墓荒らし(2)

 坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ。数々の武功に彩られた彼の生涯を知らぬ者はいない。


 征夷大将軍として北の蝦夷えみしを征討し、薬子の変では堂々たる行軍でいくさの勝敗を決した。そして数多の魔なる者共との闘いは、いまでも衆生の語り草だ。


 特に武官にとって田村麻呂は崇拝の対象であり、都の東の外れにある墓所は、彼らの聖地となっていた。その墓所が、墓荒らしに遭った。宿直とのいから戻ったばかりで眠っていた真霧さなぎりの父、季武すえたけも、その報せに一瞬で眠気を飛ばした。


 なにせ卜部の本姓は坂上さかのうえ。庶流ではあるが、田村麻呂は家祖に当たるのだ。


 最低限の支度を調える父に、真霧は同行を申し出た。家祖の墓所への狼藉を許してはおけぬ。元服前だが卜部の人間として、蚊帳の外にいたくはなかった。


 季武は息子の申し出を許した。夜叉丸やしゃまるのそばを離れないことを条件に、ではあるが。夜叉丸は父の随身ずいじんであるから、当然墓へも同行するのだ。


 蜘蛛丸に邸と母とを任せ、三人は羅生門へと向かった。墓は門のすぐ外にある。都から出ると道の先に人だかりが見えた。墓のある丘だ。三人が近づくと人山が割れ、奥に検非違使数名と、それに指示を出す武官が一人いた。


つな殿」

「季武殿来られたか。おや、真霧殿も」


 武官は真霧を認めると、表情をやや和らげた。彼は季武と主君を同じくする同輩で、渡辺綱わたなべのつなという。上背のある美丈夫で、剣の腕は当代一と賞賛される人物であった。


 それゆえか逸話も数多い。代表的なのはかつて鬼と決闘して、その腕を切り落としたというものだ。本人も微笑んで否定しないものだから、その風聞は半ば以上真実として人々に受け入れられている。


 さて、この鬼切りの逸話を持つ武官の表情が緩んだのも一瞬。すぐにまなじりを鋭くして、三人を墓のそばへと導いた。


「これは・・・・・・」


 夜叉丸がいぶかしげにつぶやいた。墓は小高い丘のようになっており、周囲は木々に覆われている。墓石の下には掘り起こされた跡があり、そこから棺桶の一部がのぞいていた。

 

 墓を荒らすのであるから、当然中に納められていた副葬品を狙ったのであろう。しかし、墓石のすぐ脇、下草に覆われた地面の上に、副葬品がまとめて置かれていた。甲冑、太刀、馬具など、武官の墓に納めるのにふさわしい品の数々。賊が盗み、売りさばくつもりであったであろう品々が、なぜか今ここにある。


「賊はどうしたのですか?」


 真霧が問う。綱はそれが、と前置きして重々しく口にした。


「死にました。生き残りはいないでしょう」




 それは墓から少し離れた森の中にあった。


 検非違使の一人に案内されて三人が赴くと、木々の間に何かが倒れている。近づくとひどい悪臭が鼻を突き、真霧は思わず顔をしかめた。 


 骨が散らばっていた。人骨だ。しかし完全な白骨ではない。血が絡み、指の間などの狭い箇所には肉が残っている。骨は所々砕かれていて、特に頭部の損傷が著しかった。


「この骨のそばに、盗まれた宝物が散らばっておりました。ゆえにこれらが賊であろうと思われるのですが、いかんせんこれでは人相すら分からず・・・・・・」


 検非違使が死体から目を背けながら言う。骨は全部で五体。全て都の方角に足を向けて倒れていた。


「何かから逃げていた・・・・・・野犬か狼でしょうか」

「・・・・・・いや」


 真霧の見立てを季武が否定した。その声色の厳しさに、真霧は驚いて父を仰ぎ見る。普段温和で笑んでいることの多い父の顔が、今まで見たことがないほど険しい。まとう空気も、これからいくさが始まるかのごとく張り詰めていた。


 季武は一つの死体に近づくとしゃがみ込み、傷口を検分する。顔の半分を砕かれ、衝撃のためか眼球の飛び出したむごい死体に、臆するそぶりすらない。


「なるほど、綱殿が生き残りがいないと断じたのはこのためか。確かにおらぬだろう。墓が暴かれたことと無関係ではあるまい・・・・・・」


 低い声でささやくように言う。真霧は父が何を言っているのか分からない。夜叉丸に視線を投げるが、彼もまた何か思案しているようで難しい顔をするばかりであった。


 もしや父は、下手人の見当がついているのではないか。しかしなぜ、傷を見ただけでそれが分かる。


 父の背は、何も答えてはくれない。

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