新米探索者は今日も栄光の夢を見る。──「いつか『英雄』となる為に」
朝易 正友
第一層 汝ら深淵なる泥濘の元へ
一話 開幕の兆しは六面の賽に
……
カツン、カツン。ジメジメとした岩肌に周りを囲まれた迷宮の中には、ただ五つ、
まるで全てが消え去ってしまったようだ。──そう思わせるほどの不気味な静けさがここを支配していた。
一寸先も見通せない
たっぷりと
光の外へとはぐれぬように、しかし、
左手に見えるのは、所々に留められている燃え尽きた
しかし結果として、
そうやって人間の領域と切り離されているのが迷宮だ。かつては多くの探索者達が未開領域を切り開いていき、その大半が死んでいった。
危険なのは暗闇だけではない。探索者の死因の多くが、迷宮を
奴らは夜目が効き、より遠くの音を感じ取る。だから、常に奇襲を警戒しなくてはいけない。
円盾、革鎧、
通路を行く彼らもまた、その何倍もの荷物を身に
彼らが重い体を引きずりつつも、それでも速度を落とさぬようにと進み続けていた時だった。
連続した
同じ探索者だとしても必ずしも味方であるとは限らない。追い
幸いにも、
役立つ情報を
シドはニヤリと笑ってみせ、それから押し殺した声──しかしそれでも興奮を隠せていない声──で成果を報告していく。
「この先に
だが
そして敵の数も良い。まだ身体が強化されていなくても、十分対処できる数だ。
「こちらの前衛は戦士が三、敵も三。俺は行きたいと思っている。皆はどうだ?」
皆の目には確かな闘志が宿っている。敵を滅ぼし財を得んとする、欲望と野心に満ちた
言葉で聞かなくとも答えは分かった。
「シド、そこまで案内してくれ」
シドは「任せておけ」と己の胸を張った。
「俺がまず先頭の奴に一撃当てる。前衛の二人は、その後に続いてほしい」
二人の戦士、エイベルとマルコは無言で
「後衛はできるだけ呪術を温存して、ここぞという時に出してくれ」
医術師のアンネと導師のシエラは、それぞれ異なった声色でもって返答した。
通路の中、
これから行うのは
これから行う戦闘で彼らが倒れれば、次の探索者達が開ける宝箱には、
そう考えると、ケインは何か冷たいものが背中を伝っているように感じた。
……それでも、こちらは体力の消耗無く、
ケインはそう考える事にした。その方が楽だ。
「おう
肩先から
強く力を入れていたのが
「なあシド、こうして緊張を解してくれたのはありがたいが。だがそうも近くからいきなり
「ハハ! ケイン、そこは時期に慣れるってもんさ」
と話していると、シドが歩みを止めた。シドの視線を追いかけていけば、その先にあったのは備え付けられた扉。
「着いたぞ。奴らまだ俺達には気づいてない」
扉を
ケインは、心臓の
……この音は敵に聞こえないだろうか?滑って攻撃が失敗しないだろうか?瞬時に囲まれて袋叩きにされるのではないだろうか?
再び暗い
うるさい。
息をゆっくり吸って、ゆっくり吐く。何も考えるな。ただ、敵を殺すことだけを意識しろ。
……良し。
前屈体勢でいる今、気づかれてしまえば命は無いだろう。一撃でも、死ぬ時は死ぬ。気づかれないよう静かに、ゆっくりと、にじり寄っていく。
凹凸の無さを見れば、三匹ともがこちらを向いていないと分かる。向いていたならば、奇襲などできなかっただろうが。
闇でぼやけた敵の
足音すら止み、
音も無い
今だな、と。
足をバネのように縮ませ、それから全力で突撃する。靴の
ようやくケインに気づいたようだが、もう遅い。突撃の勢いをそのままに、力強く踏み込む。敵の芯に向かって、短槍を突き出した。
──心臓が大きく
まだ槍は届いていないけれども、ケインはこれが上手くいくことを
そして槍は貫く。
ズプリ。命を
短槍はしっかりと敵を
息絶えた怪物の身体が
「識別できました。大コウモリが一つ、大ミミズが一つです! 大ミミズの吐く消化液に気をつけて」
アンネの解析。
幸い、残りの二体は
大コウモリが仕返しと言わんばかりに突進して来る。
その身は子供の半身ほどに
「エイベル!」
ケインが呼びかけると、エイベルは前に飛び出して大盾を構えた。
それぞれがぶつかり合い、生物の突進が生み出したとは思えない音が生まれる。まともに受ければ、ひとたまりもない。
だが、エイベルは戦士だ。大盾で受けるのなら、どんな攻撃だろうと防ぐことができる。
木を少量の鉄で補強した大盾は突進を受け止めた事で、ギシギシと音を立てて
「ウォォオオォッ!」
突進を終えて無防備になったコウモリを叩き潰さんとして、エイベルは大剣を振りかぶる。
その光景を見て、コウモリの目に浮かび上がったのは多分、恐怖だ。
しかしコウモリは動けなかった。
強力過ぎる突進、その代償。コウモリは、その場に頼りなく浮かび上がる事で精一杯となっていた。そんな体では回避するなど当然、不可能だろう。
一拍経った後に、肉と骨とが
……当たったのは良いが、少しズレたな。
その
エイベルは軽く舌打ちをした。
もう一人の戦士、マルコの方は短刀で大ミミズの体を
「クソ! 全然刃が通らない」
「マルコ、俺は迷宮の前で、急所を狙えって言ったはずなんだがなぁ?」
その
「うるさいぞ、シド! そうそう、うまく行かないんだよッ」
もう一度振り下ろした短刀は、先ほどのものよりもブレが
とはいっても傷は傷。大ミミズはそれなりに痛かったようで、暴れながら消化液を
狙いもへったくれも無い無差別な攻撃は、偶然にも、ケインに牙を向けてきた。
「なんでこっちにッ」
ケインは体をずらし回避を試みる。
しかし消化液は、予想していた以上に速かった。油断していたケインには、完全には避けきる事ができない。
消化液の一部がケインの右腕に掛かってしまう。液は
「ガ、アァッ!」
それでも幸いな事に、痛みはそれほど長く続かなかった。
傷を負ったケインを見て自分の役目を果たす時が来たと気づいたのだろう。アンネが
【軽癒】
……もう動かせる、
「安心してください。怪我をしてもすぐに治してあげますから!」
傷を負っても呪術で治せるというのは分かっていた事だが、実際に見るとやはり気分がよくなるらしい。前衛達の心の中に、少し余裕が生まれた。
──そして今度は、こちらがあちらに
「おい、エイベル。
「ああ、分かったよっ!」
大剣はすばしっこい大コウモリには当てづらい。先ほどまでならともかく、今では恐らくかすりもしない。
だから面で叩く。大盾ならば当てるのは容易だ。
エイベルは、先ほどの
それで終わったら良かったのだけれども、やはりコウモリは生き残っている。
「後は頼むぞ」
「ああ、任された!」
だから、それにマルコが合わせて斬りつける。
大ミミズとは違って大コウモリの弱点は至って簡単だ。その身の中央に眠る心臓を引き
大コウモリは気絶して地面に倒れ伏せている。ならば
その動作はまるで
そういう訳で、残りは大ミミズのみとなった。三対一だ。
大なるという冠詞が付いていようとも、残っているのは
三人で囲んで攻撃し、その体が
そうやって最後の敵を倒して、他に敵が居ない事も確認し終わると、皆も緊張が解けてへたれこんでしまう。
戦闘による張り詰めた緊張感は、どうやら思った以上に
早く慣れるならいいのだが、とケインはこの
「あの、だ、大丈夫ですか? 右腕、ちゃんと治しきれていましたか?」
アンネがケインに話しかける。その瞳の中に、
……
「いや、大丈夫だ。お前の【軽癒】は
ケインは右腕を軽く動かしてみせながら、そう答えた。それを聞いたアンネは、ほっと息をついて、それから花を開かせたように笑ってみせる。
「良かった…… 上手くいってたんですね」
「おいおい若い衆、
早く宝箱を開けたいシドは、そうやって言って二人の間を
「ほらよ、どけどけ!」
シドが二人を小突いてやると、ケインとアンナの顔が、少しだけ赤く
ケインはシドに
「シド、そう茶化してやるなよ。それに若い衆って言ったって俺らと二つから四つほどしか変わらないだろ?」
まったくアイツは、とため息を着きながら、マルコはシドに軽く釘を刺した。しかし、シドはそれに耳を貸さずに宝箱を探しに行ってしまう。
マルコはしばらく放心した後、
「……すまんな、アイツは昔からこうなんだよ。悪気は無いんだ。」
マルコの顔には、それでも
「いや、大丈夫。確かに、じっくりと話し合うは迷宮を出てからでもいいからな」
とりあえず、今はシドの言う通り戦利品に集中しよう、という事になった。
今の状態で宝箱を開けずに出る選択肢は無いと言える。罠に対処できないほど弱っている訳でもないのだから。
しばらくしないうちに宝箱は見つかった。見つけたのはシド。さすがは
「良い知らせだ、宝箱を見つけたんだ! ボロっちいし、変な感じのだけどなぁ」
ボロっちいってなんだ?と皆で考えつつ、とにかくシドの知らせに、その場所へと集まっていった。
どうやら宝箱はそれほど気付かれにくい所には無かったらしい。運良く早めに見つける事ができたようだ。
「こっちも落ちてた金貨は回収し終わったぞ。これだけあった」
ついでにと、ケインは持っていた戦利品を手の中に広げる。
見つけた硬貨は合計で、金貨が五枚。
……
と前衛達から
とにかく、次は宝箱だ。
「お待ちかねの、宝箱を見てみよう!」
シドに案内されて、少しだけ離れた場所に着く。
──そこにあったのは、血やらなんやらが少しばかりこびり付いている
ただでさえ小汚い印象を受ける外見。それに加えて、剣や槍やらで叩けばすんなりと壊せてしまう位にはボロボロになっている。
しかも、そんな
そのなんとも言えない不釣り合いな姿は確かに『ボロっちくって変な感じ』としか表しようが無い。
「うわぁ…… 汚ったない箱。こんなのにお宝なんて入ってるの?」
シエラは顔をしかめながら、それでも宝箱から視線を外さない。
彼女の好奇心は、期待外れなその
「そりゃ、一層で手に入るお宝なんてたかが知れてるさ。だが、少しばかりの金貨や銀貨、それと
「へぇ、そう。ま、迷宮なんてそんなもんよね」
マルコのくれた答えに対してがっかりする事もなく、シエラは次の言葉を
「それにしても、こんなにボロっちい箱なら……」
が、途中でシドが口を
「間違っても叩き壊そうとか言うなよな。中の物が傷んじまうし、何より罠で全員吹っ飛んじまうかもしれねぇ。【火葬】とかが仕掛けられてたらどうするってんだよ」
「……」
シドは軽口を叩きながらも慎重に、
一方シエラは、言いたい事を邪魔されたせいか、何か言いたそうな目でシドを見つめ続ける。
それに加えて、彼女の頬は少し火照っていた。
「まぁ、なんだ。気にしない方がいいさ。時期にどうでもよく思えるようになる」
マルコはシドと出会った時の事を思い出しながら言った。マルコも最初はいちいちシドの言動を気にして疲れていたが、すぐに慣れてしまったらしい。
「おいおいマルコ、そりゃひでぇよ」
口ではそういうものの、ニヤニヤと笑う口元からは、とても傷つけられているようには思えない。
実際、シドはすんなりと罠の報告に切り替えた。
「ケイン、分かったぜ。この宝箱には
そう言って彼は非常に小さな刃物を取り出し鍵穴の中に差し込んで、それから
それを聞いたシドは刃物を抜いて、また別の道具に切り替え、鍵穴に差し込んだ。今度は糸を切る時よりも格段に速い時間でカチャリと音を立てて、そうして
「よっしゃ!」
皆の前に出される喜びの
ギィ、と重い音を立てて、宝箱がゆっくりと開いていく。
中には金貨四枚と銀貨十八枚、それと巻物が一つ。
巻物には様々な呪術が封じ込められている。良い呪術が刻まれている物なら、かなりの値で売れる。
一層では高い巻物なんて中々出てこないが、それでも、
一回の戦闘で一人あたり金貨金貨一枚と銀貨八枚分。かなり良い稼ぎだ。とは言っても、装備の手入れや
あくまで掛けた時間に対して割が良いというだけで、日当で見れば少ない
このまま探索をするべきか、それとも今日はもう切り上げてしまうべきか。ケインは迷っている。
「アンネ、【軽癒】は後何回使える?」
「今日は後一度だけですね。一日二回までなので」
大きな傷もたちまち治してしまう奇跡が一日二回使えるというのは素晴らしい事だ。だがしかし、裏を返せば二回しか使えないという事でもある。
怪物共との戦いで重傷を負う可能性は十分に高いだろう。それでも傷は後一度しか直せない。
帰りに傷を受けた時の為にも【軽癒】は温存しておいて、今日はもう
「今日はもうこれで帰還しよう。初めての迷宮探索で負荷も掛かってる。これで切り上げた方が良いと思うんだが」
「あっ!」
シエラが声を上げる。そしてワナワナと震え上がり、ケインを見上げ、食ってかかった。
「アタシ、一度も呪術使って無いんだけど!」
「例え呪術を使わなくても、戦闘をしたのだかは確実に強くなれる。心配する必要は無い」
「私は実践系の導師だからそんな甘えた強さには頼りたくないのよ!」
エイベルの少し的外れた返答も気にせずに、シエラは座り込んで足をバタバタとさせている。
……実際は、そんなのどうでも良いのだけれど、何でも良いから呪術を使ってみたい!
そんな
「まあまあ、シエラさんの呪術は私達の生命線なんですから、そうワガママを言わずに」
「ちぇーっ」
生命線。そう言われると
その光景をシドが笑ったのを皮切りに、場に笑いが立ち込める。
「さあ、いつ怪物が来るかも分からないんだ、早く行くぞ。とっとと街に戻って飯でも食おうじゃねぇか」
帰り道には、シドがまたシエラをからかって、シエラがそれに噛み付いて。その場違いな雰囲気に
帰り道も後半分、ケインはふと気になって
風が音を立てて通り過ぎ、松明の炎が
今、何か聞こえたような。風の音で上手く聞き取れなかった。後ろへ振り返り気配の持ち主を探してみる。
しかし、迷宮がケインに差し出してくれた応えは、いつもと変わらない
──カラン、カラン。誰もが知らないどこかの場所で、二振りの
……
『
迷宮に点々と設置された大部屋の事。元々は棺を収める部屋という意味。
中には
宝箱は棺であり、その中には探索者の
だからこそ、そこは玄室と呼ばれていた。
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