其の拾捌
ミキはチラリとレシアを見る。
着替えている途中で襲撃にあったせいでちゃんと服が着られていない。
年頃の娘が片乳を出している姿は多少なりとも考え物だが、その目は熱いくらい真剣な物だった。
少しでも自分の経験になる動きを盗み取ろうと、つぶさに彼を見ているのだ。
(あの熱意を他にも使って欲しいものだがな)
静かに上段に構え、ミキは静かに息を吐く。
ただ彼の不可解な選択に気づいている者などこの場には居ない。
そもそも刀を持つ者などこの大陸広しと言えども彼ぐらいだ。だからこそ大胆なことが出来る。
手に持つ"脇差"を構え、ジリジリと相手ににじり寄る。
人とも狼とも言えない姿となった相手は、手にしていたナイフを投げ捨て……ナイフ以上に立派な爪を出す。
何があっても目の前の人を殺し、巫女を奪い取る。
そう覚悟を決めて一歩踏み出そうとした時、先に攻撃を仕掛けたのはミキだった。
自然な動きで……流れるような動作で武器を振るい、そして迷うことなく放り投げた。
クルクルと回り飛ぶそれを視線で追った化け物は、自分の横を過ぎるのを確信して攻撃に転じ、
「ギャッ!」
背後からした声に反応し、体ごと振り返ってしまった。
刀を胸から生やした少女の様子に目を剥く。
その反応が生死を分けた。
ミキが得意としているのは居合にも似た"抜き"と称する抜刀だ。
故に脇差を投げると同時に彼は相手に向かい歩を進め、腰の打刀に手を乗せていた。
ミスリル製の刀は恐ろしいほど鞘の中を走り抜ける。
音すら発せず振り抜くそれは、剃刀以上の斬れ味だ。
ミキが右腕を左から右へと流し動きを止めた時……斬られた化け物は、胸の辺りから上下に別れ地面へと転がった。
刀を振るって血と脂を払い、ミキは視線を少女へ向ける。
胸に刀を突き刺したままの彼女は、激痛に顔を歪めながら彼を見ていた。
普通なら心臓付近に刺さる刀の刃によって大量出血のはずだが、胸から溢れる血の量は思いの外少ない。ただ決してその傷は軽い物では無い。
「人間なら普通死んでるはずだがな」
「……」
可愛らしい年相応な顔に恐ろし気な怒りの形相を浮かべ犬歯を剥いて唸る。
ミキは刀の切っ先を地面に向けいつでも振るえる様に備えながら相手を見つめた。
低く響く唸り声はしばらくすると止まり、少女は血走った眼で彼を睨む。
「いつ気づいた?」
「馬車が動き出してしばらくしてからだな。確信したのは日が沈む前だ」
「そんな早くに」
口の端に血の泡を付け少女は苦悶の表情を浮かべた。
自分の行動は確実に人の少女を模していたはずだ。
今までもこうして人の雄を騙して来た。雄の精を求めず、その荷物などを漁り得る。
そうすることで"聖地"と呼ばれる田舎では手に入らない宝飾品などを手にし、それを元に仲間を募って来たのだ。
コツコツとコツコツと……祖母の祖母の代から気づかれない様にこっそりと。
その積み重ねた経験を、こともあろうか人の雄にあっさりと見破られた。
口惜しさと激しい憤りに少女は奥歯を噛み締めた。
「どうして気づいた?」
「……お前、レシアに抱き付いた時に『臭い』と言ったろう? 俺ですら気づかない臭いをだ。で、考えた。アイツが臭う原因をな」
「私は臭くっ」
キッと睨んで馬鹿を黙らせる。
「前日に穏健派の女が来てレシアを舐め回していた。たぶんその臭いかと思った。お前も取って付けた様に『獣臭い』と言ってたしな。でも俺の鼻にはそれを感じない。でだ……さっき御者が夜営の回りに"狼の小便"を撒いていた。何でも動物避けになるからと言う話だった。だったら同じ狼でも他の狼の臭いを嫌がるんじゃないのか? その結論が出て、俺の中ではお前は狩るべき敵になっていた」
淡々と説明する相手の言葉は的を得ていた。
馬車の中で"巫女"に抱き付いた時、憎き一族の臭いがしてつい口を滑らせた。それでも咄嗟にした言い訳は十分な効果を得られると思っていたが……相手には通じなかったのだ。
自ら墓穴を掘りその穴にはまった。そして今、文字通り自分の"墓穴"となっている。
少女は苦笑し、胸に刺さる刀を手にして引き抜く。
恐ろしいほど切れ味の良い武器は、スルスルと抜け……引き抜くために握った刃で自分の手を傷つけるほどだった。
「逃げたりはしないんだな」
「……もう逃げる場所は無い」
「中央草原から離れれば良いだろう?」
「……我らは狩り人。この地を離れることは本能的に無理だ」
「そうか」
ミキは正眼に構えて相手を見る。
右手できつく握った刀を振りかぶった少女は……身を低くして飛びかからんとする姿勢を作る。
分かっている。相手には目にも止まらない速さで動く業があることを。
そっと息を吐いて……ミキはただ一点を見つめた。相手の爪先を。
深く地面を抉る様に踏み込んだ少女と、刀をその場に残し横に飛んだミキ。
彼が地面を転がっているうちに全てが終わっていた。
それでも相手を褒めるべきだろう。
正面からミキが置き去りにした刀を受けても倒れずにいた少女は……眉間から溢れる血液で、その顔を血の色に染めていた。
(C) 甲斐八雲
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