其の拾壱

 最近見上げてばかりの天井を見つめ……カロンは苦しくならない程度に深く息を吐いた。

 呼吸も気を付けないと体の負担になってしまう。きっと"肺"と呼ばれる臓器もちゃんと機能していないのだろう。


 静かに目を閉じて、内なる自分の記憶を呼び覚ます。




 最初に思い浮かんだのは……本当に幼い頃の自分だ。


 あの頃は親方を自分の"祖父"だと思い甘えていた。

 自分以外の子供にも両親の居ない者がいた。だから自分もそんなものだろうと思っていた。


『あんな他人の子供を引き取って育てるなんて……本当にディッグの奴はおかしくなっちまったんじゃ無いのか?』『違いないな』『若い頃は……本当に優秀で頼りになる狩人だったのにな』『ああ。アイツが村長になった時は、これでこの村も大きくなると誰もが思ったよな』


 ある日いつもの様に村の中を冒険していたらその言葉を拾った。

 聞いて……詳しいことは理解出来なかったが、それでも子供ながらに理解出来る物もある。

 自分が"彼"とは血の通っていない、本当の家族では無いという事実だ。


 それ以降カロンは、彼のことを"親方"と呼ぶようになった。

 村の青年が、年配の者をそう呼んでいたから……そう呼ぶのが正しいのだと思ったからだ。


 次に思い出された言葉はやはりあれだった。


『またディッグの奴がグリラを仕留めたそうだぞ』『今年に入って何匹目だ?』『知らんよ。勝手にあんな凶暴な化け物に喧嘩を売り続けやがって』『他に森に入る奴の身になれよな。人間と見れば直ぐに襲いかかって来るのは、全部ディッグの奴のせいに違いない』『ああ。本当に迷惑な奴だよ』


 親方がグリラを狩っているのは有名な話だった。だから村人たちが彼を嫌っているのもだ。


 グリラは凶暴で人を見れば襲いかかって来る。この村の狩人も何人と襲われ死んでいる。

 その死因を残された家族たちは全て親方のせいにしていた。グリラは"人"を見れば誰彼関係無く襲って来るのにだ。


『彼らはな……行き場のない怒りをぶつける場所を求めているんだよ』


 そう言っていたのは村に住む老婆だ。

 彼女は本当に色々なことを知っていて、知恵袋と呼ばれている。

 そんな彼女が苦しそうな表情でそう教えてくれた。


 でもカロンは知っている。親方の元で狩りを学んで来たから知っている。

 狩りとは本当に危険な物なのだ。相手の命を狙う以上……こちらの命の危険が伴う行為なのだと。

 だからこそ決して手間を惜しむことなどせず万全の準備をして行わなければいけない。


 死んだ者たちは、その手間を疎かにしていた者たちだ。

 前日に深酒をして酔ったままで狩りに行ったのだと……村人たちが話しているのを聞いて知っている。


 それなのに残された家族たちは口を揃えて言う。

『グリラを狩るディッグが悪いのだ』と。


 言いがかりだと思う。子供ながらにそう思う。でも……。


 当の親方は何も言わずに彼らの言葉を受け続けていた。黙々とただ甘受するかのように。

 見ているのが本当に辛い。代わりに自分が騒げたらと何度も思った。


 次に思い出されたのはそんなに古くない記憶だ。

 十を越えたのにあまり成長しない自分。そして体に刻まれた傷跡の原因。


『あの子長く無いんでしょ?』『ああ。巡回して来る医者が言うには、手の施しようが無いらしい』『苦しんで死ぬと言うのが分かっているのに……本当に酷いことをする男だね』『気が狂ってるとしか言いようが無いな。育てば死ぬ子供を傍に飼ってるんだからな』『全身傷跡だらけなんでしょ? 育っても誰も貰わないのにね』


 村を歩けば自分の知りたかった言葉をこうも簡単に拾える。

 立ち話をしている村人の傍を通り軽く挨拶をして姿を隠せば良い。あとは隠れて聞き耳を立てれば十分なのだ。


 本当に嫌になるほど簡単に全てを知れる。

 自分の体に刻まれている傷跡をどれほど嫌っているのかなんて、立ち話をしている村人たちは知らないのだ。


 子供の頃……村の子供たちと行った小川で、カロンは自分が他の子供たちと違うのだと嫌というほど思い知らされた。全員が恐ろしい物を見る目で自分を見て、それ以降一緒に遊んで貰えなくなった。

 呪いと言っても良いこの傷跡が、自分を死に追いやるこの傷跡が……全てを奪い去って行くのだ。


 いつの頃からか不意に彼が『お前……血など吐いて無いだろうな?』と質問する様になった。

 最初は狩って来た獲物の血抜きでへまでもして、そんな風に思われているのかと思った。

 齢を追うごとに自分の体の中から鈍い痛みを感じる様になり薄々理解した。

 拾い集めた話を総合すれば、どんなに馬鹿な自分でも答えに辿り着く。


 そして遂にその日が来た。


 朝から気持ちが悪くて頭がフラフラすると思っていた。

 風邪でも引いたのかと思いながら、畑に野菜を取りに行こうと家を出て……二歩歩いたところで不意に込み上げて来た物をぶちまけた。


 それは塊の血だった。


 崩れるように地面に倒れ込み、こちらに向かい慌てて走って来る親方を見てこんな風に思った。『親方。血なら……今吐きました』と。




 溢れ出る涙をそのままに……カロンはギュッと目を閉じていた。


 子供でも解る。自分の命が長く無いことくらい。

 こんな状態の自分が長生き出来るなんて思い様が無い。


 でも。それでも。自分のことより辛いことがある。

 血を吐いたその日以降……親方の狩りがより必死な物になったからだ。


 グリラを狩る彼は、命を投げ出し差し違える勢いだ。

 止めて欲しいと喉まで出て来る言葉が言えない。

 何故なら……彼がどうしてそんな無茶をするのか、カロンは理由を知らないからだ。




(C) 甲斐八雲

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