第10話 リア充②
「帰ったぞ!」「ただいま…」
父と兄が同時に帰宅した。
「おかえり、父さん!兄ちゃんもおかえり…」
兄はどうも浮かない顔だ。それでもニコリとして「ただいま」と言った。
「すぐにご飯にするわ」
母が嬉しそうに言いながら父の背広を受け取った。もともと季節の行事が好きなタイプだったようでウキウキしている。
兄が部屋から降りてこないので迎えに行くと、ベッドに突っ伏していた。
「…兄ちゃん、大丈夫?ご飯だけど…断っておこうか?」と声をかけると、はじかれたように起き上がった。
「ああ、大丈夫。行くよ」
兄はくしゃりと顔を歪ませて笑った。
「何だよ、そんな顔して。大丈夫だって」
でもそれは兄が不安なときの笑い方だとボクは知っていた。
食卓には隙間がないほどのクリスマス感満載の食事とモニュメントが並べられていた。これだけ種類が多いと作るのが大変だったろう。
「すごいっ!」と僕が褒めると、
「由樹さんと作ったの。今夜は同じメニューよ」とボクにウインクした。
母はボクがミキを好きだと知っているのか微妙で戸惑った。でもミキもこれを食べてると思うとボクの胸がほんわかした。
「そうなんだ…」
ボクが席に着くと、向いに兄も座った。いつもの定位置だ。
父も机の上の料理を見て驚いた。
「こ、これはすごいな…大変だっただろう?今夜の片づけは男の仕事だな。じゃあ、腹ペコだしありがたく頂きます。メリークリスマス」と言って掌を合わせた。
母も同じようにしたが、なんか不思議だ。
兄とボクは初めてのクリスマスに照れていつも通り「頂きます」とだけ掌を合わせて言ってから料理に箸をつけた。メリークリスマスだなんてこの家で聞いたことがない。
チキンのチーズ焼きやローストビーフ、付け合わせの野菜、パエリヤ、クラムチャウダーのパイ仕立てなどを食べてボクらが幸せな気持ちになっていると、食べ終わった父がいそいそとプレゼントを持ってきて兄とボクに順に手渡した。せっかちなのだ。
まだケーキも食べていないのにタイミングってものが全くわかってない、そんな父が大好きになっていた。
ボクは口を動かしながら、ふわりと袋の中身を触ると、かまぼこの板を大きくしたような形をしている。慌てて袋を開けた。
(この形…)
「スマホだっ!ありがとう、欲しかったんだ」
母がニヤニヤしてるのが気になるが、素直にお礼を言った。これでミキとやりとりができる。
(なんてタイムリー!クリスマスハレルヤ!!)
浮かれたボクがふと隣の兄を見ると、ボクの3倍ほどの大きさの袋から薄いノートパソコンを丁寧に出していた。膝の上で開けると、とても美しいフォルムが現れた。
アーティストの憧れ、マックブックだ。
「と、父さん…これ…」
「
「ありがとう…でも俺、ピアノでこの家に負担をかけてるのに…いいの?ピアノで大成する可能性なんてゼロに近いの、父さん達もわかってるんだろ…?」と兄は弱弱しく本音を吐いた。
「バカだな、子供は親に負担をかけるものだ。父さんや母さんだってそうやって育てられてきたんだし、出来るだけのことはさせてもらうつもりだ。でもその
「…そうよ」
母は涙を拭っている。
ボクはやっと兄が自分の将来について悩んでいると思い至った。両親は気が付いていたのに、弟のボクが知らなかった恥ずかしさで顔が赤くなる。
ボクは自分の事ばかりで、周りがいつも見えてない。両親はピアノでパンクしそうな兄を気遣っているのだ。
「バカだな、タカシはそのままでいいんだよ」
「そうそう、おまえはこの家の
食事の後片付けが母の指揮の下、あっという間に終わった。兄の部屋に入るなりボクが謝ると、兄とユンジュンが続けざまに言った。
「で、ハヤテは何に悩んでるんだ?進路か?」とユンジュンがストレートに聞いた。
「ん…ピアノの先生から『
ピアニストって『色』があるんだ。タカシのピアノには若若しい緑のイメージがある。でも俺にはそういったカラーがないんだ。上手く弾いてるだけ。そんな人なら音大のピアノ科にゴロゴロいる。そんなとこに入って頭角をあらわせる可能性を考えるとさ…自分の将来にぞっとする。怖いんだよ」
確かに、兄のピアノは楽譜通り正確、透明な水を思わせる。しかしそれは何の色でも乗せられる、ってことだ。
「ボクは兄ちゃんの透明な美しいピアノ、好きだよ。チェロ眼鏡と合奏とかしても本当に美しい音楽が紡ぎ出せると思う。先生が言う色も大事だけど、美しさで勝負したら?ボク、兄ちゃんのピアノを聴きながら勉強するとはかどるんだ、本当に。人を邪魔しない透明さが兄ちゃんの音にある。
先生に言われて迷うのもわかるけど、兄ちゃんは何がしたいの?」
ボクがそう言うと、兄は笑い出した。
「ははっ、さすがタカシ、小学生とは思えないな!じゃあタカシの大船に乗って大海原に漕ぎ出してみるとするかな。今はとりあえずピアノが弾きたい」
兄の目に光が宿った気がした。その兄が、
「で、ミキちゃんはどうだった?塾で会ったんだろ?」とすぐさまボクに切り返してきたので、飲んでいた桃の
「げほっ…」
「美樹がタカシの学校まで押しかけてきたんだと。電話番号をゲットしたそうだ」と咳き込むボクの代わりにユンジュンが答えた。
「へえっ、よかったじゃん。一緒の中学に通えるといいな」
「ん、多分このまま順調にいけば二人とも大丈夫そうだ。…兄ちゃんは好きな子とかいないの?昨日もクリスマスプレゼントを貰ってたよね?」
ボクの素朴な疑問を受けて、兄は一瞬困った顔をしたが、真剣な顔になった。
「…オレは…多分だけど、誰にも心を動かされない人みたいだ。14年生きて誰も好きになったことがない。もちろん家族や環境とかに感謝や広い意味での愛情はあるんだけど、どうも特定の個人に心惹かれない。男女問わず今まで一度も」
それを聞いてユンジュンが質問した。
「それはLGBTQのクイアってやつか?ハヤテは中学生だし決めつけるには早いだろ」
「何、クイアって?」とボクが聞くと、兄が、
「LGBTってよく聞くだろ?でもクイアってのはその枠に収まらない、性的指向が固まってないとかわざと固めない、もしくはわからない人達みたいだ。俺にはまったく男も女も一緒の動物に見えるだけで、どっちも好きじゃないし付き合いたいとも思わないんだ。いや、好きだと言って寄ってくる人間が怖い。意味が分からないからな。つまりは好きがわからないからクイアなのかなって思ってる。誰にもちゃんと相談してないけど」とはっきり言った。
その様子では調べているようで、ずっと兄が不安だったのだろうと思うとボクは自分の不甲斐なさに
「何だよ、気持ち悪いか?」と少し意地悪に聞いた兄に、ボクは「ううん、ごめんね。ずっと兄ちゃんはカッコよくて幸せだと思ってたから、そんな風に考えていたなんて知らなかった。母さんにも期待されて学校でもモテてるだろ?ボクなんて…デブスのフトシだし、羨ましいかった」と自嘲気味に笑っておもちのような頬の肉をつまんだ。
「誰でも自分が不幸だと思うと人が幸せに見えるものさ。オレだってタカシは自由でいいなって思ってた。ピアノも才能あるのに練習しないし。ちょっと嫉妬してる」と兄はニヤリとして言った。
「へ…兄ちゃんがボクなんかに嫉妬…ありえないよ!ミキちゃんが兄ちゃんのこと好きになったらどうしようって心配なくらいだ。それにボクのピアノは元気なだけで、兄ちゃんのようにいろんな曲を表現できない。曲の好き嫌いや気分ムラも激しいしね」
ボクがそう言うと兄が優しく笑って言った。
「タカシは病気が治って背が伸びてきたからずいぶんスリムになった。もうすぐフトシなんて誰も呼べなくなるぞ。リア充でカッコいいタカシに学校の皆が気が付く日が楽しみだ」
兄のワクワクした気持ちが伝わってきたが、果たしてそんな日がくるわけがない。どうも兄は弟びいきが激しいのだ。ユンジュンも苦笑している。
(こんなに優しい兄ちゃんをボクが支えないと!)
元気になった兄にボクはホッとした。
家族というのは全員が元気でないとダメなのだとボクは12歳にして実感した。
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