第28話 春よ、恋④
中華料理を食べつつも、オガハルはテンパりながらも彼女を攻略しようと好きな食べものを聞いたり日本はどうかと質問したりしていた。
しかし「べつに…」「特にない」など美樹の反応は悪い。顔を上げもしない。
どうも日本に来たばかりの外国人に質問する日本人みたいで的外れだなとボクは思っていたら、さすがにオガハルも美樹の反応の悪さに気が付いてイギリスの話に切り替えた。
美樹はちょっと意地悪そうに口を
ボクと由樹が微妙な表情でオガハルを盗み見たが、彼は美樹の声がたくさん聞けるだけで心底嬉しい様子だ。
次第に美樹も彼に意地悪が通じていないと知って、少し恥ずかしそうに話を終えて黙り込んだ。鈍感なオガハルだけがなぜだろう、という顔をしている。
どうも本格的に人の心の動きがわからないようだ。ボクもあまり他人のことを言えないけど、ちょっと酷い。
微妙な空気で中華料理を食べ終え、オガハルが会計を済まして4人でタクシーに乗り込んだ。
美樹は不機嫌なままだった。オガハルは一番近いくせに最後に降りると言い張り、ボクを家に降ろしてから由樹母娘を送っていった。
(誰得の食事会だったんだろう…)
苦い思いでタクシーのヘッドライトを見ながら、ボクは深くため息をついた。
「どうだった?美樹は固かっただろ?」
ボクが部屋に入るなりユンジュンが尋ねた。どうも女心に詳しいようなのでオガハルの企みを相談していたのだが、彼の言うとおりだった。
「うん…美樹ちゃんが不安定だし、本当は3人で暮すようになるといいのだけど難しそうだね」
「まあ、いい奴そうだから、ゆっくり時間をかけてわかってもらうのが一番いいだろ。なんせ美樹にとっては見ず知らずの他人だからな、大人の都合で急に『今日からお父さんです』ってわけにはいかないさ」
「うん…」
今日は美樹がどうも可哀想に見えた。きっと由樹も今頃そう思っているだろう。
ボクが企みに乗ったから美樹にそんな思いをさせてしまったと思うと情けなかった。
明日、何か元気付けるようなものを持って行こう。
ボクはそう思いながら、もうそろそろ勉強をしなければと塾でもらった春休み用の問題集を開いた。
ユンジュンのアドバイスで、ボクと兄は朝からクッキーを焼いた。
兄は最近趣味でマドレーヌやクッキーを作っている。先日は昼ごはんにクレープを作ってくれて、母が「これは売れるんじゃない?美味しい」と大喜びしたくらい上手だ。
やや強めに焼いた薄いクレープは小麦の味がしっかりしていて、兄のこだわりを感じた。
先日国産小麦の品種を調べている彼を見た。聞くと、うどん向けやパン向けなどいろんな品種があるのだと嬉しそうに答えた。
ボクは兄の好きなサクランボティーを3人分入れて椅子に座り、ちょっと形が崩れたクッキーを手に取った。
口に含むと甘さ控えめでほんのりハチミツと生姜が効いている。ナッツの入ったモノや、紅茶味のものも店で買うより甘過ぎなくて美味しい。
「これってば兄ちゃん…天才じゃない?」とボクが言うと、兄は照れた。
え、ピアニストとパティシエの二足のわらじもかっこいいんじゃ!なんて勝手に思ってしまうのを止められない。
ボクは美樹に渡すために母が用意してくれた緑に白い水玉のラッピング材に入れ、ぎゅっとピンクのリボンを結んだ。
上手く結べずに縦に蝶々が向くが、折り目がついてしまったの諦めてそのままにして、紙袋に丁寧に入れる。準備完了だ。
「じゃあ行ってきます!兄ちゃん、ありがとう」
兄はニコニコしながら手を振った。きっと今からピアノを弾くのだろう。ご機嫌な兄のピアノが聴けなくて残念だと思いながら、ボクは家を出た。
運動の為に早歩きをし、40分弱で美樹の家に着いた。
駐車場には見たことない黒のバンが乱暴に止めてあった。
名古屋ナンバーで珍しいな、親せきかなと思いつつ、ボクはインターホンを鳴らした。しかし返答がない。
いつもなら美樹は玄関で待っていて鳴らすと飛び出してくるのだ。
ボクは携帯を鳴らそうとカバンから出すと、オガハルからちょうど着信があったので驚いて落としそうになりながらも出た。
「はい、もしもし?」
「ああ、隆君、今どこ?美樹が電話でないって由樹が心配してるんだ」と珍しく早口でまくし立てた。
どうも電話の向こうがばたばたしている様子なので仕事で休憩中のようだ。由樹の「隆君つながった?」という声も聞こえる。
「今、美樹ちゃんの家に着いたとこです。今から一緒に塾に行こうと思って…わっ!」
家から黒のニットキャップと黒のジャンパー、ジーンズの男が飛び出てきて、ボクの手を引っ張って家の中に連れ込もうとした。
ボクはとっさに手を払って逃げようとしたら携帯とクッキーの袋を落とし、ガツンと頭を殴られて意識を失った。
「…シくん…タカシ君っ!大丈夫?うえーん、生きてた、よかったよぅ…」
ボクは気が付くと、アイランドキッチンの裏に隠すように美樹と一緒に座らされていた。
両手は後ろにまわして縄で動かせないようにしてある。見ると彼女も同じ様に縛られている。後頭部がじんじんと痛い。触れないが、
「うえっ、ナニコレ?え?美樹ちゃん、これって…」
ボクがあまりの非日常に混乱していると、
「うるさいっ!おまえらは人質なんだ、黙ってろ!」と甲高い声で中肉中背の男性がボクらに怒鳴った。
さっきはいきなりで大きく見えたけど、オガハルやボクの父に比べると小さい。それでちょっと勇気が出た。
「あの、なんで人質に?」
「ああっ?こいつの母親が俺と会おうとしないから、見せしめだよ。もし由樹が俺のモノにならないなら、おまえらを殺して俺も死ぬ。おまえの母親は一生俺の事を想って後悔して生きるんだ、はははっ」
「せんせい…」
美樹は心底おびえた顔をしてその小男を見ている。彼の異常性を知っていて、刺激しないようにしているのがわかった。
そういえば、由樹が実家でストーカー被害に合っていて、それから逃げるようにイギリスに7年も滞在していたことを思い出した。
「由樹さんのストーカー?」
「こらっ、死にてーのかクソガキ!俺はストーカーなんかじゃない!恋人だ、こ・い・び・と!ちょっとした行き違いで離れちゃったけど、由樹が日本に戻ってきたと知って会いに来たんだ。でも、あいつ俺に会いたくないなんてぬかしやがったからな、思い知らせてやる」
そう言ってからどこかに電話しだした。
「おい、娘と友達を人質にした。俺には由樹しかいないんだ、由樹が俺と付き合うなら許してやる!」
どうも相手は由樹さんらしい。
しかし無茶苦茶な話だ。このままではこの狂人に美樹が殺されてしまうだろう。
小男はずっと電話で怒鳴りながら窓際に向かった。由樹が来ないか外を注意深く確認している。
(怖いよ…狂人、ってきっとこんな感じの人だ。これではボクらもどうなるかわからない…ああ、朝はあんなに平和にクッキーを食べてたのに、ウソみたいだ)
「ごめんね、タカシ君。巻き込んじゃって…」と申し訳なさそうに言う美樹の後ろに塾のカバンがあるのが見えた。
(もしかして…)
「ねえ、住吉のおばさん!お、ば、さ、ん!!聞こえてるんでしょ?一度だけ助けるって言ってたよね。助けて!」
ボクは小さな声でカバンについてる住吉大社のお守りに向かって話しかけた。しかし反応はない。
(そ、そっか…)
「住吉の美人なお姉さん、助けてくれない?ピンチなんだ。ユンジュンを連れてくからさ、お願い…」
すると、お守りから水蒸気のような煙が出てきて、むくむくと人の形になった。美樹の目がまん丸になる。見えているようだ。
「おお、わらわを呼ぶのはガキンチョじゃりか。困っておるようだねい、助けて欲しいのかい?」
「うん、彼女を助けて。お願い、このままだと美樹が殺されちゃう…」
「へえ、こっちがおまえの女じゃりか…ふんっ、乳臭いガキンチョじゃりね」
それで美樹がカッとなった。
「なによ、おばさんに言われたくないわよっ」
大声を出して美樹ははっと青くなった。
思った通り、道路を見張っていた男はどしどしと足を踏み鳴らして戻ってきた。
「誰と話してるんだっ?静かにしろっ、こっちのガキを殺してやろうか?」
男はナイフをポケットから出し、刃をボクの下あごに付けた。彼にはおばさんはみえていないようだ。
「ねえ、お姉さん!助けてっ」と美樹が頭を下げて頼んだ。
しかし、おばさんは意地悪用に唇を歪め、ボクを見て言った。
「でもこのガキンチョはおまえを助けてと頼んだじゃりからね…」
「いいっ!ボクはいいから、美樹だけ助けて!頼むよ、おばさんっ」
おばさんは太い赤のアイラインに縁どられた切れ長の瞳でぎろりとボクを睨み、次に美樹を睨んだのですくみ上った。
怒りの圧がすごくて空気がビリビリと揺れて窓ガラスに響く。
「わらわはおばさんではないっ!空前絶後の美女、
もやもやとまた煙のようになった彼女はナイフの男の両耳と鼻と口、目の穴に入り込んだ。すると、男の黒目がぐるりと回って両端に寄り、立ち上がった。
死神の鎌のように冷やりとしたナイフの刃が喉元からなくなり、ボクらはほっとして肩を落とした。
小男はナイフを握った手をぶらんと下に降ろし、よだれを垂らしながら夢遊病者のようにふらふらと歩いて建物から出て行った。
ボクらは立ち上がり、並んでその男の動向をキッチンから見つめた。
あのナイフで他の人を刺すと困るから外に出て行きたいが、ボクらは紐がキッチンの建具に結んであって動けない。
はらはらしていると、彼は突然手をぐるぐる回しながら走り出し、走って来たトラックに自らぶつかっていった。
不運なトラックは彼を轢いてから少し走って急停止した。
しばらくするとナイフ男がいるらしき場所に人が集まってきた。
「救急車!」という野太い男の声と、女性の甲高い叫び声が聞こえる。それで大体のことは想像がついた。
さすがおばさんだ、神様だけあって容赦がなくてぞっとする。彼らはボクらの命なんて住吉神社の境内の砂利の1つくらいに思っているのだろう。
あっという間の出来事で、何も出来なかったボクらはただただぼんやりとテレビを見るように騒ぎを見ていた。
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