奥様はスライム
飯沼孝行 ペンネーム 篁石碁
第1話 モンカオ……
―そう、あれは一カ月前。夏休み中の沖縄の海での事……。
高校一年の明王愛人は夏休みを利用した旅行でウィンドサーフィンをやっていた。
沖縄の海は夕暮れの優しさを抱え、波を打ち寄せていた。
海……。
悲しき涙の青と、残照の赤が、愛人のアンバランスな心の動きを彩り、彼の心の霽月にかかる雲を天秤座の片方、青に傾かせていた。
青……。
涙の色ならそれはきっと、神様が履くジーンズの色だろう。
それが愛人の心の色だった。
明王愛人。敬天愛人。西郷隆盛公の言葉から名付けられたこの少年は、ごく平凡な少年、ではなかった。
と、その時だ。急に激痛が愛人の
「ツッ!」
ビッグウェーブに飲まれる愛人。
それに気づいたのは愛人の同級生の仲曽根すみかだった。
「愛人?! 誰か、助けて!」
砂浜ですみかが必死に叫んでいる。
「ウゥップ!」
海中へと沈む愛人。浜辺で異常に気づいた他のサーファー達が集まり始めていた。
と、そこに、煌く光の交響曲!
音符を伴う光の乱舞が海を優しく包み、煌々と輝いていた。
(あっけねぇ……。俺はこのままなのか。傷心旅行の結末がこれかよ……)
愛人は海の中でゆっくりと目を瞑った。
だが、海中で光が弾けて愛人を覆う。
(な、なんだ・・・・・・?)
光の曲線が愛人の体の回りを幾重にも取り囲み、彼を包み込んだ。
『私の名前を覚えておいて……』
(な、名前……?)
『そう……。私はモンカオ……。形状記憶スライムの生き残り……)
(形状記憶スライム……)
『私、あなたの記憶から生まれるの。それまで待っててね……』
(あ、待て!)
その言葉が聞こえるなり、愛人の体が海面へと浮かぶ。
「愛人!」
かすみの回りに集まったサーファー達が次々と海に入り、愛人を助けに行く。
(モンカオ……)
そして、夏休み明けの9月。
愛人とすみかが通うのは都内でも有数な進学校で、東大へ数十人単位で送り出している誠心高校と言う。
日焼けの跡が眩しく、窓からの日差しに弾け、小麦色が青春を謳歌していた。
「ねぇ、ねぇ! 愛人君。沖縄の海で死にかけたってホント?」
イケメンの愛人の回りに集まる同級生達。
「えッ? 私、宇宙人にさらわれそうになったって聞いたわよ?」
「そうなの? 私は、てっきりムー大陸へタイムトリップしてきたって」
(あのなぁ・・・・・・)
頭を抱える愛人。
「……」
そんな光景をチラッと見て、窓の外へと視線を送り校門の方に目をやる、すみか。
(あれは?)
「此処か? 恋愛を必ず成就させてくれる男がいるって学校は?」
「へぇ! 番長!」と、子分が叫ぶ。
校門から校舎を見上げる番長。時代錯誤にも長ランにボンタン。典型的な不良の親玉だ。
教室にこの特待クラスの学級担任、八尾聖子が入ってくる。
「はぁ~い! 皆、席に着いてぇ!」
皆席に着く。
「明日は文化祭があります。我がファッションデザイナー科では、恒例のファッションショーを開催する予定ですから、夏休み中にデザインして作った服で参加して下さいね」
「は~い!」
頬杖をついている愛人の横顔を見るすみか。
ガラッ!
教室の扉が開かれる。
「な、何ですか! あなた達はッ?!」
「此処に明王愛人という奴はいるか!」
皆の視線が愛人に集中する。
「お前か?」と、番長が進み出る。
「俺に何の用だ」と、愛人が言う。
「依頼だ」
「ほう・・・・・・」
「ちょ、ちょっと、明王君。今は授業中よ!」
女教師が叫ぶなり、立ち上がる愛人。
「腹が痛い。保健室へ行く」
そう言うと教室を出る愛人達。
「先生! 私もお腹が!」と、すみか。
残暑で照り返る屋上のコンクリートが、目に入り、少し目を側める愛人。
「お前、名前は?」
「宮城錠だ」
「依頼だと言ったな」
「そうだ。だが、その前に聞きたい」
「何をだ」
「本当にお前に頼めば恋愛が成就するんだな?」
「ああ」
「どうやって?」
「はいはいはい! それには私が答えます!」
「お前は誰だ?」
「私は愛人のマネージャーです! 依頼は私を通して下さいね!」
と言ってメモ帳を取り出すすみか。
「明王愛人君は、愛染明王の秘法、『如法愛染法』を使って報われぬ愛を叶えるのです」
「そうか! では言うぞ」
と言うなり、ガバチョと土下座する番長。
「アイドル女優の仲国良子と仲良くなりたい!」
「!」
見つめ合う愛人とすみか。
無言の沈黙が魔法の呪文のように周囲を覆い、雷のような電光石火の次の一言を待った。
「ダメだ」と、愛人。
ガビ~ン! と、漫画の擬音がこの空間をその濁音で濁した。
「何故だ!」
「理由は言わんが、ダメだ」
「男が頭を下げて頼んでいるのにか?!」
「そうだ」
「なら、決闘だ! 力づくでも依頼を受けて貰うぞ!」
頭を抱える愛人。
「はいはいはい! それで決闘の日にちは?」
「すみか! 勝手に話を進めるな!」
「良子ちゃんが審査員としてやって来る、この誠心高校の文化祭、デザインコンテストのある明日でどうだ!」
「で、決闘の方式は?!」
ワクワクするすみか。
「ボクシング勝負!」
沖縄の海。辺りは既に闇色だ。安らぎの小波が岸辺を這い、薄紅色の貝殻を攫っていく。
その海の中。
「ホントに行くの?」
「はい。お母様」
「私、あの人が好き」
「人間との恋は辛いわよ」
「それでもいい!」
「そう」
「お姉様! 頑張ってね!」
「うん」!
海中の光が意志を持って、心臓のように鼓動を繰り返し明滅する。
横須賀沖の海底にボトム中の、米軍、ロサンゼルス級原子力潜水艦。
「ウッディー=ボールドウィン艦長! ソナーに感! 正体不明の物体が猛スピードで当艦に接近中!」
ソナーマンが吠える。
「何だ!」
艦長がマイクに飛沫を飛ばしながら叫んだ。
「き、聞こえる……。ア……ム……ラー……。この声は、以前捕捉した形状記憶スライムの音紋です!」
「パッシブソナーで追跡だ! 逃すなよ! 委員会に連絡だ! アムラー、形状記憶スライムを発見したとな
「ウワッ! 衝突します!」
「回避だ!」
光が原潜と遊ぶかのように接近を繰り返す。そして、その光りは多摩川を溯り、取水口から浄水場へ。そして水道管。そして、一棟のマンションへ。
「やれやれ。面倒な事になったな」
制服の上着を脱いでソファーへと投げる。
恋愛成就を請け負う愛人のアルバイトのお陰かどうかは解らぬが、母一人子一人の愛人が住むマンションのペントハウス。
机の上の写真立てを見る。そこには愛人と両親、そして幼なじみの仲国良子の姿。
恐らく裸を見られたくなかったのだろう。写真立てを伏せる。そして上半身裸になる。
シャワー室に入る。シャワーの蛇口を捻り、湯気が次第に充満する。水の妖精の吐き出す呼気のようだ。
ここ何日かの残暑が齎す不快感を拭うべく、汗を流す愛人。
お湯が浴室の排水口へと流れる、と思ったが、流れない。そう。流れないのだ。
お湯がどんどん溜まっていく。
そしてそれは人間の姿へと形を変えた。
その姿がある人間の姿へと形を変える。始は裸。だが、次第に服が出来はじめ、完全な少女の姿へと変体した。
「!」
背後に気配を感じ、振り向く愛人。
「誰だ?!」
「ひどいでちゅ!」
そう叫んで、愛人の頬をビンタする。
「っ! ま、まさか! 君は!」
浴室の外へと飛び出して行く少女。
シャワー室を出て、Tシャツにジーパン姿に着替え、ソファーに座る愛人。
「・・・・・・」
「君は、良子なのか?」
「私はモンカオでちゅ」
「モンカオ?」
「お、覚えていないんでちゅか?!」
「覚えていないって・・・・・・」
「沖縄の海で助けてあげたのに!」
「沖縄って、ま、まさか!」
「思い出してくれたんでちゅね!」
「あの時の光!」
「そうでちゅ!」
「確か、形状記憶スライムの生き残りって」
「そうでちゅ! 私はだんさんの記憶から生まれまちた!」
「だんさんって」
「だんさんが時代劇お好きだから・・・・・・」
「だけど、モンカオ、さん。何故良子の姿になっているんだ?」
「我々、形状記憶スライムは、体内に取り込んだ生命体の記憶にアクセスして、その人の一番大事な存在へと変体出来るスライムなのでちゅ!」
一番大事な存在へと変化出来るスライムだと?! 愛人は惑乱する。
「と、いう事はだ。俺の一番大事な人間が仲国良子という事になる」
「違うのですか?!」
「いや、違うというか、あいつはただの幼なじみだからな」
「そんなぁ!」
そう言ってうるうる涙を流すモンカオ。
そして、下半身がドロドロに溶ける。
「うわっ!」
「私、涙を流すと溶けちゃうのでちゅ。だから泣かせないで。本気で泣いたら私、元の姿に戻ってしまうのでちゅ!」
「わかった! 認める! 幼なじみだが俺もあいつが好きだ」
「よかったぁ!」
「で、これからどうする。君は」
「モンと呼んで下ちゃい」
「じゃぁ、モン」
「はい!」
「形状記憶スライムって、どんな事が出来るんだ」
「あらゆる姿に変体出来るのでちゅ」
「そうなのか・・・・・・」
グ~キュルル~。
「なんの音でちゅか」
「腹が減ったんだ」
「じゃぁ、私何か作ります! チャーハンでいいでちゅよね」
「何でわかるんだ?」
「私はあなたの記憶から生まれたのでちゅから」
料理をするモンカオの後ろ姿を見つめる愛人。モンカオは、愛人の母の洋服を着ている。 チャーハンの香ばしい匂いが部屋中に立ち込める。
愛人は思う。此処にいるのが本物の良子だったらと。
そんな思いが脳裏をかすめながら、愛人は少し自分を誇りに思う。何故か? 自分の記憶から誕生した形状記憶スライムが、思いを寄せていた良子の姿をしていたからだ。
そして、料理が出来る。皿に盛り付けたチャーハンをテーブルに運ぶ。
愛人はスプーンを取り、恐る恐る口に運び入れる。
「どうでちゅか?」
「うまい」
「ホントでちゅかっ?!」
料理を食べ終えた二人。愛人は明日の学園祭のファッションショーに出る為の服をミシンで縫い始めた。
モンカオは、月曜という事もありTVの時代劇を見て一喜一憂していた。
そして睡眠がやって来る。
「モンは俺のベッドで寝てくれ。俺はソファーで寝るから」
「よろしいのでちゅか?」
「ああ」
「では、だんさん、お休みなちゃいませ」
そして、消灯。
(これから、どうしようか・・・・・・)
目を開けて考え込む愛人だった。
バラ色の歩みがカーテン越しの窓から、お邪魔しますとばかりに睡魔の支配を叩きこわす。愛人は目を擦る。
「おはようございまちゅ」
朝ごはんの用意をしているモンカオに、
「ああ、お、おはよう・・・・・・」
挨拶を交わす。
「速く着替えて下ちゃい! 学校に遅刻しまちゅよ!」
言葉遣いは何とかならんかと思ったが、愛人はモンカオの言うとおりに洗顔をし、テーブルに着く。
「お召し上がり下ちゃいませ」
納豆に塩鮭、ワカメの味噌汁。それに糠漬け。典型的な朝ごはんが用意されている。
いつも朝ごはんを抜いている愛人だが、嫌な顔せずに黙々と朝食を食べる。
こんな光景。まるで新婚生活のようだなとチラと思ったが、此処にいるのは、好きな気持ちをひた隠しにしている幼なじみの良子ではない。
つけたTVでは、仲国良子が出演する某国営放送の朝の連続ドラマが放送されていた。
「このお方が、だんさんの想い人でちゅか?」
「……」
愛人はその問いに答える事が出来なかった。
朝食を終え、制服に着替え、昨夜縫い上げた服を持ち、玄関へと向かう。
「いいか。モン。絶対に外へは出るな。いいな」
うるうる涙モードのモンカオ。明らかに自分を連れて行って欲しいという意思表示に、困惑気味の愛人が、頭を掻く。
「わかった、泣くな! 連れて行くから」
「ホントでちゅか!」
「そのかわり、姿を変えろ」
「はい!」
都内有数の進学校である誠心高校では、夏休みを利用して文化祭の用意がなされていた。
学校は生徒や父兄、他校の女子高生等で溢れ、賑やかな空間を演出していた。
体育館。毎年恒例のファッションショーの舞台だ。
慌てているデザインコンテスト実行委員会の生徒達。
「どうしたんだ?」
舞台裏にやって来た、肩にセキセイインコを乗せた愛人が尋ねる。
「仲国良子ちゃんが来れないらしい!」
「何?!」
「お前、良子ちゃんの幼なじみだろ! 何とかしてくれよ!」
「俺は決闘しなけりゃならん。それどころじゃない」
とそこに、番長の宮城錠達がやってくる。そして、顔を貸せというように顎で合図する。
愛人が連れて来られたのはボクシング部の部室だった。
「話を通しておいた。早くリングへ上がれ」
愛人はその場で上着を脱ぎ、部員にボクシンググローブをはめて貰う。
「愛人、頑張ってね、と言いたいとこだけど、負けてもいいからね。そうしたら仕事になるから」
セコンドに就いたのは、愛人を待っていたすみかだ。
「お前なぁ」
その愛人に、女子生徒が黄色い声援を贈る。
「その肩のインコは何だ」
「これは、俺の、ペットだ」
愛人が言うなり、インコはクチバシで愛人の頬をキツツキのようにつついて、コーナーポストへと飛んで行く。
そして 、リングが鳴る。
始まるなり速攻をきめる宮城錠。
防戦一方の愛人。
羽を顔に当て、その透き間から覗くインコ。
ビシッ!
バシッ!
ビシッ!
バシッ!!
ビシバシステム!
涙を流すインコが、飛び去り、ロッカールームへと入って行く。光りが迸り、インコがモンカオの姿へと変体する。そしてロッカールームを出て、戻る。
「だんさん! 頑張って!」
その声と顔に気づいた一同。
「あれ、仲国良子じゃないのか?!」
「えっ? 良子ちゃん?!」
宮城錠が叫ぶ。
「いまだ!」
愛人の放ったアッパーが宮城の顎に炸裂! 吹っ飛ぶ宮城錠。そしてテンカウント。
「やったぁ!」
モンカオの姿を見つけた愛人が素早くリングを降りて、モンカオの手を取って逃げ去る。
裏庭。
「何で人間の姿に戻ったんだ!」
「だって、だんさんが殴られていたから」
「全く仕様がないな」
と、頭を掻く愛人がパッと閃く。
「お~い! 愛人が良子ちゃんを連れてきたぞ!」
「よろしくお願いしまちゅ!」
「しまちゅ?」
「あ、え~と、します!」
審査員席に座るモンカオ。その隣には、服飾メーカー『浅草橋ヤンヤン歌う洋品屋』の社長で、このショーの審査委員長である、小柴ルー子が座っている。
(おかしいわね。確か彼女は参加しない筈・・・・・・)
ファッションデザインコンテストが始まる。
愛人がデザインして仕上げた服を、モデルとなったかすみが来て舞台に登場する。
そして、コンテストの審査結果発表!
「優勝者は……、明王愛人君です!」
夕暮れ、学校の帰り道。愛人にピタッと寄り添うモンカオ。
「だんさん、私嬉しいでちゅ!」
「馬鹿、泣くな!」
「だってぇ……」
(やれやれ……)
形状記憶スライムとその主人の奇妙な生活は、始まったばかりだ・・・・・・。
その姿を車の窓から覗くのは、小柴ルー子だった。
「あの少年、調べなさい」
「ハッ」
助手席に座る秘書が短く返答する。
「やれやれ」
マンションの部屋、ソファーに身を沈め、フーッと呼気を吐き出す。
「だんさん」
「何だ?」
「フフフッ。いえ、ただ呼んでみただけでちゅ」
「何故?」
「幸せを噛み締めたくて……」
「馬鹿、泣くなよ。泣いたらとけちまうぞ」
「はい」
そこにインターホンのチャイムが鳴った。画面に映ったのはすみかだった。
「まずいな……」
「どうちまちゅか?」
「何かに変体は出来るか?」
「ご命令とあらば」
「そうだなぁ・・・・・・」
「こんばんわぁ!」
すみかが、玄関を開けると勢いよく部屋に上がってきた。
「何のようだ」
えらく無愛想な素っ気ない返事が、すみかの気持ちを逆なでする。
「何のようだはないでしょう? 折角あの番長から伝言を預かってきたっていうのに」
「伝言?」
「明日の仲国良子ちゃんんのコンサート行かないかって」
「明日だと? 俺はチケット持ってないぞ」
「そうよね」
番長こと宮城錠との奇妙な友情。闘った相手との。
「あれ、この子犬、どうしたの?」
自分に擦り寄ってくるチワワを抱き上げて、すみかは写真立てを見る。
「愛人が良子ちゃんを好きだって事は知ってるけど、どうして告白しないの?」
「・・・・・・」
言える訳がない。そう愛人は考えていた。小さい頃彼が傷つけた言葉。
『アタチ、愛人の作った服を着るモデルちゃんになる!』
『馬鹿! お前なんかがモデルになれる訳がないだろ!』
あの時、良子は歯を食いしばって泣かずにいた。
彼女は今でも覚えているだろうか。当たり前だと愛人は思う。彼女の自尊心を傷つけた罪に気づいたのは、彼女が芸能界に入るかどうか迷っていたその頃だ。
ある夏の夜。そう、丁度こんな蒸し暑い夜だった。浴衣姿の良子に眩しさを覚えながら、目のやり場に困っていた愛人に、彼女はこんな言葉を投げかけた。
『私、モデルとしてスカウトされたんだけど・・・・・・』
『そうなのか』
『どうしたらいいと思う?』
『お前が好きな通りにしたらどうだ』
『私が芸能界に入って皆の注目を集めてもいいの?」
『どういう事だ?』
その質問に良子は答えなかった。その答えに気づいたのは、良子がモデルから新進女優
として画面を賑わせるようになってからの事。
TVに映る良子の姿に一喜一憂するファンが身近に溢れ、「あの子、可愛いな」という賛辞が良子のイメージを彩るようになって、愛人は嫉妬したのだ。
『私が他の人間のものになってもいいの?』
彼女はそう言いたかったのだと気づいたのと、彼女への想いが交錯した時、愛人は身を引こうと決心した。彼女が芸能界を選んだという事が、自分よりもファンをとったという事。それを悟っての今年の沖縄への傷心旅行だった。
「いいかげんにしてよね。他人の恋愛の世話は焼くくせに、自分の恋愛となるとからっきしなんだから」
「もう、いい。用はそれだけか」
「あっ! シャワー貸して、ウチの給湯器壊れちゃったの」
「そうなのか。別に構わん」
「ありがと。ついでにこのワンちゃんも入れてあげる。さぁ! いきましょう」
「馬鹿! やめろ!」
「覗かないでよ!」
「そんな事を言ってるんじゃない! ワッ!」
シャツを脱いで、Tシャツになったすみかがシャワー室に向かう。
そして、数分後。
「キャーッ!」
バスタオル一枚で出て来たすみかとモンカオだった。
「どういう事か説明して貰おうじゃないの。どうして仲国良子ちゃんが此処にいるの?」
「話せば長くなる」
「じゃぁ、いい。手短に答えて。どうして犬が人間に変わったの」
「彼女は、自分が形状記憶スライムだと言ってる」
「形状記憶スライム?」
「人間の記憶にアクセスして、その人間の一番大事な存在へと変化出来るそうだ」
「へぇ、じゃぁ、もしかして、愛人の記憶から誕生したっていうの?」
「……そうだ」
「ふ~ん……」
きちんと正座しているモンカオの方をチラと見る。
「やっぱり、良子ちゃんの事好きなんじゃない。図星ね」
やはり、それには答えない。
「私はあなたの何?」
「……親友だ」
「わかってるじゃない。だったら話して」
「わかった。認めよう」
「だったら話は早いわ。コンサートに行きなさい。チケットは私が何とかするから」
「頼む……」
その翌日。都内の高層ビルの最上階の社長室で、『浅草橋ヤンヤン歌う洋品屋』の社長、小柴ルー子は報告を受けていた。
「では昨日、誠心高校のファッションショーに、仲国良子は来なかったというのね」
「はい。事務所に確認したので間違いはありません」
「どういう事?」
「わかりませんが、昨日より尾行、監視を続けております」
「そう」
「それと、委員会より連絡がありました」
「何なの?」
「『
「形状記憶スライムが?!」
「はい」
「っ! まさかとは思うけど・・・・・・」
「可能性はあります」
「早速あの少年を連れて来なさい」
「はっ」
「行かないで!」
「行く!」
「行・か・な・い・で!」
「行・く!」
「こんなに頼んでも行くのでちゅか!」
「そうだ!」
「わかりまちた。どうぞご勝手に」
愛人はトイレに行った。
「フーッ」
「行ってきまちたか?」
「何故、行かせたくないんだ?」
「だんさんと離れたくないから……」
「だが、コンサートは一緒に行けないぞ」
「どうしてでちゅか?!」
「チケットは一枚しかないだろうし、ペットの持ち込みは禁止だ」
「心配はありません! 私生き物以外にも変体出来ますから」
「例えば?」
「そうでちゅねぇ……。そうだ!」
そう言って、モンカオは光りに包まれる。
「!」
次の瞬間、モンカオの姿は純白のウェンディングドレスへと変わった。
『踊りませんか?』
声が聞こえてくる。
「あ、ああ」
ドレスになったモンカオが愛人の手を取って、踊りだす。
『上手いでちゅね!』
「そ、そうか・・・・・・」
いまだ女性と付き合った事のない愛人は、頬を紅潮させながら少しはにかむ。
カーテンが開けっぱなし。開け放った窓に射し込む視線。
反対のビルの屋上からの双眼鏡の視線が・・・・・・。
愛人とモンカオのドラマの視聴率はこれから高くなる・・・・・・。
翌日の朝、日曜文化祭の振替休日の月曜日の朝を起こしたのは一本の電話だった。
「何だ・・・・・・。朝っぱらから」
電話に出る愛人。
「はい、もしもし」
朝食を作りながら、電話の応対をする愛人の声を聞いているモンカオ。
「はい、それでは・・・・・・」
チン。
「だんさん。何処からお電話ですか?」
「ああ、昨日のファッションコンテストの審査委員長からだ」
「それで?」
「俺の作った服を気に入ってくれたみたいだな」
「本当でちゅか?!」
「今日、会いたいっていう話だ」
「でも、今日はコンサートでは?」
「コンサートは六時開演だ。間に合うだろう」
「番長さんとの待ち合わせ時間は?」
「五時半に東京ドーム」
東京青山。『浅草橋ヤンヤン歌う洋品屋』の自社ビルを、明王愛人は見上げていた。
『此処がそうですか?』
「そうみたいだな」
愛人が自分の来ているジャケットに話しかける。
そう。愛人が着ているのは、モンカオが変体したジャケットだった。
受付嬢に自分の名前を言うと、彼女は電話を取り連絡。暫くすると、担当者が降りて来た。その担当者に案内され、愛人は社長室に。
「よく来てくれたわね。明王愛人君」
「いえ」
部屋に入ると、その後を黒スーツの男達が入り口を固め、出られないようにする。
「どういう事だ!」
「愛人君。昨日あなたと一緒に居た仲国良子さんは何処?」
「何の事だ?!」
「とぼけるつもり?」
そう言って、小柴ルー子は写真をちらつかせた。
「!」
女性秘書に手渡され、愛人はその写真を見る。愛人とモンカオが腕組みして歩いている写真、ドレスに変体したモンカオと踊る愛人の写真だった。
「『亜无羅』を何処に隠したの?」
「アムラー、だと?」
「そう。形状記憶スライムの事よ」
「何の事だ? 俺は知らん」
「まぁ、いいわ。お通しして」
「はっ!」
黒スーツの男の一人が部屋を出る。そして・・・・・・。
「おはようございます! 昨日出席出来なかったお詫びに来ました!」
「っ! 良子!」
そう、部屋に入室して来たのは、アイドル女優の仲国良子だった。コンサートの招待券を携えて。
「愛人?! どうして此処に!」
そう叫んだ後、小声でモンカオに話しかけて確認する。
「形状記憶スライムはその人間の一番大事な存在へと変化出来るという・・・・・・。あなたの一番大事な人間が、仲国良子さんなのね?」
「愛人、何の事?」
愛人にとって一番大事な存在が幼なじみの良子。それが彼女に知られてしまった!
「いいわよ」
小柴ルー子が合図をすると、黒スーツの男達が良子を拘束する。
「何の真似だ!」
「あまり手荒な真似はしたくないから、素直に言う事を聞いて頂戴」
「何故、彼女、いや、形状記憶スライムを手にいれたいんだ!」
「決まっているわ。モデルにする為よ」
「どういう事だ?!」
「わからない? 髪の毛の色、また自由に体型や顔の形を変えられるスライムは、正にファッションモデルにうってつけじゃない!」
「何だと!」
「モンカオを見世物にしようというのか!」
「モンカオ?! そう、それが形状記憶スライムの名前なのね?」
(しまった!)
心の中で舌打ちする愛人の額から、汗が流れ落ちる。
「愛人、どういう事?」
良子が訊く。答えない愛人。
そこに電話が掛かってくる。
「何?! どうしたの?!」
『仲国良子さんの追っかけのファンが下に押し寄せてきました』
「監視モニターに出して」
モニターに受付の様子が映し出される。その映像に釘付けになる愛人。
「宮城!」
「お知り合いみたいね。彼も連れて来て」
「はっ!」
その数分後、番長の宮城錠が社長室に連れて来られた。
「良子ちゃんに会えるのか?!」
という大きな声が聞こえてくる。そして、扉が開かれ、宮城錠が現れる。
「明王! どうしてお前が此処に?! あっ! 良子ちゃん?!」
宮城が愛人と良子の姿に気づく。
「人質がもう一人増えたわね? どうするつもり愛人君」
考え込む愛人。
「人質? 明王、どういう事だ? あっ! 良子ちゃんを離せ!」
仲国良子の手を抑えている黒服の男に殴り掛かる宮城。しかし、彼のストレートは見事に躱される。反対にボディーブローを土手っ腹に食らわされ、うずくまった。
「やめろ!」
愛人もまた、殴り掛かろうとする! しかし、あらゆる体術を使いこなす黒服の男達に通用する筈がない。と、思ったが、見事にクリーンヒット! これには当の愛人本人が驚いた。体が勝手に動く! そう、ジャケットに変体したモンカオが愛人の体を動かしているのだ! 愛人の攻撃は、忽ち数人の男達を床にはいつくばらせる。
「野郎!」
黒服の男が懐から取り出す。何を? 銃を。
改造拳銃、改造モデルガンをぶっぱなして暴発すると手首から先が吹っ飛ぶ。
「脅すだけにしなさい!」
「はっ!」
銃を構える男。その手にしがみついたのは、
「ダメ~ッ! 愛人、逃げてっ!」
良子だった!
「離せ!」
その手を振りほどく。
「キャッ!」
良子の頬に、銃底が入る!
「き、貴様ッ!」
バシュッ!
良子を守る為に飛び出す愛人の胸を、弾丸が貫く!
「クッ!」
「愛人~ッ!」
「明王!」
倒れる愛人。
スローモーションで時が流れてゆく。永遠より長く、良子と宮城の絶叫がこだまする。
(お、俺は、死ぬの、か・・・・・・)
二人は愛人の許へと駆け寄る。
泣き叫ぶ良子と宮城。だが、
「おい・・・・・・? あれ? 血が出てないぞ!」
「えっ?」
(そういえば、全然痛くない)
愛人は体を起こす。左胸を触るが大丈夫のようだ。
「ハッ?!」
愛人は気づく。ジャケットを脱ぐ。そして、ジャケットを手に取り抱える。
「モンカオ! しっかりしろ! モンカオ!」
皆が見守る中、愛人はモンカオの名を呼ぶ。
「モンカオッ!」
零れ落ちる愛人の涙が、ジャケットを濡らす。
そして、目映い光が、この周囲を取り囲む。
次の瞬間、ジャケットが少女の姿、そう仲国良子の姿をしたモンカオへと変体したのだ。
「あた、し、が、もう一人!」
驚きを隠せない一同。
「大丈夫か、モンカオ!」
「は、はい……。だんさんは御無事でちゅか……?」
「大丈夫だ!」
「よかった……」
そして、目を閉じる。気を失ったのだ。
モンカオと抱き合う愛人。その二人のドラマは神聖で、視聴率を算出する為の視聴者は、一人から十人に増えたのだった。
「そうだったのか・・・・・・」
社長室のソファーに座っているのは、愛人とモンカオ、良子と宮城、それに小柴ルー子。「ああ、彼女は形状記憶スライムのモンカオと言う」
「形状記憶スライムって何だ?」という、宮城の質問に、
「宿主の人間の一番大事な存在へと変化出来るスライムの事よ」
小柴ルー子が答える。
「じゃあ、誰かの記憶から誕生したという事? 誰の記憶から生まれたの!」
良子の質問はもっともだ。
「そ、それは・・・・・・」
口ごもる愛人。だが、宮城には分かる。いや、良子も、モンカオと抱き合う愛人の姿を見た後では、わかっているのかもしれない。だが、言えない。いや、待っているのだ。愛人の一番大事な存在が自分だったという事を愛人の口から言って欲しいのだ。
小柴ルー子も『浅草橋ヤンヤン歌う洋品屋』を一代で築きあげた女傑だ。分かっている。
「まぁ、それはそうとして、どうするつもり? これから」
「どういう事ですか?」
「愛人君と言ったわね。仲国良子さんは仮にもアイドル女優よ。モンカオさんが町中を平気で歩ける訳はないでしょう?」
「はい……」
考え込む一同……。そこに電撃の閃きを見せたのは、宮城錠だった。
「はいはいはいはい! いいこと思いついた!」
窓から差し込む残暑の日差しが、先程とは打って変わった和やかな雰囲気に溶けてゆく。
「えっ?! あ、そうか! 頭いい!」
良子が宮城の手を握り締める。
「そうですか! エヘヘヘヘヘッ!」
思わず紅潮する宮城。
「私も協力するわ」
「エッ?!」
小柴ルー子の言葉に驚く一同。
「あんな、純愛ドラマ見せられたら、協力するしかないでしょう?」
「良かった!」と、良子が叫ぶ。
「あなた達、狙われるわよ」
「どういう事ですか?」と、愛人。
「『The Human Beauty Committee』。つまり『人類美化委員会』が形状記憶スライムを狙っているの」
「何の為に?」
「わからない? 私達、ファッションメーカーはモデルにする為に何年も前から狙っていたけど。彼は軍事目的らしいわ。貴方達を助けた事で私達も狙われるだろうけど、全力で守るから心配しないで。そのかわり―」
「そのかわり?」
「愛人君は、私の許で働いて貰う。モンカオちゃんは、モデルとしてステージに立って」
「本当ですかっ!」
「勿論よ。それより、良子さん、あなた今日コンサートでしょ。早く行かないとリハーサルが始まってしまうわよ」
「そうでした!」
「良子ちゃん! 明王と俺も行くからね!」
「本当! 実はコンサートの時はいつも、アリーナ席を一つ空けているの」
そう言って、愛人の方を見る。頭を掻く愛人。それには気づかない振りをする。
「愛人、来てくれる?」
「チケットはすみかが何とかしてくれる事になっている。急いで東京ドームに向かおう!」
「遅いぞ! 愛人!」
「悪かった。ちょっとあってな」
東京ドームのゲートで待つすみかと合流する愛人と宮城。
「モンカオちゃんは?」
「モンは、良子と共にいる」
「エッ! 何で?! ばれちゃったの!」
「まぁな」
「そうなんだ……。あ、これ、チケット」
「悪いな。代金は?」
「アンタ、私が金目当てで親友やってると思う?!」
「すまん……」
「いいのよ」
「恩に着る」
「さぁ、行くぞ! 今夜はフィーバーだ!」
「古ッ!」
「アハハハハハッ!」
三人はゲートを入り、自分の席へと向かった。
仲国良子のコンサートは定刻通りに始まった。
彼女の男性ファン、また朝の連ドラを見てファンになった少女達が、歓声を送る中、登場した仲国良子の隣には、プリプリの衣装で着飾ったモンカオがいた。
どよめく観客席。
「皆さ~ん! 此処にいるのは私の双子の妹の仲国永子です!」
「皆ちゃん! わたち、今日デヴューしまちゅ!」
onceからtwiceへ。
一人が双子で、二人が4人! 2倍、2倍のビット数!
2倍数か4倍数。遺伝子が、二人の結合と四人の結合が両親の両親に遡る時の遺伝子が、健常者を生むならば……。
遺伝子固定のFIXが人類を救う時、美男子と美少女の兄妹が救われた世界があるのだろうか……。
リミテッド エイト。
8歳まで前世の記憶を覚えている人間。
ただ電気椅子で死刑になった人間の記憶は消去され、輪廻転生する訳も無い。
ブレーカー落とし……。
オオオッ!
二人が一緒に歌っている姿を一番前のアリーナ席で見ている愛人の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。衛星放送で生中継の映像、その視聴率はうなぎ登りだった。
東京ドームのブレーカーが落ちる季節に、彼らは消える……。
ビールかっ喰らって酩酊し、線路に落ちた犯罪者……。
誰が彼を突き落としたのか?
文部科学省が狙う科学の遺産。
旧時代に国家的テロを起こした新興宗教の教祖達が死刑執行された現在。
国家の亡霊を起こそうとする省庁と、その時代のミカドが起きる時に復活する夷敵。
夷。
喉のルサンチマンを祓う種字は「イー」
雷神インドラ。戦争の神インドラの咒法は、喉の電気信号を祓う。
美人の妹がフーテン寅さん救う為、喉の振動をイーにする時、喉のシンクロ、呪いは溶ける。
呪縛を解縛する時、溶ける癌細胞は、喉の痛みの血として吐血する時、シンクロ回線が解縛される……。
宇宙に於ける最初の生命体。
十九世紀末のヨーロッパから起こった新神秘主義運動の中心人物、ヘレナ=ペトローヴナ=ブラヴァツキーによれば、人類の太祖、いや生命の根源とは、宇宙、そう漆黒の闇空間を漂う水母のような宇宙生命体であったという。
また、そのブラヴァツキーが述べるところに拠れば、近代神智学で第五要素と呼ばれるサンスクリット語の『アーカーシャ(傳音声エーテル)』は、「宇宙的な見方をすれば、その物理的性状が創造的である、輝き、冷たい、透熱性の柔軟な物質」であり、その『アーカーシャー』は、『アーカーシャー年代記(所謂アカシック・レコード)』として、森羅万象、全世界の諸事象や、個人の思想、行為、経験の全てを三世に亙って歴史的に記録しているという。
その『アーカーシャー』の別称だが、『光る水』、『マーキュリーの水』、『宇宙の記憶』、錬金術で用いられる秘教的述語である『マグネシア』、『世界の精液』、『生命の水』等、まだまだ多く存在する。
・・・・・・が、しかし。我々はもっと広く人口に膾炙されている単語をそこに入れ忘れてはいないだろうか。水母のような存在。物理的性状が創造的である柔軟な物質。日本神話で言うところの、伊邪那岐命と伊邪那美命、兄妹であり夫婦である二尊が最初に産んだ、手足のない水蛭子。同様に沖縄宮古島の伝承にある琉球神話でも、大洪水を逃れたヴィゼー兄妹が近親相姦の結果、最初に産んだ子供は不具なる子供(アジカイ=シャコ貝)だったという。粘液状でドロドロとした存在、魔物・・・・・・。
人はそれを、スライムと呼ぶ・・・・・・。
そして今、時代は、形状記憶スライム、《グミ》を産んだ・・・・・・。
一話 了
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