第二章 第六節 野獣の独奏
盆が明けてライブ当日になった。この日のゴッドロックカフェだが、妊婦の杏里さんの体調が思わしくないのに、唯一のアルバイトの俺がシフトを空けた。それでなんと、大和さんが東京から呼び戻され駆り出されたのだ。もちろん杏里さんの鶴の一声で。
大和さん可哀そうにと憐れむ気持ちに加えて、俺が空けたシフトなのでスンマセンという恐縮する気持ちが混載している。しかも来週ある俺のもう1回のライブの日も大和さんが駆り出される。大和さん、久しぶりにゴッドロックカフェを楽しんでください。
この日俺は都心でエカさんと待ち合わせていた。数日前にエカさんから連絡が来て、ライブハウスまで一緒に行こうと誘われたのだ。
エカさんは単身でオーディエンス参加となるため周囲に友達がいないそうだ。最近では週に1回ほどゴッドロックカフェに来店してくれるので俺と随分打ち解けていて、この日は貴重な友人というわけだ。
今日のライブはリハーサルがないので、オーディエンス側と出演者側の入る時間にタイムラグが少ない。それなので俺はエカさんからの誘いを二つ返事で受けた。
「お待たせ」
「うっす」
エカさんは以前のとおり時間ちょうどに待ち合わせ場所に来た。ライブハウス最寄りの地下鉄駅出口で、俺は近くのビル陰で涼んでいた。それでもベースを背負っているから背中は蒸れているが。
今日のエカさんは七分丈のパンツに涼しそうそうな柄の前ボタンのシャツだ。最近で言ういつものとおり、ナチュラルメイクと落ち着いた髪色。清潔感がありつつ動きやすそうな格好。足元は踵の低いローファーである。
「エカさん、身長いくつっすか?」
「むっ」
しまった。突拍子もなく失礼な質問をしてしまった。いつもは踵の高い靴だったのだろう、あまりよく見ていなかったが。今日はいつもにも増して俺が視線を下げたから、エカさんを小さく感じたのだ。
「148だよー。身長低いのコンプレックスなんだけど」
答えてはくれたものの、膨れた表情で文句を言われた。しまったな……こういう時、どうしたら機嫌を直してくれるのかわからない。そんな女性経験の低い俺である。
しかし俺の心配は杞憂に終わり、エカさんは表情を戻して普通に話してくれた。
「バイト君は?」
「183っす」
「うお、35センチ差。デカいね」
感心したように言うエカさん。しかしデカいのは「ごつい」とか「強面」とリンクするようで俺のコンプレックスだ。もちろんそれがどうしてリンクするのかと頭ではわかっているのだが、子供の頃から「デカい」とセットで言われ続けてきた。
とりあえずライブハウスに向かおうと俺たちは歩き始めた。
「大きい人憧れる」
するとエカさんは羨むように言った。さすがに女性が183センチの身長を欲しがっているとは思えんが、もう少し欲しかったという意味だろう。
「不便もいっぱいありますよ」
「そうなんだ。でも目線高いの羨ましいし、格好いいと思う」
これで俺がいかつい容姿でなければ、今エカさんが言った「格好いい」に浮かれていただろう。まぁ、身の程は弁えている。
そんな風にエカさんと話しながら歩いていると、ライブハウスにはすぐに着いた。雑居ビルの中層に掲げられた『クラブギグボックス』の看板を見上げる。キャパシティ200人ほどの小さな箱だが、俺がベーシストとして末広バンドに次いで再スタートを切る場所だ。
「久しぶりに来た」
「俺もっす」
「2年前にダイヤモンドハーレムの対バンで立ったな」
「そうだったんすね。俺はダイヤモンドハーレムのワンマンを観に来ました」
「そうだ。そう言えば、ワンマンもここだった。私も観てた」
そう言われて思い出す。確かにピンキーパークも観に来ていた。当時は目の敵にされていたから親しくなかったが。
ここはダイヤモンドハーレムが地元で活動していた当時、多くのステージ経験を積んだ場所だ。憧れのバンドに所縁のあるステージ。そして俺の再スタート。今日の俺のモチベーションは高い。
「よう」
するとライブハウスの雑居ビルから出てきたのはカナメだ。俺とエカさんはカナメと挨拶を交わす。
「エカも一緒か」
「うん。開場まで私は近くの喫茶店にいるね」
「そうか」
開場までと言っても、既に1時間もない。周囲には開場待ちの客らしき群れも散見される。俺たちは出演者だからもう入らなくてはならないが、エカさんもそれほど時間を持て余すということはないだろう。
「じゃぁ、譲二は中に行くか」
「うっす」
俺はカナメに連れられて雑居ビルの中に入った。エレベーターを上がり、すぐに見える重そうな扉。それを開けると前室があって、狭いその空間の脇にはチケットブースがある。チケットブースのスタッフと挨拶を交わして扉を開け、俺はホールに進んだ。
スモークを焚いたような視界の悪さに照明の光が乱反射し、途端に目が疲れる感覚に陥る。しかしこれがライブハウスだと思わせ、一気に気分が上がる。目を凝らすとドラムセットとアンプが据えられたステージが、ライブハウスの顔として君臨する。
末広バンドで最後にステージに立ったのは高校3年に上がる前の春休みだった。その時は公共施設のホールだったので、これほど軽音楽を感じさせる空間ではなかった。
因みに末広バンドで立ったそのステージはU-19ロックフェスの予選会だ。個々では楽器に触れ続けていたので技術は問題なかったと思うが、如何せん活動が減っていた。つまり全体練習をあまりしていなかった。
しかも周囲のレベルは年々上がる。オリジナル曲で出るバンドは増える。そんな風だからコピー曲の俺たちは見劣りし、呆気なく賞から漏れた。高校入学前後が末広バンドの全盛期だったような気がする。
それに引き換え俺は今、明確にインディーズデビューを見据えるバンドの一員としてここに来ている。末広バンドを否定するつもりはないが、それでも目指すのが今はインディーズデビューだ。必然的にその先のメジャーデビューだって目標にしている。
背負った真っ赤なジャズベースにギグバッグの上から触れてみる。やっとこのベースに対して胸を張れる。唯先輩と交わした約束。漸くそのスタートラインに立てた。
「ライブ久しぶりだろ? 緊張してるか?」
ふとカナメが聞いてくる。その言葉で気づくが、俺の表情は強張っていた。力を抜くと眉間に寄っていた皺が伸びるのを感じる。
「いや、そんなことは……」
「はは。肩ガチガチだから」
どうやら肩にも力が入り過ぎているらしい。俺は「ふぅ」と息を吐いた。
「そう、そう、力抜け。間違ってもいいし、気負わずステージは楽しめよ」
ありがたい声かけである。もう少し力が抜けた。
この後俺はカナメについて控室に入る。そこは出演者の荷物置き場と化し、あまり身を寄せる場所がない。
その後ライブハウスが開場した。エカさんも入っただろうか。
そして更に時間が経つと開演し、1組目のバンドの演奏が始まった。控室にも聴こえてくる。一部の出演者はステージを観にホールに行った。演奏の音もホールの歓声も賑やかだ。真偽のほどは定かではないにも関わらず、異様に盛り上がっているように感じさせ、それは次にステージを控えている俺に多大なプレッシャーを与える。
そんな緊張を抱えていると、やがて1組目は終わり控室に戻ってきた。リハーサルがないライブなので、オーディエンスの前で本番前に2コーラスほど演奏して音質や音量の確認をする。俺たちはそのために一度ステージに上がった。
セッティングを終えるとホールを見てみる。オーディエンスの頭の群れで床が見えず、前方3分の2ほどは埋まっているので上々の客入りと言える。俺は無意識にエカさんを探した。
「おーい、バイト君、頑張ってー」
すると探しているはずの声が至近距離で聞こえた。なんとエカさんはベース側、つまり下手側最前列に立って、片手で手摺を握り、もう片方の手を俺に向けて振っていた。かなり見上げている格好だ。一番前で、しかもこんなに近くで場所を取ってくれたのかと、俺の表情は思わず綻ぶ。
やがて音合わせを終えた俺たちは一度ステージから捌けた。そして本番のためにあの眩いスポットライトの当たるステージに舞い戻った。
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