#20 ヴァンピィの秘策

 トラップマスター・タイガーマスク。

 近接戦闘を得意とするバトルスタイルながら、設置系のトラップで相手の動きを制限し、真綿で首を締める様に少しづつ少しづつ敵を追い込んでいく。

 ツイッターなどはやっておらず、その正体は不明。

 そんな謎に包まれたプレイヤーがダブルスランキングにいる、と夜宵も噂くらいは聞いたことがあった。

 噂は間違っていなかった。その強敵を前にして、夜宵はタイガーマスクこと虎衛門の強さを肌で感じ取っていた。


「これでトドメっすよ!」


 大河忍者たいがにんじゃの三本爪がジャック・ザ・ヴァンパイアを襲う。

 ジャックは何とか剣でそれをいなしつつ後退するも、足元でガラスの割れる耳障りな音が響いた。

 また、撒菱を踏んでしまった。

 ジャックの隣に浮かぶ人魂に刻まれている数字は2。そして今、撒菱を踏んだことでさらにカウントが進む。

 いよいよ数字は1まで減った。

 それを見て琥珀は上機嫌に言葉を投げつける。


「しぶといっすね。でも追い詰めたっすよヴァンピィ! あと一回でも撒き菱を踏めばアンタは終わりっす!」

「私は」


 夜宵は歯を食いしばる。

 ここで負けるわけにはいかない。自分が負ければ、ヒナは虎衛門とたまごやきの二人を相手にしなければならなくなる。

 負けられない。ヒナの相棒として、彼の役に立ちたい。

 そして彼と一緒に優勝したい。


「私は、負けない」


 絶体絶命の崖っぷちに立たされながらも、夜宵の瞳はまだ闘志を宿していた。

 そして彼女の頭脳は冷静に今の状況を分析する。

 大河忍者たいがにんじゃ特性スキルを思い出す。

 頭部特性ヘッドスキル魔鬼火死まきびし。虎の被り物をした口から光線を吐き出し、地面にガラス製の撒菱をばら撒く能力。

 右腕特性ライトスキル葬送爪牙そうそうそうが。三本爪による攻撃を行う。

 脚部特性レッグスキル怪踏乱打かいとうらんだ。Lボタンを連打し続ける間、行動速度が上がり続ける。虎衛門の持つ連射コントローラーはこの能力を最大限に引き出していた。

 そこまで考えて夜宵は気付く。


(まだ左腕特性レフトスキルを使ってない?)


 そんな彼女の思考を見透かしたように、琥珀は言った。


「そろそろパワーゲージも溜まってきたっすね」


 マドールはそれぞれパワーゲージを持っており、試合開始時にはゼロパーセントのそれは、試合中にコマンド操作をするごとにゲージが溜まっていく。

 ゲージが百パーセントまで溜まると、マドールの必殺技である切札特性ジョーカースキルを使うことができる。

 また百パーセントに満たなくても、他のスキルの発動条件に関わってくることもある。

 琥珀は連射コントローラーを使っている分、その自動連射だけでも勝手にパワーゲージが溜まっていくのだ。


 夜宵はステータス画面で相手の特性スキルを確認する。

 今まで左腕特性レフトスキルを使わなかったということは、発動条件を満たしていなかったということだろう。

 そして特性スキル説明を読んで夜宵は納得した。

 大河忍者たいがにんじゃ左腕特性レフトスキル、それは。


「パワーゲージが五十パーセント以上の時、左腕特性レフトスキルは発動可能となるっす。さあ、これを見て驚くがいいっす! 忍法! 隔霊魅かくれみの術!」


 琥珀がそう宣言すると同時に、虎の被り物を被った忍者の姿が次第に透明になり空気に溶けていく。

 これが大河忍者たいがにんじゃ左腕特性レフトスキル。己の姿を完全に消してしまう。

 地面を蹴る足音が響いた。

 大河忍者たいがにんじゃの姿は見えない。だがその足音だけを頼りに夜宵は判断し、攻撃のタイミングを読み切って剣を振るう。

 その剣が相手の爪を受け止めた手応え、そして衝突音が響く。

 なんとか今の一撃は凌いだが、姿の見えない相手とこれ以上まともに戦えるわけもない。

 ジャックは大河忍者たいがにんじゃに背を向け、森の中を駆けだした。


「ふん、逃がさないっすよ」


 遅れて琥珀の操る忍者がその後を追う。

 夜宵は森林フィールドを改めて見下ろした。

 これまでの戦いで地面には大量の撒菱が転がっている。

 透明なガラス製とはいえ、よく目を凝らせばそれは十分視認できた。

 集中して操作すれば、なんとか撒菱を踏まないように移動できる程度には。

 そして夜宵は、これまで大河忍者たいがにんじゃと戦った場所、より多くの撒菱が落ちている道を選んで逃げ続けた。

 だがその後ろから姿なき追跡者が迫る。

 例え透明になっても、足音から大体の距離は把握できる。

 相手はもうすぐジャックに追いついてくる。

 なんせ脚部特性レッグスキル怪踏乱打かいとうらんだによって相手の移動速度はこちらの数倍まで加速しているのだ。

 この程度の距離など、すぐに追いついてしまうだろう。


 夜宵の心に焦りが浮かぶ。

 彼女はあるタイミングを待っていた。起死回生の可能性がある唯一のチャンス。

 逃げ続けなければ、そのタイミングが来るまで捕まるわけにはいかない。

 足元に気を付けながら森の中を駆ける。

 その時、ガラスの割れる音が響いた。

 先程ジャックの人魂に浮かんだ数字は1。つまりこれ以上撒菱を踏めば死のカウントはゼロとなり、機能停止ダウンが決定する。

 夜宵はその時、ポツリと呟いた。


「ねえ、そんなにスピード出していいの?」


 口の端を吊り上げながら。


「急ブレーキ、できないんじゃない?」


 そして虚空に人魂が浮かび上がり、そこに数字が表示される。7、と。

 ジャック・ザ・ヴァンパイアの死のカウントは1だった。7を示すことはありえない。

 つまりそこに浮かんだ人魂はジャックの物ではなく、今まで一度も撒菱を踏んだことのないマドールが、初めてそれを踏んだことを意味する。


「今更それが何だって言うんすか!」


 そう、それを踏んだのは琥珀の大河忍者たいがにんじゃだ。

 だが琥珀はそれを何の問題にも思っていなかった。

 トラップ使いのセオリーの一つに、自分の仕掛けた罠を自分で踏まない、というものがある。

 そのセオリーに従い、琥珀も今まで自分で蒔いた撒菱を踏まないように立ち回って来た。

 しかし今となってそんなものは些事だ。

 既にこの勝負は詰めの段階に来ている。

 もうすぐヴァンピィを仕留められるのだ。今更自分が撒菱を一回踏んだくらいで形勢がひっくり返ることなどありえない。

 何故なら魔鬼火死まきびしを踏んでも、マドールが受けるダメージ自体は微々たるものだからだ。

 撒菱を八回踏んで死のカウントダウンがゼロになってこそ意味がある。一回踏んだだけでは何の意味もない。

 しかしそれは夜宵にとって大きな意味があった。

 ずっと逃走を続けていたジャック・ザ・ヴァンパイアが足を止め、体を反転させる。

 そして手に持った魔剣を虚空へ向けて放り投げた。


「なに!」


 その予想だにしなかった行動に驚いたのは琥珀だ。

 ジャックの投げた魔剣は何もない空間を一直線に飛んでいく。

 その先には何もない。

 しいて言うなら青白い人魂が一つ、浮いてるのみ。

 大河忍者たいがにんじゃはその姿を消している。出鱈目に剣を投げたとしても当たる筈がない。

 しかし夜宵は知っている。あの人魂はマドールの頭部ヘッドパーツの右隣につかず離れず一定距離で浮かび続ける。

 だから、姿が見えなくても大河忍者たいがにんじゃの位置がわかるのだ。

 そしてジャックの投げた魔剣は寸分違わず、隔霊魅かくれみの術で姿を消した忍者の頭部ヘッドパーツを射抜かんと飛んでくる。

 風よりも速く走る忍者の進行方向から、正面衝突するように魔剣が飛来してきたのだ。


「やばっ、回避を」


 咄嗟に琥珀はアナログスティックを横に倒し、魔剣を避けようとする。

 しかしその操作は間に合わない。

 何故なら、大河忍者たいがにんじゃの移動速度は連射コントローラーのお陰で最大限にまで高まっている。人の操作が追い付かないほどに。

 そのスピードは諸刃の剣となって今、忍者の正面に返ってくる。

 耳をつんざくような衝突音が響き、森の中を飛んでいた魔剣が動きを止めた。

 何もない虚空で剣は静止している。

 だが敵の姿が見えないだけで、それは命中していることを意味するのだ。


「な、なんで、なんで」


 琥珀は目の前の現実が信じられず、呆然と呟く。

 何故こうなった。

 相手はこちらの攻撃に耐えられず、無様に逃げることしかできなかった筈だ。

 だが、予想外の反撃を受けた。

 自分は圧倒的に優位な立場だから、獲物を狩る獅子の立場だからこそ、自分が狩られる可能性など考えなかった。

 いや、そう思い込まされていたのだ。

 ろくな反撃もできず逃げ回るジャック・ザ・ヴァンパイアの姿に、自分が優位だと錯覚させられていた。


「全て、計算だったんすか。わざと追い詰められてボロボロになって、トラップ使いの私を、罠に嵌めるために」


 その問いに、夜宵は目蓋を閉じて小さく頷く。


「うん、私は貴方が撒菱を踏む状況を待っていたの。一流のトラップ使いである貴方が自分の罠を踏むには、私がピンチになって追い詰められるしかないって。でも本当にギリギリだった」


 あと少し遅ければ、大河忍者たいがにんじゃはジャックに追いつき、負けていただろう。

 肉を切らせて骨を断つ、それが追い詰められた状況で咄嗟に浮かんだ起死回生の策だった。

 それを土壇場で実行し、成功させた。

 夜宵は肩の荷が下りたように、ふー、っと息を吐き出す。

 そうして柔らかく微笑んだ。


「ナイスゲーム」

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