其の捌

「ん~。眠いです。もっと寝てたいです~」


 夜中に叩き起こされた彼女の機嫌はすこぶる悪い。


 ミキは半ば呆れながらため息を吐く。

 そんな相手の機嫌を直すのは簡単だ。そっとその可愛らしい唇に自分の物を重ねるだけ。


 ただ昨夜は横になっても上機嫌のままだった彼女は、その高ぶった気持ちが残っていたのか……キスをして来た彼の首に抱き付くと、その身を押し付けて放さんばかりに唇を押し付けて来た。


 その様子にミキは思う。たぶんキスする必要は無かったなと。


「それでこんな時間に移動ですか?」

「ああ」

「も~。夜が明けてからでも良いのに」

「そう言うな。アーチッンまで運んでくれるんだから」


 怒っているはずなのだが……レシアは彼の腕に抱き付いたままだ。

 それはそれ。これはこれとして彼女の中で割り切っているのだろうか。

 ミキは彼女を伴い、急いで準備を進めている馬車の間を過ぎて目的の場所へと向かう。


 ふとレシアが生活用品などが積まれた荷台を前に不思議そうな表情を浮かべて足を止めたが、彼が軽く促すと素直に従い歩き出す。

 部下に対して指示を飛ばしているクックマンは、彼らに気づいて手を挙げた。


「準備の方は?」

「もうすぐ移動出来る。それよりミキよ」


 声のトーンを落として詰め寄った商人が耳元でささやく。


「本当にアーチッンに向かって良いのか?」

「ああ。こっちはただの商隊だ。商売に向かう者に手を出せば、商人が来なくなってしまう。仮にブライドンの兵と出会っても行き先を聞かれるだけで何もされないさ」

「お前がそう言うなら信じる」


 また仕事に戻るクックマンを見送り、ミキたちは荷馬車の荷台に上がった。

 先に運んで貰った自分たちの荷物を確認し、その他の荷物の間に身を寄せ合って横になった。


 今夜は夜通し移動になるだろう。

 なら夜が明けてから商隊が休息をとる時に見回りぐらいする気でいた。


「ミキ」

「ん?」

「広いベッドも良いですけど、私はこっちも良いです」

「そうか。寒くないか?」

「大丈夫です。寒くなったらもっとミキに抱き付きます」

「出来たら起こしてくれるなよ」

「知りません。私は好きにするので……ミキが起きなければ良いんです」


 無茶苦茶な言葉であったが、彼はポンポンと相手の頭を撫でて……額にキスをして目を閉じた。




 思いの外アーチッンへ向かう道中は平穏だった。

 街道沿いに出て来る筈の化け物が全く出てこない。

 休息の間だけ警備を買って出ていたミキだったが、翌々日には普通にのんびりしていた。


 行程の問題は全くと言いほど無かったが、別の問題が発生していた。"不満"だ。

 イットーンに到着して直ぐに商売。そしてアーチッンへの移動。

 クックマンの部下たちは全く休むことが出来ず、前から居る商品も移動続きで十分な休息すら無い。


「こればかりはな」

「ミキ。何か良い対処法は無いのか?」

「……あるぞ」

「本当か!」

「ああ。クックマンが少しぐらい懐の深さを見せれば良い」

「懐の深さだと?」


 手綱を動かし荷馬車を操っている商人が驚いた様子で隣を見た。

 刀を胸に抱いてのんびり空を見上げる青年をだ。


「ブライドンで商売をするのだろう?」

「ああ。事前情報だとクラーナの一団が闘技場に入っているはずだ」

「今回の商品の自信度は?」

「将軍の令嬢から隊長の娘まで、俺が商売を始めて今までで一番の品揃えだ」

「クラーナの一団はシュバルよりも遥かに大きいし人気者揃いだ。きっと高値で買ってもらえるだろうな」

「ああ。だから一体なんだ?」

「今夜にでも部下たちに宣言しておけばいい。『クラーナの一団を相手に大儲け出来たら、次の給金を数倍にして払う』とな。金額はお前の懐の深さ次第だよクックマン」


 空を見上げているミキは気軽にそのことを口にした。

 正直他人事だ。だから儲けの還元などを提案出来る。


 クックマンは少々欲が深すぎる。だから少しは部下に対して目を向けることも必要なのだ。

 豪商と呼ばれた者たちの中で、旅の途中で不自然な最期を迎えた者は本当に多いのだから。


「忘れるなよクックマン」

「何を?」

「お前が扱っている商品も"人"だし、部下も"人"だ。人はすべからく全員感情を持っている。良い扱いを受ければ良い感情を。悪い扱いを受ければ悪い感情を。見習いの商人だった頃……どんな商人になら使われても良いと思った?」

「……私は優しい人が良いです~。毎晩ポンポンと頭を撫でてくれる優しい人とか」

「黙って寝てろよレシア」

「は~い。Zzz……」


 途中で寝言が妨害して来たが、ミキはあっさりと受け流した。

 空に向けていた視線を一度だけ荷台へ向け、彼はクックマンを見た。


「人の上に立つ者は常に下の者の気持ちを汲み取り、何かが起これば対処できるように身構えておくことが必要なんだ」

「……なあミキよ?」

「ん?」

「お前は本当に不思議なことを言う時があるよな? 今だってそうだ。まるで自分が上に立つ者だったように語って来る。お前は本当に何者なんだ?」

「……ただの捨て子だよ。それを拾われて奴隷と一緒に育っただけだ」

「それにしては色々な分野に精通しているよな?」

「奴隷に身を落とす者も千差万別だ。学に秀でた者も居たってことさ」

「そんな奴らに学んだと言うのか?」

「どこに居たって学ぶことは出来るんだよ。人生常に修行だよ」

「……そうです。だから私も頑張ります~」

「黙って寝てろ」

「は~い」




(C) 甲斐八雲

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