其の肆拾漆
「離せエスラー」
「ダメです兄さん!」
必死に食らいついて来る弟を引き剥がそうとウルラーは激しく体を振るう。
女遊びしかして来ていないエスラーは兄と比べると筋力に劣る。何度か震わされると腕を外され、オルティナの前に転がり出た。
「エスラー……か」
その存在に軽く目を瞠りオルティナは我が子を見た。
ハッと何かに気づいた次子は、次に母親にすがり付く。
「母さんも兄さんに謝って!」
「……」
「謝れば兄さんでも許してくれるよ!」
必死の声は彼の本心だ。許してくれると本当に思っているのだ。
それだけにオルティナは我が子に汚物でも見るような目を向けた。
諦め……そうと取れる目を弟に向けている母親の様子に、ウルラーは母を諦めた。
「……許さんよエスラー」
「兄さん!」
「許せる範囲をもう越えている」
剣に手を置きウルラーは厳しい目を弟に向ける。
「その女を生かしておくことは出来ない」
「でも兄さん!」
「くどい! オルティナはもう母ではない! この国に仇なす罪人だ!」
言い切ってウルラーは剣を抜いた。
刀身に光を受けて鈍く光るのを見つめエスラーの顔から血の気が引く。
だが弟は、人生で最大級の根性を見せた。
母親の前で両手を広げて壁となる。
「エスラーよ。これ以上兄を幻滅させるな」
「それはこっちの言葉だ!」
涙と鼻水まで溢して彼は兄に噛みつく。
「どうして親子で殺し合わなきゃいけないんだ! 家族だろう! それなのに最初から殺し合いばかり考えて! どうして手を取り合って助け合おうとしないんだ!」
正論だと誰もが思う言葉だった。
しかしエスラーは理解していなかった。
実の母と兄が……自身の理解の範囲外に居ることにだ。
「エスラーよ」
「兄さん!」
自分の言葉に理解を示したと思い涙を拭った彼は、兄の冷たい視線に驚き怯えた。
「お前はもう何も話すな」
「……」
見ている世界が違うのであれば、その言葉の本質も違うモノになる。
「俺とお前とでは見つめる先が違うのだ」
ウルラーは歩を進めた。
「王である俺が望むのは家族の仲では無い。国の安定と成長だ。それを害する存在であるのならば母親であろうと弟であろうと排除する。それだけだ」
弟の肩に手を置いて王は彼を排除する。
視線の前に居る母親……オルティナは、ただ冷たい目を我が子に向けていた。
「奴隷の子が王の道を語るのか?」
「ああ。俺は王だからな」
「奴隷の子が王になるとは、この国ももう終わりよのう」
クスクスと笑う彼女は手を動かしエスラーを掴む。
扇を振ると先端から刃が生じ、オルティナはその刃先を自分の息子に押し付ける。
「かあ……さん?」
「愚かな王よ。弟の命は大事であろう?」
「母さん……?」
呆然自失のエスラーは、我が母親を肩越しに見た。
自分の子供に視線すら向けず、刃を向ける姿をだ。
「愚かだなオルティナ? エスラーとて十分に罪人である」
「なら殺してあげましょうか? 優しいお兄様には出来ない様子だから」
「……」
握る剣を震わせ、ウルラーは目を閉じた。
分かってはいる。自分が本来採るべき決断など。
だが母親と違い弟には何ら恨みなど無い。罪を犯していたと知っても、だ。
「お前にエスラーは殺せん。それがお前の甘さだ」
「……」
「部下に命じて道を開けよ」
「……」
自身の甘さが仇となった。
王は相手に気圧される様に一歩足を退く。
「息子さんに刃物を向けるのは感心しません」
ひょいと……本当にひょいと、オルティナが持つ扇の先端から刃が抜かれて捨てられた。
それをやってのけた存在は、クルクル回ってその場から離れて行く。
何しに湧いて出て来たのかと突っ込みたくなるほど、その場が静まり返った。
「ミキ~。だから左がこう来るから右をこうしてですね。そうです。そして体をこ~んな感じで捻ってすれば良いんです」
「無理だから黙っていろ」
「酷いです!」
たった今物凄いことをやってのけたはずの彼女は、それすら忘れてプンスカ怒りだしていた。
と、現実に戻った王はその剣先を向ける。
勿論相手は何が起きたのか把握していない母親だった者だ。
「何が……何が起きたのだ?」
「呆れてしまうな。こうも現実とは覆されるとはな」
「馬鹿な……」
呆然自失。流石の王も相手に同情せざるを得なかった。
「もうお前を助ける者など居ない。オルティナよ」
ただ静かに視線を向けて剣先も向ける。
慌てる彼女は床に崩れた無能な息子に目を向けるが……舌打ちをして視線を巡らした。
だからこそ見なかったのだ。エスラーの手が床に転がる物を掴むのを。
「誰かこの者をっ」
悪あがきでしかない。それでも声を上げて救いを求めようとしたオルティナは、受けた衝撃に言葉を詰まらした。
ゆっくりと視線を動かし彼女は見た。
無表情の息子が、エスラーが剣を握り抱き付いているのを。
「エス、ラー」
コポッと溢れて来た血液を口から溢し、オルティナはもう一度視線を動かす。
自分の腹に突き刺さる剣を、息子が握り捻るのを。
「……これが……私の……最後か……」
自分を刺す息子を押し退け、彼女は王に目を向けた。
震える足を動かし前進して来る女性に、ウルラーはその手を動かした。
迷うことなく振るわれた剣は……母親であった者の首を刎ねた。
「終わったな」
「終わっか」
だが将軍の剣は止まらない。
「終われよ」
「断る!」
それからしばらく……王が止めるまで二人は刃を合わせ続けた。
(C) 甲斐八雲
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