債権回収というお仕事

西乃狐

第1話「自戒」

 応接室の古い草臥れたソファは、けれど清潔感を感じさせるものだった。


 途中の事務室も業績不振の会社に似つかわしくなく、掃除や整理整頓が行き届いていた。多くの事務机の内、使われている形跡があるのは二席ほどしかなかったけれど。


 少し待たされた後、先程の若い女性がお茶を出してくれた。


 スウェットの上下にスニーカというラフな格好なのにきちんとした印象を受けるのは何故だろう。整った顔立ちに施された控えめな化粧のせいか。綺麗に纏められた黒髪のせいか。それとも一つ一つの所作の積み重ねか。いずれにせよ室内が清潔に保たれているのが彼女のおかげであることは間違いなさそうだ。


「あいにく父は外出中で」


 その言葉で社長の娘だと知る。慌てて立ち上がって名刺を出して挨拶をした。


「御社の担当にはなったばかりです。宜しくお願いします」


 名刺にある社名の債権回収という文字を見ても驚かないのは、こちらの正体を既に知っていたからだろう。


 表で会った時には銀行名を名乗っている。担当先の従業員に迂闊に債権回収を名乗ってしまうと、いらぬ動揺や憶測を招いて経営に悪影響を及ぼしかねないからだ。出向の発令は銀行の融資業務部とサービサーの兼務だから、嘘をついているわけでもない。


 彼女の名刺には氏名だけで肩書はなかった。


「父は夕方くらいまで戻らないと思います」


「お約束もしていませんので、どうかお構いなく」


 担保不動産であるこの事務所と工場の現地調査、特に周辺環境を知ることが目的だった。


 この会社の向かいに完成したばかりのマンションを見上げていたら、偶々たまたま事務所から出てきた彼女に声を掛けられ、そのまま応接に通されたのだ。


 周辺ではかつて林立した工場の多くがマンションなどに建ち替わり、交通の便も良いことから人気の住宅地になりつつある。今のうちに会社を畳んで処分をすれば、当行の融資はぎりぎり全額回収できる計算だった。


「ちゃんと商売やってるかどうか、偵察に来られたんでしょう?」


 明るい口調で発せられた言葉に、すぐに反応できなかった。担保調査などと言うと会社を処分するよう迫ったと受け取られかねない。


 この会社はもう何年も元本が返せず利払いのみとなっている。赤字続きの債務超過で、債務者区分は実質破綻先じっぱ手前の破綻懸念先はけ。業績回復の見通しも立たない。回収の極大化を図るならば、早く事業をやめて物件を処分させるべきだ。


「やだ、冗談ですよ。洒落になりませんでした?」


 屈託のない笑顔が眩しくて目を細めてしまう。

 話題を変えることにした。


「またマンションが増えましたね」


 だが、話題を変えることには失敗したらしかった。


「こんな工場を続けているのが時代遅れなんでしょうか。でも、父はこの仕事が好きなんです。それだけに昨今の大和工業のやり方には業を煮やしています。苦しい時は協力工場が団結して支えたのに、この仕打ちですから。無理もありません」


「大和工業の下請けは結束が固いことで有名でしたからね」


 生き残りの為、大手とて形振なりふり構っていられなくなったということだ。長期に亘る円高不況で、製造拠点を海外シフトした企業は多い。将来的に為替相場や景況感が改善したとしても、国内の下請け業者に以前のように仕事が戻るわけではない。モノの流れは既に大きく変わってしまっているからだ。


「御社はよく頑張っておられると思いますよ」


 その頑張りを良しとするかどうかは別問題だが、あまり辛辣なことは言えない。まだ社会人駆け出しであろう女性に対しては尚更だ。だが、彼女は案外わかっているようだった。こちらの当り障りのない言葉には乗ってこない。


「父はああ見えて銀行さんには感謝してるんですよ。義理堅い人間ですから。義理はこちらが感じるものであって相手に求めるものじゃないと、よくそう言っています。大和工業や銀行さんの方は、この町と同じように様変わりしてしまったのかもしれませんが。でも、父も最近は酔うと愚痴が多いです。体さえ壊さなければ、いくら飲んでもいいんですけどね。工場だって父が続けたいのなら続ければいいし、そうでないなら」


 もう自分も成人しているから生活は何とでもなると、彼女は空気に溶けてしまいそうな笑顔を見せた。


「辛いのは父が不本意な思いをすることです。父がやり切ったと思えるなら、わたしはいいんです。でも」


 事務職の社員を全員解雇したとき、社長は泣いて詫びたという。


「もうあんな思いはさせたくありません」


 最近では彼女が一人で事務を切り盛りしているらしい。


 気負いも誇張も感じられない彼女の言葉に一つ明らかな嘘があった。社長は決して銀行に感謝などしていない。雨降りに傘を取り上げるどころか傘を取り上げておいて自ら冷や水を浴びせるような銀行に、誰が感謝などするだろう。


 月末の会議までにこの会社に対する方針を纏めなければならない。気が重くなって、また酒量が増えてしまいそうだと一瞬だけ思ってから、その程度のことなど社長の重圧に比べれば何てことはないと、自戒した。



第1話「自戒」終

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