12.茨からの解放

「ではアヤオ殿、解放金の支払いを」


 話が纏まったのを見て、レグルスさんが魔導板をわたしに見せてきた。そこには一八〇万アクシスと金額が提示されている。

 ひゃくはちじゅう? ギルドで聞いた時には二〇〇万は掛かるって話だったのに。


 不思議そうにレグルスさんを見ると、厳つい顔がにやりと綻んだ。薄茶の瞳が悪戯めいているのは気のせいだろうか。


「管理院としても出来る事はしよう」


 減額してくれたんだ。

 有り難くそれを受け入れる事にして、わたしは首から下げていたドッグタグをレグルスさんに渡した。冒険者ギルドと管理院は金融面でも提携しているから、現金を持ち歩かなくてもこれで支払いが出来る。……電子マネーじゃん、と改めて思った。お店でもそうなったら便利なんだけどな。


 レグルスさんがドッグタグを魔導板に乗せて、何やら操作する。残念ながら決済音は聞こえないけれど支払いは済んだらしい。


「確かに。ではジェラルド君、こちらへ」


 わたしにドッグタグを返しながら、レグルスさんはラルを呼ぶ。

 言われるままに近付いたラルへ、レグルスさんは先程から手にしている羽根を掲げた。


 小さな声で詠唱を紡いでいる。応えるように羽柄に飾られている宝玉が、赤みを増してとても綺麗。

 その宝玉で、ラルの首元に刻まれている茨の紋様を、レグルスさんがなぞっていく。なぞられた場所が赤く光り、それが痛むのかラルが少しだけ眉を寄せた。


 一周ぐるりとなぞり終え、レグルスさんが「解放リベラロスィ」と文言を口にして――光が弾けた。


「これで君はもう奴隷ではなくなった。アヤオ殿を助けるようにな」

「はい」


 ラルの首に刻まれていた黒い茨が綺麗に消えている。それが何だか、どうしようもない程に嬉しくて、わたしは目の奥が熱くなるのを堪えていた。


「ありがとう、アヤオ。オレ、頑張るから。アヤオの助けになるように」

「うん、一緒に頑張っていこうね」


 ラルの表情も明るい。それを見ていたレグルスさんも目を細めた。


「奴隷紋は対象者のを弱める効果がある。その力は魔力であったり腕力であったりと様々だが……ジェラルド君も何かを弱められていたかもしれん」


 あの茨にはそんな効果もあったなんて。

 わたしが目を瞬く隣で、ラルが首を傾げている。その様子から思い当たる事はないようだけれど……。


「君のその火傷痕。アヤオ殿の回復魔法でも治らなかったのは、奴隷紋が関係していたかもな」

「じゃあもしかしたら、ラルの火傷痕は治るかもしれない……?」

「あくまでも可能性の話だ。もしかしたら全く別の何かが弱められていたとも言いきれん」


 それでも。

 傷が治っても治らなくても。それ以外の何かだったとしても。


 ラルの何か・・をあの茨が阻んでいたなら。やっぱり奴隷解放の手続きをしてよかったと、改めて思えるのだ。

 胸に込み上げる何かを堪えるように、ゆっくりと息を吐き出すと、青藍せいらんの瞳と視線が重なった。きらきらとした瞳が細められて、つられるようにわたしも笑った。



 管理院を後にして、雨の中だけど市場に寄り道をして。

 夕飯の材料を買ったり、色んな露天を覗いたり。何でもない日常のひとこまのようだけれど、昨日までとは確実に違っていて。


 ラルの表情も明るいし、きっとわたしの顔もそうだったと思う。

 わたしの目線は何度もラルの細い首へと向かっていたし、ラルも無意識だろうけれど何度も首をなぞっていた。

 それがなんだか嬉しかった。


 

 二人で準備した夕食を食べて、相変わらず一緒のお風呂は断られて。

 明日にはベッドを買わなくちゃなぁなんて思いながら、わたしはラルと一緒にベッドに入った。手を伸ばしたラルが、慣れた手付きでベッドサイドの明かりを消してくれる。


「明日は冒険者ギルドに行こうね。ラルの冒険者登録を済ませちゃおう」

「楽しみだねぇ。アヤオ、本当にありがとう。あのまま死ぬだけだったのに、こんな幸せを感じる事が出来るなんて思ってなかったよ」

「お礼はもういらないよ。明日からはいっぱいお仕事を手伝ってもらうんだから」

「何でもするよ。最初は教えて貰わなくちゃいけないけど……でもオレ、頑張るからさ」


 薄掛けの下で、ラルがわたしの手に触れてきた。おずおずと躊躇いがちに触れてきた手を、わたしはぎゅっと握りしめた。


「わたしこそ、ラルにありがとうって言わなくちゃ」

「オレに?」

「そう。ちゃんと言ってなかったけど……わたし、違う世界からの転移者なんだ。この世界は優しいけど、やっぱり一人は寂しくて。ラルが一緒に居てくれて、わたし……救われてる」

「……なんとなく、そうじゃないかなって思ってた」


 青藍の瞳が優しく細められた。その表情はどこまでも穏やかなのに、離さないとばかりに繋ぐ手には力がこもる。


「奴隷だったオレに、あんな風に手を差し伸べる人なんて普通はいないしねぇ。それにあの日、アヤオは『わたしの世界では』って言ってたから、きっとこの世界の人じゃないんだろうなって思ってた」


 ライノの言葉に、わたしが怒った時の事だ。


「オレが一緒に居てアヤオが寂しくないなら、オレは嬉しいよ」

「……ありがとう」


 一人が嫌だから、ラルと一緒にいる訳じゃない。

 ラルと一緒だから、寂しくないんだ。


 それを伝えたいのに、上手く言葉には出来なくて。

 なのにラルは全てを分かっているような、いつもよりもずっと大人びた瞳でわたしを見つめていた。その眼差しはどこまでも優しくて、甘えてしまいたくなる程に。


「……もう寝なきゃ、明日が辛くなっちゃうね」

「そうだね。おやすみ、アヤオ」

「おやすみなさい」


 意識して明るい声で就寝の挨拶をする。口元に笑みをのせたままでラルが目を閉じる。寝付きがいいのにも加えて、今日は疲れていたのだろう。ラルはすぐに規則正しい寝息をたてはじめた。

 明日からは忙しくなるな。やらなくちゃいけない事を頭の中でまとめているうちに、わたしもいつしか眠りの中へと落ちていった。


 その日の夢は、心が少しざわつくような、そんな色をしていた。


 

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