小説家と障害者

 私はアマチュアの小説家として、今まで活動してきました。その実績として、複数の作品を投稿していることがあげられます。

 「小説家になろう」活動初期から投稿を続け、先日完結した「異世界艦隊」、最近の流行りを使って自分の色に仕立て上げた「スキルガチャ」、文学フリマのために投稿した各種短編や自身の思ったことを書いた短編、「カクヨム」オリジナルの1話完結作品など、20作品以上を公開してきました。

 特に「異世界艦隊」はその投稿期間の長さや、設定にかけた時間などから、かなり思い入れのある作品に仕上がっています。

 そんな異世界ものなどを投稿していると、こんなことを言われることもあるでしょう。


「そんなに異世界ものが好きなら、異世界に転生したい願望とかあるの?」


 こんなことは実際に言われたことはありませんが、はっきり言うならば「ノー」です。

 それは自分の症状が関係しています。

 さんざん言っている通りですが、私は「汚れ」に敏感な強迫性障害を持っています。

 仮に皆さんの想像する中世ヨーロッパ風異世界に転生できたとしましょう。そこでは何が待っているでしょうか?

 自分にとっては残酷すぎる衛生環境です。現実の中世ヨーロッパなんて、汚物がそこらへんに散らばっているような場所ですよ?誰が好き好んでそんな世界に行きたいんですか。

 100歩譲ってラノベのような世界に転生できたとしましょう。ここまで読んでくださっている読者諸君なら、私の症状で生きていけると思いますか?

 残念ながら難しいでしょう。まぁ、サバイバルで生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたことがないのでなんとも言い難いところですが。

 さて、少し話が脱線してしまいましたが、私は小説家として、今日まで生きてきたつもりです。それと同時に障害者としても生きてきました。

 この二つ、私の場合ではある共通点があるんです。

 それは、どちらも黙っていれば他人に知られない事実なんです。

 私はこれまで学生だったため、小説家であっても趣味の一環に思われるでしょう。症状の方も現在の社会情勢を鑑みれば、気にしている程度の人間に見えるでしょう。

 このように、この二つは、自分を構成する本体に付随する要素でしかありません。

 しかし、この二つは私にとって大切なものでもあるのです。

 それは、何もない本体である私に、属性をつけてくれるからです。

 小説家としての自分、障害者としての自分。

 それはまさに、自分を形作っている「身」なのです。

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