其の漆

「……で、あの馬鹿の2人は?」

「飯抜きで荷運びの仕事をさせてます」

「倒れるまでやらせておけ」

「りょ~かいです」


 いつも通りの軽い口調に、酒を煽っていた彼は気だるそうに目を向ける。

 何かと使えるから傍に置いている胡散臭い男……どうやら自分と同じ"場所"の出らしいが、出自など詳しいことは話したがらない。


『旦那ほど有名でも無いできに~』と言って笑って誤魔化すのだ。

 口ぶりから京より西の出だと分かるが、彼は意識してその口調に徹している節がある。


「なあゴン」

「はいな」

「……その若いのは強かったか?」

「旦那ほどではありませんよ。良くて俺っちと同じくらいかと」

「ならそこそこか」


 遠回しに馬鹿にされたが、ゴンは言い返さない。言い返せない。


 目の前で酒を飲んでいる人物は古今無双の化け物だ。

 たぶんその強さは、あの『武蔵』に匹敵する。


「巌流とは出会えずだったからな……お前は見たことはあるのか?」

「はいな。でもこっちやのうて"向こう"に居た頃ですが」

「羨ましい話だ。俺は巌流も武蔵も見ていない」


 否、彼は武蔵と会ったことはある。だが年老いた老人だった。


 腰の物を抜いて斬りかかれば勝てていたかもしれない。だがそれだけだ。

 年寄り一人を斬り殺して得られる名誉などただの自己満足でしかない。


「……叩けば伸びそうか?」

「どうでしょう? 旦那の叩きは相手の心もボキッと折りますから……運よく無傷でも使い物にならなくなるかもしれませんな」

「別に構わん。それでダメなら斬り殺せば良い」

「はいな」

「あとで街に行く。女共に何か欲しい物は無いか聞いておけ」

「はいな」


 軽い足取りで彼が立ち去ったのを確認し、彼……ミツは空になった盃にまた酒を注ぐ。

 こちらの世界に来てから"ワイン"と言う南蛮酒の様な物ばかりだ。たまには地酒の様なキツイのが飲みたいと思う。それこそ運に身を任せるしかないが。


 しかし……


(最近周りが獣臭いな)


 隠れ家として使っている廃棄された砦跡から外を見て彼は嗤う。

 また懲りもしない馬鹿な獣がやって来ているのだろう。本当に懲りない。


(俺はもう何かを守るだなんて真っ平だ。家名を、家督を、そんなしがらみを守ろうとして得たモノは何だ? 嫉妬や妬みばかりだ)


 嫌な気持ちに酒を煽って胃の中へと一緒に押し流す。


(守ることが何になる? 俺が得たいのは……自由だ)




「ミキ?」

「ん?」

「……えいっ」


 ベッドで横になっている彼の上にレシアはまた馬乗りとなった。

 懲りて無いと言えばそれまでだが、今夜はちゃんと寝間着を着ているから胸がこぼれたり下着が覗いたりしないはずだ。


 準備万全で彼の顔を覗き込もうとしたら、七色の球体を突き出された。

 チュッと鳥とキスして……何故か鳥の方が恥ずかしそうに視線を逸らす。


「ってミキ!」

「何だ?」

「少しは私にも話して下さい」

「……」

「何か難しそうな顔をして。そんなに私は頼りないですか?」

「……無いな」

「うがぁ~」


 握った拳で相手の胸を軽く打つ。

 分かっている。分かっているが……そんなにはっきりと言われるとやはり傷つく。


 少しは相手のことを想ってと、胸を打つ手を掴まれて引き寄せられた。

 ポフッと相手の肩に顎を乗せて止まる。


「ミキ?」

「……」


 何も答えずただ頭を撫でて来る彼に、目を弓にしてレシアは甘えるように頬を寄せた。


「……やはり重いな」

「うっにゃ~っ! 今日は流石に怒って良い気がするから怒りますっ!」


 怒りに任せて相手の顔を両手で包むと、レシアは自ら唇を寄せて……相手の口に直接不満を伝えた。


「どうですか?」

「……足らんな」

「ならもっと聞け~なのです」


 再度彼女が唇を寄せたのは言うまでもない。




 昼過ぎに街へ出ると……あからさまに気配が違った。

 圧し掛かる様な圧力は、機嫌の悪い義父と相対した時を思い出させる。

 自然と怯えたレシアが彼の腕に抱き付くのは、彼女がシャーマンであり異変を察知することに長けているからもある。


「レシア?」

「……変ですミキ」

「どうした?」

「……街が一つの感情に支配されています」


 中央草原で大トカゲを見た時以来の怯えようだ。


 これは何かあると……自然と彼女の腰に手を回し掴む。

 ブルブルと震えるレシアは、自らも体を寄せて彼に甘える。


 街を覆いつくす気配……それは圧倒的な"殺意"だ。


「たぶん相手が誘っているのだろうな」

「あの……ミツさんと言う人ですか?」

「だろうな」


 ギュッと抱き付いて来たレシアが不安げに顔を動かす。

 ミキはそんな彼女の頭を優しく、本当に優しく撫でた。


「大丈夫だ。俺は負けない」

「でも……」

「負けられないんだ」


 軽く唇を噛んでミキは覚悟を決めた。


 負ければ失うものがある。己の命よりも大切なモノが、スルリと自分の手から消えうせるのだ。

 ならば死ぬ気で当たるしかない。




「若長様」

「何よ」

「……どうしてそこまであの様な人の雄に肩入れするのですか?」


 屋根の上から己の視力だけで相手を捕らえ観察する女性に、従者たる少女が不満を溢す。


「そうね」


 チラリと控えている少女を見て、クスクスと女性は笑った。


「貴女がもう少し育てばきっと分かるわよ」


 まだまだ幼い少女にそう告げて……女性はその目を"巫女"に向けた。


「あの子もまだ……育ってないしね。一番成長しているのが"神獣"って言うのは大問題なんだけどね」


 クスクスと狼である女性は喉を震わせ笑った。




(C) 甲斐八雲

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