第2話 カズキの恩人

 カズキ達が立ち去った。

 謁見の間は、魔術師達がカズキの創り出した金属のもとに群がり、あーでもない、こーでもないと活発な議論を交わす声で賑わっている。

 国王であるセバスチャンを省みる者はいない。

 彼はまだ土下座を続けていた。

 そこに一人の青年が近づいていく。金髪で細身の、眼鏡を掛けた20代後半の美形。この国の皇太子である第一王子ジュリアンである。

 彼は父親に声を掛けるでもなく、手に持っている懐中時計の針を目で追っていた。

 ふと人の気配を感じると、そこにカズキに吹き飛ばされたクリスが立っている。

 天井に体を叩き付けられたはずなのに傷一つ負っていない。

 そして父親をチラッと見てから尋ねてきた。


「兄上、どうです?」


 その一言だけで全て察したジュリアンは、よく通る声で返答した。


「新記録が出るかもしれん」


 その言葉を聞いたその場の全ての者が、いまだ土下座をしているセバスチャンを注視した。

 誰も言葉を発さなくなり、静まり返った空間に衣擦れの音が響く。

 ついに、セバスチャンが顔を上げたのだ。

 その様子を見守っていたジュリアンが、厳かに宣言した。


「諸君。七分二十六秒。記録更新だ」


 途端、歓声が爆発した。興奮して謁見の間を飛び出す者、この場にいないカズキへの称賛の言葉を口にする者もいる。残った者は口々に、カズキの偉業を讃えた。


「流石はカズキ殿だ。これまでの記録を二分以上更新してしまうとは」

「ああ、王妃様の記録を破る事など誰にも出来ないと言われていたのに」

「しかも、凄いのはそれだけではない。カズキ殿が退出してからも土下座が続いていたぞ?」

「それほどの恐怖があったのだろう」

「陛下のヒエラルキーがまた一段下がったな」


 国王がその場にいるにも関わらず、話を止める者はいない。

 その様子を咎める事無く、セバスチャンは玉座に戻る。

 そして、ジュリアンとクリスを手招きして呟いた。


「またやってしまった・・・」


 辛うじて聞き取れたその言葉に、ジュリアンとクリスは顔を見合わせて、一言。


「「馬鹿なの?」」


 と異口同音に返した。そこに敬意は欠片もない。

 息子たちの容赦ない言葉に肩を落としたセバスチャンは、恥を忍んで問いかけた。


「何がいけなかったのだ?」


 その言葉にジュリアンは溜め息を付いた。


「父上は、カズキが旅に出る前に約束した事を覚えていないのですか?」


 息子の言葉に、何故かセバスチャンは胸を張って答えた。


「覚えておらん」


 ジュリアンは頭痛を堪えているような表情をして、父親に教えた。


「父上は邪神を倒して帰ってきたら、ナンシーと暮らせる様に取り計らうと約束したではないですか」

「そうか・・・・・・。それは私が悪いな・・・・・・」


 セバスチャンは、忘れていた自分に腹が立った。よりにもよって、ナンシーとの事を忘れていたとは。

 これでは、殺されても文句は言えなかっただろう。


「礼を言うぞ、クリストファーよ。危うく殺されるところだった」


 身を挺して自分を庇ってくれたクリスに、セバスチャンは頭を下げた。


「次はありませんよ? まだ死にたくないので」


 冗談めかして答えたクリスであったが、目は笑っていない。

 その様子に、セバスチャンは疑問を覚えた。その思いが次の質問に繋がる。


「あれが、カズキの本気か。クリストファーよ、お前なら勝てるのか?」


 それは国王としての立場からの問いだった。自分がカズキの機嫌を損ねてしまったからこそ、もしもの時、敵対した時のことを考えてしまったのだ。

 ジュリアンも興味深そうに、クリスの返答を待っている。


「無理です」


 クリスは断言した。

 だが、二人はクリスの返答に納得できなかった。


「なぜだ?」

「魔術師ならば、接近すればお前の剣技で圧倒出来るのではないのか?」


 疑問の声を上げる二人。

 クリスは首を振ると、その言葉を口にした。


「勘違いが三つあります」

「「勘違い?」」


 二人に頷いて、クリスは指を一本立てた。


「まず一つ目。カズキは剣も使えます」

「「なんだと!?」」


 二人は驚愕した。クリストファーは世界最強の剣士と言われている。その彼が使と評する者は、この世界に幾人もいない。


「馬鹿な。魔法を使えるだけではなかったのか・・・・・・」

「信じられん・・・・・・」


 呆然とする二人を後目に、二本目の指を立てる。


「二つ目。カズキの本気はあの程度ではありません」

「「・・・・・・」」」


 二人は声も出なくなった。クリスは構わずに三本目の指をたてる。


「三つ目。カズキを敵に回すと母上に叱られますよ?」


 仮定の話であるのに、王妃の事を口に出した途端、セバスチャンはガクガクと震え始めた。

そして、何故か土下座した。


「父上・・・・・・。今度は何をしでかしたんですか?」

「まだ何もしていないはずだ。過去の記憶が蘇ったのだろう」


 クリスとジュリアンは顔を見合わせる。


「「思い出し土下座?」」


 そして、異口同音に呟いた。





「あら?」


 女性がそう呟いた。

 年齢は50代半ばのはずだが、20代後半と言われても誰も疑わないだろう。 

 面差しと髪の色はフローネによく似ており、何も知らない者が見れば、歳の離れた姉妹と間違う者もいるかもしれない。

 国王セバスチャンの妻で、名をソフィアと言う。


「お母さま。なにかありましたか?」


 急に声をあげた母に、フローネが尋ねる。

 カズキ達は謁見の間を辞した後、ソフィアの部屋を訪れていた。

 そして、旅の間にナンシーを預かってくれた礼と、先程の顛末を話していた所である。


「いえ、あの人が土下座しているような気がしたの。きっと気のせいね」


 恐るべき洞察力で、ソフィアがそう言った。


「それよりもごめんなさいね。あの人が無神経なことを言って」


 話を戻したソフィアは、そう言ってカズキに頭を下げた。

 驚いたのはカズキである。


「頭を上げて下さい。少しやりすぎたと思っていますので」


 カズキはそう言って、ソフィアの頭を上げさせる。

 セバスチャンと話す時とは違い、言葉の端々に敬意が籠っていた。

 それもそのはず、カズキにナンシーを譲ってくれた大恩人である。

 ちなみにそのナンシーはカズキの膝の上で眠っており、ソフィアは毛の長い猫を抱いたまま頭を下げていた。

 なんとも締まらない恰好であるが、誰も気にする者はいない。

 周りを見ると沢山の猫が部屋の中を駆け回ったり、クッキーを手にしたフローネに群がったりとカオスな光景が広がっていた。


「ありがとう。そう言えば、学院に通うことになったのよね?」

「はい、興味は無いのですが。恐らくフローネの護衛も兼ねているのでしょう」

「そうね。フローネが今年入学するから頼む、と素直に言っていればカズキの怒りを買う事もなかったでしょうに。ナンシーをダシにした挙句、一緒に暮らせないなんて馬鹿な事を言うから」


 ちなみに、フローネはカズキをこの世界に召喚した張本人である。フローネはその事を気に病んでいたが、カズキはむしろ感謝していた。

 何故なら、日本での生活は猫に近づく事もできない苦難の日々だったからだ。

 それに、幼いころに両親を亡くし、親戚の家をたらい回しにされてきたカズキには日本への未練など欠片もない。 

 寧ろ、今の生活の方が、満ち足りていると思っている。

 邪神との戦いなど念願の猫ライフに比べれば、ただの障害の一つでしかなかった。

 王城に住んでいる人間は皆、その事実を理解していた。知らないのはセバスチャンだけである。


「ええ。ナンシーとも離れていたのに・・・・・・」


 カズキは心の底から辛そうな表情で言った。

 たかが一週間離れていただけなのに、と言う者もいるだろう。だがカズキにとっては一日離れるだけでも耐え難い苦行なのである。

 その怒りがセバスチャンの発言をキッカケに全て向けられた。

 言ってみれば八つ当たりだが、誰も同情しなかった。

 セバスチャンの無神経さは、国民全てに至るまで周知されていたからである。


「辛かったわね・・・・・・」

「いえ。ソフィア様が分かってくださったので・・・・・・」


 などと、しんみりした空気が流れていたが、二人とも寄って来た猫のブラッシングをしているので、やはり台無しであった。

 そんな空気の中、控えめなノックの音がして、扉が静かに(猫が驚かないように)開かれた。

 返事も聞かずに扉を開いたのは、カズキの旅の仲間の一人、エルザである。

 彼女は静かに扉を閉めた(猫が挟まれないように)。

 そして、こちらに向き直り、カズキの頭を胸に抱きしめ、開口一番こう言った。


「カズキのおかげで儲かったわ!」


 満面の笑みである。


「なんのこと?」


 驚いて飛び起きたナンシーを宥めながら、カズキがエルザに聞いた。


「ドゲカルチョよ!」


 ドゲカルチョ——正式名称は、セバスチャン国王の土下座トトカルチョの事である。セバカルチョとも言われ、その名の通り、セバスチャンの土下座に関するあらゆる事を賭け事にしている。

 一週間に何回土下座したか、誰に土下座をしたか、何分間土下座をしたか、など国王に対する敬意が欠片も伺えない狂気の催しである。

 エルザは帰ってきて早々に、カズキが記録を更新する事を期待して、全財産を突っ込んだのであった。 奇しくも今日は締め切りの日であり、受付終了間際に滑り込みで間に合ったのだ。

 先程のジュリアンの記録更新の言葉を聞いて、謁見の間を真っ先に飛び出したのは彼女である。


「そ、そうなんだ。エルザ姉さんの役に立てたなら良かったよ」


 カズキはエルザの腕から逃れようと必死の抵抗をしながら、よく破門されないな、と失礼な事を考えていた。

 エルザは、ランスリードの国教、『レミア教』の高司祭である。

 女神レミアの教義は、我欲を捨て人の為に尽くしなさい。と、大雑把に言えばそういう教えだ。

 なのに目の前の女性は、ギャンブルで一山当てて物凄く浮かれていた。

 これで国民からは、『聖女』と呼ばれているのだから救えない話である。

 そんなカズキの失礼な気配を感じ取ったのか、エルザが言う。


「何か言いたそうね」

「そんな事ないよ」


 ようやく解放されたカズキは、素早く距離を取った。

 そして、引き攣った表情でそう答える。

 そんなやり取りをしている二人を、ソフィアとフローネが微笑ましそうに見つめていた。

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