泣き虫笛吹き、転生して旅の楽士になる(仮

内田夏穀

1-1

……おかしいぞ、俺は日が暮れる前にと野営の支度をしていただけだ。

ナザリオは無精髭ののびきったあごに手をあてて、目の前にころがっているものを今一度じっくり眺める。

年の頃なら14.5歳の小娘。ただし、なんだかわけのわからない格好をしている。このあたりでは見かけない服装だ。布地の薄さからしても、あまり旅向きとは思えないし、材質も何でできているのかいまいち判然としない。脚もむきだしである。腰にくくりつけた荷物ともよべないズタ袋からは、マルロの実がいくつかこぼれて散らばっている。

たきつけになりそうな小枝を探して藪に分け入ったら、これがいた。

「ちょっとどうしていいかわからんぞ、これは」

おもわずそうごちる。

そもそも生きているのか死んでいるのかもわからない。

と、思ったら。

「うう…」

小娘がかすかに身じろいだ。

「お、動いた」


しかたないか、と彼は腹をくくって、娘を抱え上げた。



ぱちぱちという音がして、エマは意識を取り戻した。

「お、起きたか」

がばっ、と起き上がろうとして、しかし草むらについた手が、がくりとぐらついた。

「うあ」

「無理するな」

まだ目がちかちかして、目の前でしゃべっている人の顔も見えない。

鼻先ににゅっと革袋が突き出された。

「おおかた腹でも減って行き倒れたんだろう。…飲め」

水だった。みず。そういえば何日ぶりだろう。川を見失ってから数日は立っていた。

革袋の中の水を夢中で飲んでいるうち、エマの意識はだんだんはっきりしてきた。

大学の帰り道に交通事故に遭って、気づいたら山の中。

道もわからず、熊においかけられたりしながら、なんとか麓までおりてきたかと思ったところまでは覚えている。

最後の1滴をのみおえて、上げていた顔をもとに戻すと、苦笑する男と目があった。

「おうおう、よく飲んだ。俺の分までなくなったぞ」

きれいな水色の瞳にブロンドヘア。苦笑するその目元にはかすかに皺があり、40代といった風情。ぼうぼうの無精髭といい、着ているもののひどさといい、エマの格好といい勝負だが、不思議と怖くはなかった。

「俺はナザリオ。旅の魔道士だ。で、お前の名は」

「…エマ」

「エマニエルか。名門の跡取り娘のような名だな」

「…そんなことより!」

いま魔道士って言いましたか、といいかけたエマの口を手のひらでおしやり、ナザリオは静かに告げた。

「そこの小道を下っていった先に泉がある」

「…へ?」

「俺の飲み水までお前が飲んだと言っただろう。汲んでこい」

「あ…あの、さっきまで死にそうだった女の子に向かっていうセリフですかそれ?!」

「おうおう、それだけまくしたてられるなら大丈夫だろう、行ってこい」


がさり。ぐるるるるる………

大声で言い合いをしていた2人の耳にも、その唸り声はたしかに届いた。

「うるさいぞ、俺はこの小娘にものの道理を教えているんだ」

ナザリオはふと手のひらを上へ向かってかざした。

『氷の精霊よ、力あるものよ、御名において鋭き水晶の刃を我に与えよ』

次の瞬間、その手のひらの上に霧がわきおこり、数枚の尖った氷槍が現れて藪の中へ飛び去る。

「ぐがああああっっっ!」

喉に氷を突き立てたモンスターがどたどたとよろけ出て、ばったりと倒れる。


「…オークは食えないからなあ。イノシシか熊なら良かったんだが」

エマは動転して、口をぱくぱくしている。

「こ…こいつですっ!!!」

「あ?」


(水くみにいかされたあとで)改めてエマはナザリオに自らの状況を話してきかせた。

こことは全く違う世界の住人だったこと。事故に遭って絶命したはずだが、気がついたらこちらの世界に転移していたこと。麓まであとすこしというところで、さっきのオークに追いかけられ、崖から足をすべらせたこと、などである。

「以前に読んだ古い書物にあったな。時折そうして、この世界の者ではない『来訪者』がまぎれこむことがあると」

「本当ですか」

でも、とエマは肩を落とす。

「きっと、元の世界に戻ることなんて、できないんだろうな」

「まあ、そう気を落とすな。命があっただけでも儲けものだぞ」

ナザリオがそう言っても、エマの眉は曇ったままだった。

「お、焼けたな」

パチパチと爆ぜる焚火の中から、ナザリオは枝を使ってころころと丸いものを取り出した。

「お前の持っていたマルロの実だ。焼けば食える」

すすめられるがままに、熱い皮を剥いてほおばったエマの顔に、驚きの色が浮かんだ。

「おいし…ほんとに栗みたいだ」

ほろほろと甘く、舌に甘露をもたらすその実は、右も左もわからない中で、栗の実に似た刺のついた外殻を見たエマが、食べられないかととっておいたものだった。


「…泣くほど美味いか」

「え、あっ」

言われて初めてエマは涙を流していたことに気がついた。甘いものを食べて気がほぐれたのだろうか、涙は後から後からとめどなく溢れた。

「すみません、なんか…ほっとしたみたいで」

「そうか。まだあるぞ。好きなだけ食え」


「とりあえず、今日は一晩ここで寝るぞ。明日、下の街へ連れて行ってやる。」

食べて気が緩んだのであろう、エマはその後すぐに眠ってしまった。


* * * * *


爽やかな風が吹き込んで、ナザリオの顔をなでる。いつもならひどい低血圧で、目覚めは最悪なはずなのに、不思議なほどすっきり起きられた。

木に寄りかかって眠っていたエマの姿が見えない。

と、どこからか耳慣れない音が聞こえることに気がついた。

高く、低く、伸びやかなその旋律に、おもわず足を向ける。

すこし小高くなった丘の上に、エマは立っていた。彼女の手には見慣れぬ笛があり、音はそこから出ている。聴いたことのない調べだ。ナザリオにもすこしばかりの楽器のたしなみがあったが、エマの吹いている曲は、彼の知っているどの曲とも似つかぬ旋律であった。しかも笛といえば縦に構えるものばかりしか見たことがなかったが、彼女は横向きに構えている。唇をわずかに管体に押し当てる姿はとても上品だ。

長い黒髪が風になびき、笛の音はどこまでも爽やかに響き渡る。ナザリオはしばし時を忘れて見入った。

曲が終わると、エマは振り向いてナザリオの姿を認めた。

「おはようございます」

「……ああ、おはよう」

挨拶を返すと、彼女はすこし照れたように微笑む。

「すみません、朝の日課でして。うるさかったですか?」

「いや、そんなことはない」

エマのはにかみようを見ていたら、なんだかナザリオまで気恥ずかしい心持ちになった。

「随分達者に笛を吹くのだな」

普段無愛想な彼にしては精一杯の表現である。

「市井でよく見るのは縦に持つ笛だが、おまえのそれはなんというのだ?」

「え、これですか?」

うーむ、とエマが思案する。

「実はこっちに来る時、自分の荷物は落としちゃったみたいで、これは山をさまよってるときに自分でつくったんですよ」

「……笛を?おまえが??」

たしかによく見ればその笛は、木でできている。程よい太さのトネリの木に空洞ができたものを使ったのだろう、皮は丁寧にはがされ磨いてあるが、穴を6、7つ空けただけの、ごくごくシンプルなものであった。

「…器用だな。というか右も左もわからんのに笛をつくってたのか、おまえ」

「いや、練習は1日サボると自分にわかる、3日サボるとお客にわかる、っていうじゃないですか。向こうの世界ではもうちょっといいフルートを持ってたんですけどね…」

「それはフルート、というのか?」

「ああ…えーと」

ふたたびエマは思案する。

「たぶん、トラヴェルソ、とでも呼ぶべきでしょうね」


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