四等星のファンファーレ 5

 高校に入学するとき、親父に「受験よく頑張ったな。これからは薔薇色の高校生活が待っているぞ」と言われた。俺の高校生活は薔薇色でもなければ、桜すら咲いていない。外見ばかりを気にして周りの悪口をいう同級生と、「崇高」な先生ばかりだ。何かに一生懸命なやつなんて、俺の周りじゃサッカーをやっている隆也と、自分で作詞作曲をしている樹だけだ。


 思っていたものじゃないな。率直な感想だった。


 親父のように大人になればこの高校生活も薔薇色だったといえるようになるのだろうか。それはそれとして、重い脚に鞭を打ちながら生徒指導室に向かった。


「失礼します」


 生徒指導室に入ると見たことのない先生が二人いるだけで、片山先生はいなかった。机が三つ並べられているだけの生徒指導室は狭く、書類が乱雑に置かれている。コーヒーの香りが充満している中で、煙草の残り香が鼻をくすぐる。ごみ箱のなかにはいろんなお菓子の袋が捨てられている。


「入るときには学年クラスと名前、要件を言うように」


「・・・。一年四組、日比野颯汰です。片山先生に呼び出されました」


「片山先生は今出ているからそこで待ってなさい」


 ここで待つのか。先生たちは自分の管轄ではないと分かった途端、自分の仕事をし始めた。誰もしゃべらない生徒指導室の空気が一日勉強した肩に追い打ちをかける。


 生徒指導室。この学校で一番規律がしっかりされている場所のはずなのに、煙草の香りがする。校内で煙草を吸うことは生徒指導としてどうなんだ? 答えはもちろん決まっている。だから頭髪申請を出しているやつを指導して、明らかな金髪を見逃す。俺は天パで茶髪は地毛だけど、先生からすると髪を染めてパーマをあてている不良少年だ。対する拓矢は緩いパーマだし、毛先しか染めていないやんちゃな少年なのだ。先生にとって申請を出しているかどうかはあまり関係ない。


「離せよ。制服のびんだろ!」


 廊下から生徒指導室の空気を切り裂くような声が聴こえてきた。先生たちは我関せず自分の仕事をしている。勢いよく生徒指導室のドアが開いて、片山先生が入ってくる。


「うるさい! それが嫌なら頭髪をどうにかしろ!」


「だからこれは地毛だって言ってんだろ! 申請もちゃんと出したし! 」


 茶髪で背の低い女子生徒が、片山先生の腕を振りほどきながら生徒指導室に入ってきた。生徒指導室の空気を切り裂いた大きな声と口調とは裏腹に、彼女は妖精のような見た目をしていた。


「入るときは学年クラスと名前、要件を言うように」


「はぁ? 今先生に連れてこられたでしょ!」


「要件は?」


「ああもう! 一年一組、七瀬和希! 角刈り白縁眼鏡に呼ばれました! 」


 少女は首からナイフでもぶら下げているかのように、それを振り回しながら叫んだ。一見通り魔のようにも見えるけど、今の俺には生徒指導部の先生たちのほうがよっぽど悪魔に見える。彼女は、勇者にしか見えない。


「・・・先生。昼間の件できました」


「おお、そうだった。おまえもいたのだったな。まったく、この学校は不良だらけだな。」


 地毛を染めていないと言っただけで不良扱いされてしまってはたまったもんじゃない。そんなことを言えば、拓矢なんかはどうなんだよ。


 片山先生は俺たちの髪が地毛なのか、染めたのかなんて確認することはなかった。高校とは人生で大きな意味を持つところであるということ。数学は世界のいたるとこで役に立っていて、自分はギターにsin・cos・tanの法則を発見したこと。挙句の果てには自分が大学で何を学んできたかを、他の先生たちをも巻き込んで語った。気づけば時計は五時半を指していて、説教が始まってから一時間が経っていた。俺も少女も、その間口を開くこともなければ、先生たちと目を合わせることもなかった。先生たちはそれに怒ることもなく、説教を続けた。


「今日はこれくらいにしといてやる」


「確認はしたんすか」


 普段はそんなこと言わない。自分が面倒なことに巻き込まれるようなことは絶対にしない。高校があまり楽しい場所ではなかったこと。クラスメイトが外見しか気にしないこと。生徒指導が正常に機能していないこと。それらが淀んで固まり、ナイフになって先生のほうを向いた。


「どういう意味だ?」


「普通先に頭髪申請があるかどうか確認して、出してないってわかってから説教だろってこいつは言いたいんだよ」


 先生たちは一瞬黙って気まずそうな顔をしたが、すぐに「・・・よし、お前たち反省文書いてこい」と言って、乱雑に置かれた書類の中から原稿用紙を取り出して俺たちの前に突き出した。


「なんでっすか。俺たち悪いことしてないっすよね」


「申請出てなかったらもう一度呼び出して、その時に渡せばいいだろ」


「うるさい。そういう態度が反省していないと言っているんだ!」


 態度のことなんか初めて言われたし、そもそも悪いことなんてしてないけれど、とにかく俺たちは三枚の原稿用紙を渡されて生徒指導室を追い出された。


 教室を出た瞬間、俺たちは顔を見合わせて大きな声で笑った。


「先生たちのあの気まずそうな顔見た?」


「ああ。絶対先に申請書確認すること忘れてたんだぜ」


「何が生徒指導だよな。自分の機嫌で説教しやがって」


「仕方ねーよ。人間が先生やってんだもん。間違いも起こるさ」


「お。いいこというじゃん」


「でしょ? 中学の時に気付いた」

 まだ生徒指導室の前だということをはすっかり忘れて、俺たちは大きな声で、自分た ちのナイフを振り回すように愚痴を言い合った。先生たちへの愚痴は止まらず、まるで鋭く研がれたナイフの切れ味をためすようだった。話す度にナイフの切れ味が増す。俺たちはお互いのナイフの切れ味を確かめるように笑いあうのだった。


 あ、高校に来て初めて笑ったかも。


「一組の七瀬さん? だったよな。この後予定ある? どっか行ってもう少し話さん?」


「バイトあるからあんまり時間ないな。自転車小屋までならいいよ」


「なんのバイト?」


「普通にコンビニ」


「バイトの申請出した?」


「あ、出してないや」


 にこっ、という音が聴こえてきそうなほど、七瀬さんは明るく笑った。窓から夕日が差し込んで彼女の髪を照らした。


「ダメじゃん。まぁいいや。じゃあ自転車小屋まで行こう」


 歩き出すとどこらかブラスバンド部の演奏が聴こえてきた。いつの間にか肩の重みはどこかへ消えてしまっていた。


 一階に降りる階段に差し掛かったところで、下から足音が響いてきた。頭しか見えなかったがすぐに誰だかわかった。


 拓矢は凄まじい恨みを見に込めてこちらを睨んでいた。こちらを睨むと同時に七瀬さんの方も見る。七瀬さんのほうを見る目には恨みはこもっていない。そういうことか。そういえば昼間に一組の人がどうとか言っていたな。


 今まで俺のことを「颯汰」と呼んでいた拓矢は、この日から「日比野」と呼ぶようになり、それにつられて俺も「拓矢」ではなく「テルシマ」と呼ぶようになった。

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