第6話 婚約破棄、歓迎します 2

 今後の展開についてアーリアが物騒な予測をしていた時、御者が声をかけてくる。

「お嬢様、前から……」

 小窓からアーリアが眺めれば、進行方向から多数の武装した兵士がやってくる。

 指揮する男を見て、アーリアは予想の一つが当たったと知る。

「父上」

 素早く馬車から降りたアーリアは、騎乗の指揮官へと声をかけた。


 他の兵士よりも二回りは上回る巨体。まさに山賊のような、顔が傷だらけの初老の男。雄々しい全身甲冑の戦士。

 ネーベイア辺境伯ゼントールは、愛娘の声に頬をほころばせた。しかしそれも一瞬。

「アーリア! 髪をどうしたのだ!」

 そう、アーリアは気絶するまで殴り続けたロベルトに、肩でばっさりと切断した黄金の髪を投げ与えたのだ。

 アルトリアの一般的な風習として、年頃の娘は髪を長く伸ばすのが常識である。それを短く切るというのは、俗世との決別を意味する。即ち神殿で神に仕える生活を送るというものだ。


 あるいは女を捨てる。つまり女騎士や女官僚にでもなったりするのだ。

「殺す」

 短絡的に考えたゼントールは、大槍を一回転させ、大公家の屋敷へ向かおうとする。

「まあ待って。別に神殿に入るわけじゃないから」

「当たり前だ。そもそもお前を受け入れるような神殿が、この世界にあるものか」


 細い手で太い父の襟首を掴み、アーリアはもう一度向き直らせた。

「髪を切った以上、しばらくは社交界に出なくても不思議じゃない」

 正確に言うなら、社交界には出たくない、ということだ。

「また領内をうろつき回るつもりか? 正直これ以上、治安の回復も領民の生活も向上しないと思うが」

 ネーベイア辺境伯領は、辺境だけあって治安を維持するのが難しかった。

 隣国の難民が流れてきて、盗賊となるようなこともあったのだ。

 戦争において逃げ出した兵士が盗賊となれば、その脅威度はさらに跳ね上がる。

 それを嬉々としてぶちのめし、矯正不可能なら抹殺、可能なら奴隷にしていたのがアーリアである。

 さすがに魔境にまで侵入していたことは、ゼントールにも言っていない。


 また農村や小さな街を訪れたアーリアは、その土地の特産品などの価値を高めてもいた。

 準戦時体制であるネーベイア辺境伯領が比較的豊かになったのは、ここ数年のアーリアの行動のおかげである。

 中央からの目が完全に離れる故郷で、またアーリアは放浪するのかとゼントールは思ったのだが。

「いや、そろそろ顔も知られてきたから、今度は西に行こうかと思うんだけど」

 その言葉にゼントールは目を剥いたが、言葉に出したのは冷静な意見だった。

「それも、悪くはないかもな。お前のことだからどうせ、どんな事件に巻き込まれようとも自分一人で解決してしまうのだろう」

 それはアーリアに対する信頼と言うよりは、既に単なる事実となっている。


 アルトリア王国は東と西を自国と同程度の大国に挟まれている。

 北方は小国家が領土を接しているが、山脈地帯が紛争が起こるのを妨げている。

 そして南方は海だ。残念なことにネーベイア領はわずかに海に達していない。

 出来れば南下して領地を拡大したいのだが、南方の貴族は古くからネーベイア辺境伯家とも良好な関係を維持していて、感情的にも名目的にも、そして純粋な利害関係においても、侵略するのは難しい。

 ガラハドの砦を占領して、そこから領地を拡大すれば、海に至ることも出来たのだが。


 西方の雄としてはザバック王国という国がある。

 文化的にはアルトリアとはかなり違いがある。曖昧な国境線は岩砂漠が広がっており、双方の侵略をしにくくしている。

 だが現在のザバック王が即位して以来、西方や北方に勢力を拡大している。いずれはアルトリアと敵対する可能性も高い。

 経済的なつながりは海路を通して存在するので、外交で抑え込んでいる状態なのだが。

「冒険者にでもなるつもりか?」

「今更冒険者もな~」

 冒険者とは何でも屋のことであるが、特に戦闘力のある、傭兵に近い存在だ。

 傭兵と違うのは戦闘以外の、物置の整理や下水道の掃除までしたりする、それこそ最底辺の作業までが活動内容に含まれていることある。

 もっとも高名な傭兵と同じで、高名な冒険者は騎士として仕官したり、貴族の戦闘技術師範として招かれたりもする。

 また一部の傾向の冒険者は違う呼び名で呼ばれる。


 何より冒険者の特徴と言えるのは、自由であることだろう。

 専門の傭兵と違って傭兵団に所属しなくてもいいし、気に入らなければ所属する街のギルドを変えてもいい。

 だがアーリアの行動を示すのなら、冒険者ではなく冒険家と言う方がやや近いのかもしれない。




 オイゲンに変わって馬車に乗ったゼントールは、愛娘と一対一で話すことになった。

「正直なところ、お前が最終的に何を考えているのか分からん」

 腕組みをした父の重々しい言葉に、アーリアはにへらと笑う。

「人生の目的を知るために、人間は生きてるんだと思うよ」

「馬鹿な」

 人はその社会の中で、何らかの役割を求められる。

 貴族であれば貴族として。農民であれば農民として。商人であれば商人として。

 風来坊の冒険者であれば、目的を見失って放浪することもあるのかもしれないが、それでもどこかに拠点を置いたりはしている。


 アーリアは違う。

 この娘の姿をした存在は、何か常人離れした、それどころか人間離れしたものを持っている。

 それでいて愛情は変わることはないのだが、果たして何をしてやれるのか、ゼントールは悩むしかない。

「まあ幾つかは考えてあるよ。一つは世界征服。一つは迷宮の踏破。一つは異世界への移動方法の発見」

「お前はアホか」

 真顔で言われたアーリアだが、何も気にしたりはしない。


 むしろこんな事態になって初めて、父親との進路相談が出来るというものだ。

 ……うむ、進路相談であろう。

「まあそのうちの世界征服は、過程であって目的じゃないかな。異世界への移動方法が分かるなら、それでもいい」

「異世界か……。お前の前世を探すつもりか?」

 この世界には、前世の記憶を持つ者がいる。

 それほど多くはない。しかし珍しくもない。その存在によって、この世界は歪な発展を遂げている。少なくともアーリアの目からはそう見える。

 アーリアがそうであることを知るのは、父以外には一人しかいない。


 アーリアの目的は、前世の世界を探すことではない。

「前世じゃなく……それよりもずっと前、この輪廻の最初を探している」

 そう言ったアーリアの目は疲れ果てていて、ゼントールは言葉を失った。


 何度も何度も繰り返し、その記憶は積み重なる。

 しかしながら最初の世界、最も懐かしい世界へは、たどり着くことが出来ない。

 あるいはその記憶が薄れていく。

 自分が、自分として生きた最初の記憶。あの世界の未来を知るために、今この魂は、アーリアとして生きている。

 前世の記憶を持つ人間は、この世界の歴史においても多い。しかし転生し続けるという存在は、寡聞にして知らない。

 むしろアーリアこそが、アーリアのみが、永遠にその記憶を持ち続けている。

 これは何者の呪いだろう。


「まあ、それはそれとして、ちょっと旅行はしてみたかったしね」

 一転して明るい表情を見せるアーリアに、ゼントールは首を傾げた。


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