第3話【訪れた変化】
──12回目がやって来た。
散々な目に遭ったのは9回
私が自害を選んだのは2回。
すべてを諦めて、自由気ままに生きようと思ったのは前回の11回目。結局、運命は変わらなかった。
なので私はひどく驚いた。
今までとは違う流れに変わったのは今回が初めてだったから。
「静子、挨拶しなさい。こちらは斎藤様だ」
「……はじめまして、静子です」
父に呼ばれた時、また来たか。と思った。
これまでの生で私に婚約者が当てられたのは14歳のときだった。その時初めて正男さんと顔合わせをしたのだ。…今回もまた同じことの繰り返しだと諦めていた。
なのに今、私の目の前にはいないはずの人がいた。
「はじめまして、斎藤芳雄です」
分厚い眼鏡の向こうの穏やかな瞳がこちらを見て微笑んでいる。
……なぜあなたがここにいるのですか、斎藤さん。
私と斎藤さんは4歳差あった。14歳の私と18歳の彼の婚約話はあちらの押しもあってトントン拍子に決まった。
もともと家は没落しかけの家だ。前の生で正男さんと私が婚約したのも、多額の結納金を狙ってである。その正男さんの家よりも裕福な斎藤さんの家からの縁談となったら親は浮かれ気味に受け入れていた。
見た目ばかり裕福に見えても、実際にはお金がないのに、意地とプライドだけは無駄にある両親。人のものばかり欲しがる妹はこの生でも変わらなかった。
「ねぇ芳雄さん、私キネマに行きたいわ。連れて行ってくださらない?」
前回までは正男さんにすり寄っていたけど、相手が変わっても妹は同じことをした。
彼のいないところでは斎藤さんの分厚い眼鏡がダサいだとか、ガリ勉だとか散々文句をつけていたくせにいい気なものである。しかも、馴れ馴れしく彼の名前を呼んだりして…
「キネマか。そしたら静子さん、これから2人で行かないかい? その後カフェーでお茶をしよう」
「…え」
もしかしたら妹の千代子のわがままを受け入れるかもしれないなと半分諦めていたけど、彼は妹ではなく私を誘ってきた。
「えっ、なにそれ…」
「千代子さん、姉の婚約者とはいえ、男にベタベタ密着するのは嫁入り前の娘としてはしたないことだよ。君も小さな子供じゃないのだから自分の行動を見つめ直しなさい」
仲間はずれにされたことを不満に思った千代子がブスくれた顔をしていたが、それを気にした様子もなく、斎藤さんは年長者として妹を窘めていた。
それは妹のことを思っての発言だったが、千代子には響いていないみたいだ。それはそうだろう。彼女はいつだってお姫様だった。可憐な妹がわがままを言えば誰も彼もが叶えてくれる。斎藤さんのように窘める人は、わがままな千代子にとって利用価値のない煩わしい人間でしかないのだろう。
「つまんない人ね! そんなんじゃ女にモテなくてよ!」
先程までの愛嬌はどこへ行ったのか。千代子は鬱陶しいと言わんばかりに顔を歪めると、部屋を出ていった。多分母に言いつけるつもりなのだろう。
私は頭が痛くなった。
この婚約はどこからどう見ても斎藤さん側のほうが有利なのに…。婚約がなかったものにされるならまだしも、彼の一言で我が家全体に影響を及ぼす恐れもあるというのに。
「申し訳ありません、妹には後で叱っておきます」
私が頭を下げると目の前で彼が小さく笑う声が聞こえた。
「家の中と外じゃ、君の印象は大違いだね」
……。それはどういう意味?
私がゆっくり顔を上げると、分厚い眼鏡で小さく見える彼の瞳と目が合う。
「なんでもないよ。…それでどうかな? キネマ」
「えっ…あ。いいと、思います…」
意味深い言葉を残した彼の雰囲気に飲み込まれそうになったが、次の瞬間には、彼はぱっと元通りに変わっていた。
彼は、私が外に出ることを嫌がる両親を説得して、色んな場所へと連れて行ってくれた。
キネマやカフェーに始まり、図書館や呉服店、そして彼のお家の会社や工場まで連れて行ってくれた。
今までの生で行ったことのない場所ばかり連れて行かれた私の世界は大きく広がっていった。質問すれば何でも答えてくれる。私が気になるといえば、時間を調整して連れて行ってくれるのだ。
私は今までこんなに人に優しくされたことがなかった。なぜ斎藤さんが今世で出会ったばかりの私を気に入り、ここまで良くしてくれるのかわからなかったけど、とにかく嬉しかった。
前と同じだ。彼だけは私を見てくれたから。
もう一つ気になることがあった。
斎藤さんは何かを見透かすような、何かを知っているような感じがしていた。
年齢のわりに老成していて、落ち着き払った彼はいつだってどっしりと構えていた。先々のことが見えるのか、前もって対策を講じている。……突然起きた世界的な大恐慌にも慌てず冷静に対応されていた。
──まるで、私と同じように繰り返しの人生を辿っているかのようにも思えたのだ。
■□■
「芳雄さん、輪廻って信じますか?」
私は彼に思い切って問いかけた。
その問いに本を読んでいた彼は眼鏡のつるを持ち上げて直していた。その目はキョトンとしており、成人男性である彼が一瞬少年っぽく見えた。
「それは……インド仏教の教え的な意味で?」
「いいえ、その言葉そのものです」
もしかしたら彼も私と同じなのじゃないかと思ったのだ。でないとこの状況を説明しきれない。
今までの11回の人生はいつも私は追い詰められていった。どんなに足掻こうとも運命は変わらないとばかりに私の心をバキバキに折っていったのである。
この婚約は彼の希望で決まったという。
それはとても光栄なことだけど、不思議なのだ。彼ほどの人なら他にも女性を選べるであろうに、なぜ没落しかけた家の娘なのだろうかと。
言ってしまえば妹の千代子のほうが顔立ちは華やかだ。考えれば不可思議なことでいっぱいなのである。
私が真剣に問うているとわかった彼は読みかけの本にしおりを挟んで閉じた。少しうつむいた斎藤さんの眼鏡が光に反射して、一瞬彼の瞳が見えなくなる。彼はしばし口を閉じて沈黙していた。思い悩むように黙り込んでいた。
「……正直、信じていないかな。人が死んだら無になる。ただそれだけだ」
その言葉に私はがっかりする。何だ違うのかと。
私は無意識のうちに11回目に知り合った芳雄さんの姿を求めてしまっていたのかもしれない。悲しくなってしまった私は顔を見られぬよう俯いた。
「でも少し前にその考えは変わった」
「え?」
考えを改めたという芳雄さんの言葉に私はパッと顔を上げる。芳雄さんはこちらをじっと見ていた。
「静子さんは? どう思ってる?」
「え…あ…」
自分がした質問を質問し返されるとは思っていなかった私は言葉に詰まった。
私は生を何度も繰り返しているんだって言ったら引かれるだろうか。それとも受け入れてくれるだろうか。
私は彼にだけは拒絶されたくなかった。だけど吐き出してしまいたい気持ちはあった。自分一人で抱え込むにはあまりにも膨大すぎて、私はずっと苦しかったから。
「……ずっと前に僕らが出会ったことを覚えている?」
「……ずっと前に?」
「君は着物姿だと言うのに、ハシゴに登って高いところにある本を取ろうとしていた」
今世で芳雄さんと出会ったのは、婚約する前に顔合わせをしたときが初めてだ。私は自分の中の記憶を探っていたが、図書館で彼と出会ったことなんて……
それは、11回目の生での出来事だ。
「でもね、僕はその更に前から君のことを知っていた。……君は、子どもをその身に宿したまま、路上で朽ち果てていた」
「──!」
ぎくりと身体がこわばる。その言葉は、私と同じであると証明していた。彼も生を繰り返しているのだ。
子ども、という単語に私のこれまで繰り返された生の中で受けた恥辱を思い出して、怒りや悲しみが膨らんだ。
その子どもは嫁ぎ先の義理息子に乱暴されて授かった命。そして私は義理息子の嫁や義理娘達に折檻を受けて、捨て置かれたのだ……
私がわなわなと震えている姿を芳雄さんは悼ましそうに見つめてきた。
「僕は通学途中で…君の亡骸を見かけたんだ。……お腹を庇って、苦しそうな顔で事切れている君の姿は死ぬまで忘れられなかった」
彼は悲しそうな表情を浮かべて、一旦目を閉じた。
「自分よりも若い女の子がどうしてこんな場所でこんな死に方しているんだって…何よりもあの時の君の顔はこの世を恨み、嘆き、苦しみぬいた表情を浮かべていた。その顔は今でも覚えているよ」
そんな姿を、彼に見られていたなんて。
私は恥ずかしくて情けなくてこのまま自害してしまいたくなった。
そんな目に何度も遭いたくないから10回目も11回目も首を突いて自害したというのに。今回は幸せになれるかもと夢見ていたのにここでも私は……。
私はこれまでの繰り返しで悲観的になっていた。何をしても無駄、運命は変えられない、誰も私を愛さない、必要としない。この世は私に優しくないものだと。
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