35.わたしがそうしたかったから

 雨がやんで、空には星が瞬いている。

 昼間の天気の悪さが嘘みたいに綺麗な夜空。細い月が浮かんでいて、すぐ傍には一際輝く赤い星。


 窓を開けて空を見ていたわたしは、ドアの開く音に振り返った。浴室に繋がるその扉からは、まだ髪を濡らしたままのラルが姿を見せた。


「ああもう、髪乾かさないと風邪引いちゃうよ」

「うん……」


 ラルは困ったように笑いながら、タオルで髪を拭いている。


「まだ気にしてるの?」

「気にするでしょ。……今からでも部屋を替えてもらえないか、聞いた方が――」

「無いって言われちゃったでしょ」

「それはベッドが別の二人部屋が無いって事で、一人部屋を二つならあるんじゃないかな」

「もうこの時間だもの、埋まっちゃってるって」


 諦めが悪いな。

 わたしは窓を閉めるとラルの髪を乾かそうと近付いた。



 ここは宿屋。

 昨日と同じ宿屋で、昨日は一人部屋を二つ借りた。しかし今日は、二人で一つの部屋を借りている。

 ラルが困っているのはベッドが一つしかないからで、当然わたし達は一緒に眠る事になるだろう。男女が一つのベッドで……というのをラルは気にしているのだけど、何を今更と思うのはわたしだけだろうか。


 鏡台の前にラルを座らせて、タオルで髪の水分を拭き取っていく。ラルの髪はわたしよりも長くて、わたしはこの赤い髪を触ったり結ったりするのが好きだったりする。


「ラルはわたしと一緒に眠るのは嫌?」

「そういう言い方は狡いよねぇ。分かってる? オレはアヤオが好きで、オレは男だって事」

「分かってるけど……」


 今日はラルを一人にしたくなかったのだ。

 だから二人部屋を選んだのはわたしだ。ツインルームが空いていなくて、ダブルベッドになってしまったのは想定外だったけれど。


「ラルはわたしの心が固まるまで待ってくれるもの」

「うわぁ、生殺しだねぇ」


 大袈裟に溜息をつくけれど、ラルは笑ってくれている。それに甘えているわたしはやっぱり狡い。


「……なんてね。オレも分かってるんだ。ありがとう、アヤオ」

「何の事だか」


 わたしは鏡越しに肩を竦めて見せると、温風器ドライヤーのスイッチを入れてラルの髪を乾かしていった。宿の温風器は家で使っているものより重いし、パワーがある。音も結構な大きさで、会話が出来なくなる程だった。



 ベッドサイドの明かりだけを光源に、二人でベッドに寝転がる。ラルが上掛けを持ち上げて、わたしが入りやすくしてくれた。潜り込んだわたしは枕を抱えるように俯せになった。見ればラルも同じ姿勢で、まだ眠るつもりがないところも同じらしい。


「……少し話をしてもいい?」

「もちろん」


 囁くような声に、わたしは頷いた。


「オレは祖父母と、両親、それから弟と暮らしていたんだ。祖父母は遺体で見つかったけど……両親や弟はどこにいるんだろうって、ずっと考えちゃってる」


 枕元に散らばる赤い髪を耳に掛けて、ラルが眉を下げた。片手で枕を抱え直したわたしは、逆手を伸ばした。ラルはその手をしっかりと握りしめてくれる。


「アザレアとカルミアは双子の姉妹でね、オレを慕ってくれていたんだ。『ジェラルド兄様』っていつもオレの後をついてきてた。小さい時からずっとそう……妹みたいに可愛がってた」


 神父様の見せてくれた紙に描かれていた、可愛らしい双子。肩辺りで内巻きにされたボブカットに、お揃いのカチューシャがよく似合っていた。


「ユージムおじさんは雑貨屋を開いていて、発明品を作るのが好きだった。いつも工房からは爆発音がしてて、店先まで黒い煙が流れてきてたけど」


 思い返してか、ラルの声が和らいでいる。それでもその表情は翳りを帯びていて、見ているだけで胸の奥が苦しくなるようだった。


「グレイリーは菜園の管理をしていて、スージットはよくそれを手伝ってた。二人の作る野菜は本当に甘くて美味しくて……うちもよくお裾分けを貰ってたんだ」


 わたしは枕を抱くのをやめて、体を横向きにした。枕に頭を預け、ラルの方へと体を向ける。繋ぐ手を空いた手で包むと、ラルも同じようにわたしへと体を向ける。


じじ様は怖いところもあったけど、オレが子どもの時はよく肩車をしてくれてさ。森に連れ出しては色んな事を教えてくれて……。ばば様は、優しくて、料理が上手くて……爺様に対してはちょっと厳しくて、それでも二人は仲が良くて……」


 ラルの声が、唇が震える。

 長い睫毛が薄く濡れて、明かりを映した。


「……里に、何があったんだろう……。どうして、オレは……」

「おいで」


 繋いでいた手を強く引っ張り、強引にラルの頭に自分の腕を押し込んだ。そのまま抱き寄せると、ラルの手がわたしの背に回る。

 ラルの髪に顔を埋めながら、わたしは強く抱き締めていた。悲しみに震える肩が、漏れる嗚咽が、わたしの目の奥まで熱くさせていく。


「……ラル、里に行こう。何があったのか、何が残っているのか、見に行こう」


 まだ言葉を紡ぎ出せないラルは、わたしの言葉に頷くばかりだ。


「ご両親と、弟さんも探そう。わたしと一緒に」


 わたしの背中に回された腕に、力がこもる。すがるように掴まれた寝着も、ラルの悲しみを映しているようで。

 出来る事なんて、たかが知れてる。わたしがいま出来る事なんて、こうして抱き締める事くらいだ。でもそれが……寄り添う事が、きっとラルの心を灯すと願って。


 転移してきたばかりで不安だった夜、わたしは……一緒に居てくれる人が欲しかったから。だからラルが不安や悲しみに潰されそうな夜には、わたしはこうして抱き締めると決めていたのだ。一人になんてさせたくなかった。



「……ごめん、アヤオ。また情けないところを見せちゃったねぇ」

「情けなくなんかないよ。悲しくないわけもない。強がって平気な振りをされるより、ずっといい」

「そっか。……ありがとう」


 落ち着いたラルがわたしの胸元から顔を上げる。目が赤いけれど、きっと朝には戻るだろう。

 抱き締めていた腕から力を抜くと、あっという間にわたしはラルに抱き締められていた。さっきまでとは体勢が逆転して、わたしはラルの胸元に顔を埋める形になっている。


「……やっぱり里で何があったか思い出すことは出来ないんだけどさ。オレ、爺様に逃がして貰った気がするんだ」

「逃がして貰った?」

「うん。……オレを抱えて森を走って、爺様は何かを言ってどこかに行ってしまって。……何かじゃない、『生きろ』って……」


 わたしを抱く腕に力が籠る。


「抱えられてた時にはもう幼体だった気がするし、里で何かあったから逃がして貰ったんだと思う。やっぱり……里に行かないとだめみたいだねぇ」

「わたしも行くよ」

「……ありがとう」


 里で何があったのか。

 ラルが向き合うつもりなら、その隣にわたしも居たい。


「アヤオが居てくれて良かった」


 優しい声に、わたしの顔まで綻んでしまう。

 片腕を背に回して抱きつくと、心地よさに吐息が漏れてしまうほどだ。



 他愛もない話をしながら、わたしは眠ってしまったらしい。目が覚めても体勢は変わっていなくて、腕の痺れにラルが笑うものだから、つられてわたしも笑ってしまった。

 なんてことない、いつもの優しい朝だった。

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