其の捌
海面に生じた小山に……船に乗る者たちは動きを止めて見入ってしまう。一瞬何が起きたのか分からなくなったのだ。
だがゆっくりと船に近づいてくるそれに気づき、船員たちは正気に戻ると……声を上げて船の進みを止めた。
船内で船の櫂を漕ぐ男たちは、罪を犯した罪人だ。
外の様子など分からずに命じられるままに漕ぎ手を止め、男たちは生じた休憩に息を着くのだ。
船内のホッとした様子とは違い、船上では船員たちが慌てて走り回る。
船に乗って長い熟練の者でも始めて見るほどの大きい生き物だ。どう対処すれば良いのかなど解りはしない。
ただ長い経験から船を止めて後退する……それを実演しているだけ素晴らしいとも言えるが。
「ミキ!」
駆けて来たワハラも慌てた様子だ。
「陸側に居ろ! 最悪船を捨てて逃げる!」
「あ~」
「何だどうした?」
「……」
説明する言葉を見つけられずにミキは頭を掻いた。
その旧友の様子にワハラのいら立ちが募る。
「俺はお前と違って賢く無いんだっ! はっきり言えっ!」
「……なら騒ぐな。あれはレシアが呼んだ」
「なん……だと?」
己の耳を疑った。ワハラは軽く頭を叩いて自分が正気か確認する。
どうやら気は狂っていないらしい。
「呼んだだと?」
「ああ。あのイソギンチャクをどうにかして貰うとのことだ」
「……」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
呆然と彼の妻を見ると、何故か拳を握って巨大な生物に声を掛けていた。
「さあバクッとやっつけて下さい! 大丈夫です! 食べなくても咥えてポイッとすれば良いんです!」
『頑張れば出来ます!』と騒いでいる女性の様子を見る限り、どうやら本当に操っているようにも見える。
ワハラは何とも言えない顔をミキに向けた。
「とりあえず船員たちを黙らせてくれ」
「……」
「あれがアイツの普通なんだ。察しろ」
ポンポンと彼の肩を叩いて……ミキは深く息を吐いた。
現れた巨大な海獣……アザラシに見える生き物は、バクッとイソギンチャクを咥え込むと、そのまま顔を振って遠くに放り投げた。
船に乗る者たちはその様子を見上げ……ほぼ全員が何とも言えない表情を見せたと言う。
「凄いですよ~。偉いですよ~」
「コッケ~!」
「鳥さんダメですよ? 邪魔する子は穴に香草です」
「コッ!」
飛んでいた球体が動きを止めて甲板に落ちた。
コロコロと転がって行く球体の姿を見送り、ミキは何とは無くため息を吐いた。
巨大すぎる海獣の鼻らしき部分を撫でている妻は、ある意味普通だから気にもしない。
呆然とその様子を見つめている船員たちの表情も見慣れているから気にもしない。
だがミキは一人の人物が気になった。この船を預かる船長だ。
紹介された時は特に気にもしなかったが、熟練の船員とは違い肝も据わっているらしい。
興味を持ってミキは彼に近づき話しかけた。
「凄いな。君の連れは」
「ええ。各地で問題を起こしますがね」
「あれほどの力だ。そうだろうな」
人の良さそうな初老の男性は、海の男らしく日焼けをしている。
だが鋭い眼光から歴戦の雄を伺わせる。
「彼女はどんな動物も手懐けられるのか?」
「試したことは無いですが……昆虫の類は無理だったような気がします」
「でも動物ならば手懐けられると?」
「あれはあっさりと手懐けましたね」
素直に認めミキも船長と同じく妻を見る。
甘えているらしい海獣に舐められている少女は……そのまま食われないか不安にさせる。
だが雰囲気から害意は無いと察して、彼は気に掛けないことにした。
「そうか……なら彼女が居れば出来るかもしれんな」
「何がですか?」
と、船長はニヤッと笑って船の進行方向の左に広がる海原を指さす。
「外海への進出だよ」
「……」
ふと海原に視線を向けるミキに船長の言葉が続く。
「君は知っているか?」
「何をでしょうか?」
「この海は何処までも続いていて……その先にこことは違う大陸があると言う話をだ」
そう打ち明ける船長はどこかキラキラとその目を輝かせていた。
今すぐにでも誰もが辿り着いていない場所に向かいたいと……そんな気配を漂わせながら。
「本当にあるのか?」
「疑いたくなる気持ちも分かる。だが船乗りの間では有名な話なのだが……何処の国の物か分からない家具などが海に漂っているのを拾うことがある。中には読めない文字もだ」
家具は気にもしなかったが、文字には引っかかる物がある。
この大陸には方言はあるが違う言語など存在していない。考えられるのは自分と同様の者たちが書いた可能性だが……覚えておいて損は無いはずだ。
「君の連れの協力を得られるのなら出来るかも知れないと……そう思ってしまったのだよ」
「そうですね」
ミキも果てない海の先を見つめる。
確かにこれほどの海が存在するのなら違う大陸があってもおかしくないのかもしれない。
クスリと笑ったミキは、それから船長と長話をし……ワハラとある話をしてウルラー王に相談するように願い出た。
自分の申し出に渋る旧友を納得させる為に、ミキはレシアに頼み海獣の鼻先で船を押して貰う。
考えられないほどの速度で動き出した船は……寄港予定の港を過ぎて、西部最西端の港へとたどり着いたのだった。
アフリズム王国某所
「それは事実か?」
「はい。王都に居る密偵からその様な報告が」
「……なら急ぎファーズンに知らせを届けよ」
部下の報告を受けた彼は、報告書を急ぎ本国に送ることとした。
『シャーマンの巫女を発見。西へと向かった模様』
簡潔だが、それは何よりも重要な報告であった。
(C) 甲斐八雲
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