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 「かぽーん」というかの擬音は温泉や銭湯のそれとして余りにも有名だが、私の心境を表すものとしてはむしろ「ぽかーん」が正しい。


 明らかに個人宅の脱衣所にしては充実しすぎている。さぞや立派なものだろうと予想してはいたものの、正直これは想像を絶する。


 これは中も楽しみだと、ワクワクと気持ちを弾ませながらベルトを緩ませる。



「じゃあ、僕は後から行くよ」


「はい? えっと、じゃあまあ、先に頂いてますからね?」


「うん、下着は用意しておくから。もちろん新品をね」


 ありがたい。ああは言ったものの下着をつけないで街を出歩く趣味は私には無いのだ。パンツスタイルとはいえ何も気にしないでいられるほど面の皮は厚くない。


「ところでなんでそんなに目をそらすんです? やっぱり見るに耐えませんかね、この傷」


「いや別にそうじゃなくて、キミね……さっさと入って。あとなんで下から脱ぐの」


「わわ、そんなに押さないでくださいよう。というか、もう入っちゃえばいいじゃないですか。お手伝いさんもいるみたいですし、着替えはお願いしましょう?」


「こっちにも心の準備ってものがあるんだ!」


 叫ぶように言って彼女は出ていってしまった。

 霊異と向き合い、命の危機に陥って尚も冷静だった彼女が取り乱すのが意外で、ブラトップを脱ぐのも忘れて首を傾げる。


「うーん? 心の準備、ですか」


 生い立ちや普段の生活からして余り人と関わることも無いようだし、単に誰かとお風呂に入る経験が無いのかもしれない。或いはこんなちんちくりんでも魅力的に見てくれているか。多少気恥ずかしくはあれど、あそこまで美しい人にそう感じてもらえているのなら光栄なことだ。


「まあ、色々あるんでしょう」


 呟きながら浴場に踏み入る。

 想像と違わず立派なものだ。白い木作りの空間は、西側に面しているらしい窓からの光で黄金色に輝いている。浴槽自体はそこまで大きくないが(それでも複数人が余裕で足を伸ばせるくらいには大きい)、全体の面積は私の住む部屋が丸々入ってしまうくらいに広い。


 足の裏で感じる床すらも高級に感じる。木製のバスチェアなんか初めて見た。爽やかな香りのするこのシャンプーやボディソープは一体如何程のお値段なのだろう。貧乏性ゆえそんなに大胆に使えはしないのだが、それにしたって安物とは違う。何かが。具体的には分からないが。


「よし、やめましょう」


 落ち着かなくなってきたのでささっと済ませることにした。


 全身を洗い終え、湯に触れる。少し熱めだが、末端から慣らしていけば問題ない。木桶でゆっくりと湯の心地良さを堪能していると、背後でからからと引き戸の開く音がした。


「わ!? か、かぐや! まだ入ってなかったのか!?」


 振り返れば無論そこには鴟蛇さんがいる。奥ゆかしくバスタオルを身体に巻いていて、お尻丸出しの私とは大違いだ。

 背の中心あたりまで真っ直ぐに伸びた黒髪はきちんと纏められていて、平時よりも大人っぽく、そして色っぽい。


「ちょっと熱くって。今入るところです」


 爪先で水面に触れる。これなら大丈夫そうだ。

 ゆっくりと腰を落とす。肌の表面からじんわりと熱さが染み渡って、疲れを自覚するこの瞬間が私は好きだ。


「足が伸ばせるお風呂って良いですねえ」


 管理人をしている叔母には悪いが、あのアパートとこの屋敷では比べることすら烏滸がましい。

 私の部屋の浴槽は、小柄な私でも膝を折らなくてはいけないくらいで、シャワーで済ませてしまうことも多い。


 良いなあ良いなあと囀りながら浴槽の縁に頬を乗せると、檜の良い香りがした。気分は箱根だ。もうこの家の子になりたい。


「ちょっと、あんまりこっち見ないでよ」


 身体を洗いながら首だけで振り向く鴟蛇さんの顔は赤い。多分暑いからではないだろう。どこか達観している彼女の狼狽える様は、失礼ながら少し面白い。


「えー、だって鴟蛇さん綺麗だから。お手入れの方法とか真似しようかなーって」


「別に特別なことなんてしてないってば」


 そうは言うが、明らかに手入れの時間が私とは違う。私はあんなに丹念にお湯で頭を洗ったりしないし、あんなに摩擦に気をつけてトリートメントやコンディショナーを扱わない。


 すらっと細い身体もそうだが、何より黒くて長い髪が羨ましい。私の髪は色素が薄く、くるくるとしたくせっ毛なので伸ばせないのだ。


 何を言われても見るのをやめない私がそんなに気になるのか、彼女は度々振り返り「のぼせないの?」などと訊いてくるが、生憎私は可能な限りお湯に浸かっていたいタイプだ。自宅のお風呂は膝とお尻が痛いのでさっさと上がってしまうが、ここはうつ伏せにだってなれてしまう。

 もたもたと解いた髪を纏め直していた鴟蛇さんは、やがて諦めたようでじとっとした目でこう言った。


「……今からそっち行くから後ろ向いて」


「心配しなくてもそんなじろじろ見たりしませんよう。そもそも見られて恥ずかしいところなんてないじゃないですか」


「キミよく僕にそれを言えるよね……いやまあ、その方が気楽だけどさ……」


「私もそうですけど、あんまり同情されても却って辛いと思ったので」


 四肢以外は生まれ持ったものなのだから、やはりその美貌は誇るべきだと思う。


「良いから、後ろ」


「はぁい」


 とはいえ見るなと言われると見たくなるのが人情というもの。ひたひたと床を叩く音が途切れ、波紋が身体に触れた瞬間、勢いよく振り向いた。


「やー! ふふふ!」


 我ながらかなり非常識だし、道徳心の欠片もない行為だった。弁解しておくが、長年悩まされてきた問題が解決したことに加え、人と一緒にお風呂に入ることが久しぶりすぎて(しかもこんなにも広いお風呂だ)、気分が高揚していた故であって、普段からこうではない……と思う。


「って、え?」


「なっ!? ちょ、ちょっとかぐや!!」


 案の定激しく驚いた鴟蛇さんだったが、多分私の方が驚いていたと思う。

 顔を染めた彼女が私に湯をかけてきたが、それにすら全く反応を返せないほどに、理解が出来ないものが目の前にあった。


「――――」


 ほんの少しの間、失神していた。世界が真っ白に染まり、何も見えなくなる。

 数秒後、抜け出した魂が帰ってきた時初めて見たのは、顔を真っ赤にした鴟蛇さんが身体を隠している姿だった。


「やっぱり分かってなかったのかこの阿呆……!」


 そんな暴言も最早どうでもよかった。

 湯よりも熱く火照った顔を慌てて覆う。それが悪手だった。暗闇の中で、今見たものが鮮明にフラッシュバックする。もう爆発しそうな気分だった。


「え? え、だって、そんな、え? うそ!」


 必死に現実を拒絶するが無駄だった。

 非常に大きな溜息をつき、鴟蛇さんは涙の滲んだ声で言ったのだ。


「僕は、男だよ」


 思い出したのは、今しがた見たもの。

 女性には有り得ない、身体の部位。


 心も頭もぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような気分だった。混乱の極みにあった私は、目を回しながらこんなことを口走った。




「あ、ももしかして式神ですか?」


「こんの、バカ女ぁっ!!」


 鴟蛇さんの絶叫が辺りに響き渡った。

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