第二章 第四節 野獣の独奏

 河川敷の公園のベンチに俺とエカさんが座り、2人の間には各々の飲み物とエカさんのバッグが置かれている。飲み物に目を向けると、横目に俺のスクーターが写る。スクーターはベンチの後ろに停めてあった。


「バイト君はいい人いないの?」


 俺とエカさんだけの二次会が始まって最初の会話は、エカさんからのこんな質問だった。バンド活動やゴッドロックカフェなど、音楽を通して交流ができたエカさん。それなので、こういうプライベートな話題が出ることに少しばかり面食らったし、どこか違和感もあり、けれどちょっとだけ高揚した。しかし俺が持つこの手のネタは乏しい。


「いい人って異性関係のことっすよね?」

「そうだよ。そういう質問の仕方が返って来るってことは、恋愛偏差値低いな?」

「正解です」


 バカにされるかもと思ったが、エカさんは視線の先にある真っ暗な川の方を眺めていた。そして缶酎ハイを一度口に運ぶと話を続けた。


「カノジョいたことは?」

「ないっす」

「ふーん。好きな人は?」

「……」


 何も答えられないでいるとエカさんが「ふっ」と少しだけ笑って言った。


「いるんだ」

「いや、いると言うか。前に片思いだった人がいて、その人のことがまだ少しだけ残ってるって言うか……」


 なんとも歯切れの悪い回答である。ほとほと情けない。エカさんはそんな俺の態度を朗らかな様子で見ているようだった。


「いいねぇ。どのくらい前なの?」

「玉砕したのはもう1年半近くになります」

「おっ! しっかり告ったんだね。いいな、いいな、それからも長く一途で」


 好印象を持ってくれたらしい。確かに唯先輩に惚れたことは俺の誇りだが、しかし女々しいと感じる自分がいることも事実だ。


「私の知ってる人? ……なわけないか。バイト君と私に共通の知り合いは……思いのほか多いなぁ」

「……」


 なんて答えようか。自己完結しかけて、それなのに疑問を増幅させて。するとエカさんがスマートフォンのライトを照らして俺の耳に向けた。


「耳真っ赤。もしかして本当に私も知ってる人?」


 しまった。そんな方法で顔色を窺われるとは盲点だった。


「誰? 誰?」


 エカさんが食いついてしまった。暗いこの場所だが声色からエカさんの目が輝いていることくらいわかる。なんだか複雑な心境も芽生えるが、この感情の正体がよくわからん。とりあえず俺はすっ呆けることにした。


「エカさんとの共通の知り合いじゃないっすよ」

「今更そんなこと言って、嘘だってバレバレだからね」


 一度掴んだネタはそう簡単に離してくれないらしい。俺の嘘を嘘だと完全に見越している。


「誰よぉ?」


 更には俺の腕を振ってねだるように質問を重ねる。俺は一度嘆息して観念した。


「1年の時の話っすよ。交流のあったバンドのメンバーで」

「ふーん。バイト君が1年の時ってことは……2年になってからはもう目の届くところにいない……とか?」


 エカさんは独り言のようにブツブツ言いながら詮索……いや、推理を始める。やめてほしい。しかし俺の願いは虚しく散る。


「だとすると、離れる間際に玉砕覚悟で告ったとか? 末広バンドが1年の時に高校3年のガールズバンドがいたなぁ。しかもどっちのバンドも備糸高校。彼女たちはメジャーデビューが決まって上京したんだっけ」


 見事な名推理だ。いや、交流バンドという人数が多い割に狭い世界だから、たったこれだけの情報でもわかるのか。それとも俺がわかりやすいのか。


「ダイヤモンドハーレムの誰か?」


 もう答えはわかっているだろうに、しっかり確信をもっているだろうに、エカさんはそんなことを聞く。俺はすっかり恥ずかしくなってしまったが、黙って首肯した。


「うふぅ!」


 どんな笑い方だよ。どうやら他人の恋愛事情にキュンキュンしているらしい。


「誰? 誰?」


 やっぱりそれも聞かれるのか。当たり前だよな。さすがにどのバンドかまではわかっても、その中の誰かまでは――


「あ! 唯ちゃんだ!」


 ――なぜわかった!


「バイト君が使ってるベースって、前に唯ちゃんが同じの使ってたよね? 同じものを買ったの?」


 ベース本体でバレてしまったようだ。しかし今の俺のことなら記憶が新しいから納得できるが、唯先輩が使っていたことまで覚えているとは。


「相手が誰だかは正解っす。けどあのベースは同じものを揃えたんじゃなくて、正真正銘唯先輩が使ってたのをもらったんす」

「へー、なるほど。楽器が受け継がれていくのってなんかいいよね。私経験ないから」


 キーボードのパートは確かに楽器が受け継がれるということを聞いたことがないので、エカさんにはその経験がないのだろう。もちろん世界中を探せばキーボードのパートでも受け継いだ経験のある人はいるだろうが。


「あ、もしかしてそれがきっかけで惚れたの?」


 この人の洞察力は一体どれだけ敏感なんだ。俺が説明する必要もない。どうやらバンド事情や俺のわかりやすさだけが核心にたどり着く原因ではないと悟った。そして一度食いついたエカさんから隠し事はできないと理解した。

 さすがにこれ以上は羞恥に耐えられないので、俺は逆質問をしてみる。


「エカさんはどうなんすか?」

「お、私に興味を持ってくれたのかい?」


 この余裕が憎たらしいが、なぜか魅力的にも思える。俺、なんだか変だ。


「今は特定の人いないよ。あ、パパ活はカウントしないでね。あれはお互いに割り切った関係だから」

「うっす。で、今は、ってことは、今までは?」

「うーん……、一番最近だと半年前に別れた男かな」

「一番最近ってことは、やっぱり経験豊富なんですか」

「えっへん」


 なぜか誇らしげに、しかしどこかおチャラけた様子で、エカさんは俺にピースサインを向けた。経験豊富な大人の女性か。魅力的なような、残念なような、魅力的なような。


「嘘、嘘」

「ん?」

「今までカレシは2人しかいないよ」

「そうなんすか?」

「うん。高校の時に1人と、大学に入ってから1人」

「そうなんすね」


 と、素っ気なく言いながらもどこか救われた気がしている俺。なんだかすげぇ自分がダサく感じる。


「あんまり私のことは知らない方がいいよ」


 するとエカさんがそんなことを言った。声色が暗い気がしたが、しかしそれは一瞬で、今はそれまでの朗らかな雰囲気に感じる。暗いから表情はよく見えないので、あくまで肌で感じる雰囲気だが。


「どういうことっすか?」

「純情な男子高校生相手に、私のことなんかを話すと絶対幻滅されるから」

「よくわかんねぇっす」

「そう、よくわかんねぇって言うのがいいんだよ。それが十代の君のいいところでもあり、魅力でもあるんだから」


 余計にわからなくなってしまった。

 ただ1つ。確かにパパ活なんかは俺の価値観にそぐわない。エカさんや、彼女の元メンバーヒナさんはしっかり一線を引いているみたいなのでそれは救われることだが。それでも巷で聞くパパ活に俺は卑猥な印象を抱いている。エカさんの言っていることはそういう奔放なことに関係するのだろうか?


 その後もお互いのプライベートな話や、音楽関係、学校関係の話をして、エカさんが2本の缶酎ハイを飲み終わったところでこの二次会はお開きとなった。尤も、俺のプライベートなんてネタはたかが知れているし、エカさんは自分のことをのらりくらりと躱したのだが。

 そして当初と同じ乗り方でスクーターをニケツして、俺はエカさんのナビでエカさんを送った。しかし酒が更に増えてエカさんはより無邪気で楽しそうだった。


「バイト君!」


 走行中は風が邪魔をするので俺たちは信号待ちでもない限り、声を張って会話をする。


「もっと足締めて! スカートの中丸見え!」

「……」


 とりあえず俺は言われたとおりにした。確かにエカさんのスカートは脇から風を受けて膨らんでいる。とは言え、よくわからん構造のスカートだろうに。

 エカさんは小柄だから足置きにもなんとか収まる。辛うじて俺の踵も足置きに残せている。俺は膝を内に締めてエカさんを包んだ。


 ――女の人ってこんなに柔らかいんだな……


「きゃー! バイト君のお股に挟まれたー! 食われるー!」


 そんな俺の思考が聞こえているはずもないのにエカさんは俺を獣扱いして楽しんでいる。確かに顔面はそうかもしれんが。そして時々、顔を上げるように首を後ろに反らすからエカさんの後頭部が俺に触れる。


「わー! 童貞君が勃起してるぅ!」


 ちくしょう、なんてことを言うのだ! 確かに事実なので悲しくなるし、しっかりバレているから赤面するが。ただ今の発言は悔しいし、ちょっとムカついたからすっ呆ける。


「風でよく聞こえねぇっす! なんて言いました?」

「なんでもないよー!」


 結局元気になったあいつが収まることはなく、俺は目的地のエカさんの家まで到着した。幸い警察に見つかることもなく。

 エカさんは住宅密集地にある、小ぶりな一戸建ての実家住まいだった。エカさんは自宅に入るまで、童貞の俺を大人の余裕で揶揄って終始楽しそうであった。

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