鉤爪を伸ばす。それに対したエクレイアは、やはり剣を抜く。
だがそれは、剣ではなかった。
刃が分かれ、特殊な鋼線でつながった、鞭のような形状になる。
「また古い武器を……」
古い時代に廃れた武器だが、エクレイアが使徒になる前は、よく使われていた物である。
そしてアーリアは、幻獣種一体と、護衛の少女を相手にすることになる。
この中で一番勝率が低そうなのは、レオンである。
アーリアと対処しているのが、おそらくはシルフィア。話に聞く限りでは、それほど戦闘力は高くないはずだ。
しかしアーリアは、魔力にも個人の技量にもよらない、強力な攻撃手段を忘れていた。
兵器だ。
「マテリアライズ・ガンウェポン」
そう口にしたシルフィアの手に、拳銃が出現する。
「な……」
この世界に拳銃はない。ネーベイアでならば作れなくはないが、まだ精密な部品を量産するのに技術が追いついていない。何より弾丸が高くつく。
はるかに進んだ文明を知るアーリア相手に、シルフィアはなぜ拳銃を使えるのか。
シルフィアの銃の発砲音が、戦闘開始の合図となった。
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