第二章 第二節 野獣の独奏
スタジオ練習を終えてやって来たのは貸しスタジオ店からほど近くの居酒屋だった。6人掛の席を5人で陣取り、余った1席には楽器などの荷物がまとめて置かれている。
て言うか、年齢確認をされなかった。俺の外見のせいなのか? まさかな。しかし他の同席者も二十代とは言え、前半。ドラムのヤスに至っては19歳のはずだ。
「バイト君を先頭にして良かったね」
あはは、と笑うエカさんのこの言葉で悟ってしまった。確かにエカさんから背中を押されて俺が先頭で店に入った。俺を筆頭にしたから店側は年齢確認を怠ったようだ。悲しくなる。とは言えエカさん以外初対面の席だから酒は控えておこうと思う。
少しすると俺以外の席にはアルコールが置かれ、俺の前にはウーロン茶が置かれた。乾杯を経て話し合いが始まる。まず口を開いたのはカナメだ。このカナメがリーダーで間違いないだろう。
「譲二、どうだった? うちのバンド」
「うっす。凄く良かったです」
何が良かったのかはっきりと認識はあるのだが、それをうまく言葉で表現できるほど俺のコミュニケーション能力は高くない。深部の意見を本当は求めているのだろうが、カナメはそれを深く詮索することもなく満足そうにビールを煽った。
カナメがビールジョッキを置くのを見計らって俺からも質問をしてみる。
「カナメさんから見て俺はどうでした?」
「片っ苦しいの苦手なんだ。カナメでいいよ。他のメンバーも。あとタメ口な」
どうやら敬称を外してほしいらしい。こんなガタイでも俺は特に体育会系ではないので、そちらの方が実は助かる。
「お前の力強いベースは魅力だ。ぜひうちに欲しいと思った」
高評価だ。そして朗報である。俺は飛び上がりたくなる気持ちを抑えて、はにかみながらウーロン茶を口に運んだ。その時横目にケンが納得顔で首を縦に振るのが見えて、これにも嬉しくなった。
「ヤスは?」
リーダーからの評価も重要だが、個人的に俺が一番重要視している相手。それはリズム隊のパートナーになるドラムのヤスだ。彼からの評価は絶対に外せない。
「いいんじゃね?」
ヤスは素っ気なく言うとビールを口に運んだ。こういう性格だろうか? それでも受け入れの返事だから前向きに捉えたいと思う。
「良かったね」
俺の隣の席に座っているエカさんがそう言って笑顔を向けてくれた。他のメンバー3人が俺の向かいの席にいる。その中のカナメが言葉を足す。
「じゃぁ、これから俺たちの活動に参加してくれるってことでいいか?」
「ぜひ」
こうして俺の加入が決まった。順調だ。今までの焦りが嘘みたいだが、一度進み始めるとあっという間に物事は進む。そういうものなのかもしれない。あとは活動の方向性だが、これは事前にエカさんから聞いてある程度は把握しているので心配していない。ただ具体的なことを聞きたいのでその質問をする。
「今後の予定は?」
「もうすぐ俺たち大学のテストなんだ」
質問には基本的にカナメが答えてくれる。それなので俺とカナメの間でほとんどの会話は進む。
「だから7月の全体練習は今日が最後。8月に入ったら全体練習再開で、盆明けにこの辺りで2ステージ決まってる。譲二にはそのステージに早速出てほしいから、そこに照準を合わせてくれ」
ステージの予定も決まっていた。そして俺はもう戦力として認識されている。よくよく話を聞いてみるとライブハウスでの対バンライブとのことで、今日の練習で
「私もそのライブ観に行くー」
隣でエカさんが口を挟む。エカさんも来てくれるのかとつい張り切ってしまう。それに笑顔で答えたカナメが俺に向き直る。
「それで俺たち……って言うか、作詞も作曲も俺なんだけど、今曲を作り溜めてるんだ」
「手持ちは?」
「完成度を度外視すれば全部で20曲くらい」
「いいじゃん」
「その中から10曲くらい選んで年明けにインディーズデビューをしたいと考えてる」
俺は目を丸くした。いきなりのことではあるが、願ってもない話だ。いや、俺にとってはいきなりの話でも、彼らはもうずっと準備をしてきたのだろう。その一環としてベーシストも探していたということか。
「譲二にはそのベースの
そう言ってカナメが差し出してきたのは家電量販店に売っていそうな、事務的で薄手のCDケースだった。この中のCDに彼らのオリジナル曲が入っている。俺にとっては初めての創作活動。プレッシャーと期待が折り重なって、腹の中が熱くなった。
「頑張ってね、バイト君」
隣からのエカさんの応援と、朗らかな笑顔が俺を後押しする。
この後はお互いの学校やアルバイトの話や今まで参加してきたバンドの話など、雑談に終始した。お互いをよく知ろうとするためのコミュニケーションだ。それにかなりの時間を費やし、エカさんが電車の時間を気にしたので、俺はエカさんと一緒にお暇することにした。他の3人は近辺に残って次の店にハシゴをするようだ。
「今日は本当にありがとうございました」
「いえいえ。これからバイト君が活躍するのを楽しみにしてるね」
帰りの電車の中でこんな会話を交わす。エカさんの明るい口調に俺は高揚した。エカさんは頬がほんのり赤く、酒の影響か少しだけテンションが高い。ゴッドロックカフェに来店した時の帰り際によく見る様子だ。こういう時はどこか無邪気にも見える。尤も今は電車内なので抑えているようだが。
外はもう真っ暗で、走行エリアによって街灯がない黒の世界だったり、住宅街の疎らな光だったり、商業施設の派手なネオンを車窓に映す。備糸駅に着く頃には23時を過ぎる。
「こんなに遅くまですいません」
「全然いいよ」
「家まで送りますよ」
「いいよ、いいよ」
エカさんは大げさに手を振って遠慮を示した。
「いや、でももうかなり遅いし」
「そんな……。だってバイト君、家反対方向でしょ?」
「気にしなくていいっす」
「あっ!」
するとエカさんが口元に手を当てて目を丸くした。何かに気づいて驚いているようだ。
「そもそもの話なんだけど、備糸駅で待ち合わせるより現地集合の方が良かったんじゃない? バイト君、市外だったよね?」
気づいたようだ。けどできれば気づかないでほしかったし、気にしないでほしい。なんだか俺は浮かれているから。
「全然大丈夫っす。カフェにスクーター置いてるんで」
「大丈夫じゃないよ。言ってよ。て言うか、気づかず備糸駅で待ち合わせって言った私も悪いけど」
「本当に俺は大丈夫なんで。深夜バイトしてるくらいだから家もうるさくないし」
「そう言われてみると、確かにそうだね」
納得してくれたようだ。
「だからもう遅いし危ないんで送ります」
するとエカさんはジッと俺の目を見た。長椅子式の車両で隣り合って座っていて、肩が触れるほど近い。そんなに真剣な顔をするなんてよほど迷惑だったのだろうか? 俺みたいな強面とこれ以上行動を共にするのが嫌とか? それとも俺ごときに家を知られるのが嫌なのか? そんなネガティブなことばかりが頭に浮かぶ。
「私の家、備糸駅から30分くらい歩くよ?」
「え? じゃぁ来る時も歩いて来たんすか?」
「ううん。バスで来た。けど今は最終出ちゃったから。さすがにこの時間だと親に車で迎えに来てっていうのも言えないし」
「徒歩30分なら余計危ないっすよ」
暫し無言で間が空いた。相変わらず俺はジッと見られていて恥ずかしくもなってきた。けどその視線を逸らせない。
「ふっ」
するとエカさんは柔らかな笑顔を浮かべた。
「そういうの大事だと思うよ」
「ん?」
「お言葉に甘えてお願いしちゃおうかな?」
「はい」
何が大事なのかよくわからなかったが、俺は声を弾ませて返事をした。
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