11-僕は可能性

 お昼過ぎに生米にある涼音のマンションについた。

 インターホンを鳴らすと、急に訪れた僕を快く部屋へ入れてくれる。

 ほぼ1週間ぶり。

 ……相変わらず散らかった部屋。


「お父さんどうしたの?こんな早くまた会えるなんて思ってなかったー。」

「僕だって、こんな早く来る事になるなんて驚きだよ。」

「だよねー、でも来てくれてありがとう。」


 二人はハグして唇を重ねた。

 これ挨拶だよね…いや絶対挨拶だと自分を強引に納得させる。

 アメリカンな親子になってしまった僕達。


「今日はちょっと大切な用事があってきたんだ。」

「え!それは何?」

「とりあえず落ち着いてから話すよ。」



 僕はテーブルの傍の椅子に腰を下ろした。


「じゃ、お父さん少し待ってもらっていい?」

「今、作画してたところだからさ、締め切りヤバくてさ。」

「うん、オッケー、終わってからでいいよ。」


 クリエイターって簡単にオンオフできる仕事じゃないんだよね。

 のってる時は時間に縛られない、休憩や食事も忘れて集中して作業して進めるし、のらない時は、時間があっても全然仕事が進まなかったりするんだよね。今彼女はオン状態なのだろう、邪魔しちゃいけない状態。

 僕はバッグからタブレット端末を取り出して、自分の趣味のページの閲覧を始めた。


 時計の無いこの部屋は、いつも時間を気にしてる僕にとって不思議な感覚を覚える。土曜日の午後、作画タブレットを擦る音と編集するパソコンのキーボードの音、そしてかすかに電車が通過する音が時々聞こえていた。

 時間がどれだけ過ぎてるのか感じさせない不思議な部屋。

 お互いに邪魔をせずに、それでも同じ空間で過ごすこの感じ、僕は心地よさを感じていた。





 何杯飲んだかな?、ペットボトルのミルクティーが無くなりかけている。

どのくらい時間がすぎたかな、まだ外は明るい。


「お父さん、おまたせ。」

 涼音が僕が座る椅子の近くの床に腰を下ろし見上げている。

 これが僕達の定番の位置関係になりつつある気がした。


「うん、涼音さん、僕がどうしてきたかわかる?」

「え?わからないよ。」

 彼女はキョトンとして尚、僕を見上げている。


「じゃ、ヒントあげる。」

「昨夜、りさちゃん、月乃さん、由比ちゃんと話したよ。」

 またキョトンとしてる、これでも判らないらしい。


「りさちゃんが、お別れに言いに来たよ。」

「そして月乃さんは、あるじが大きな決断をしたと教えてくれたの。」

 ここまで話すと、涼音さんの表情が険しいものに代わった。


「あいつら、ばらしたのね…。」

 それは怒りに満ちた声だった。


「中の人を怒らないでよ。」

「もう私達にはどうする事もできませんって諦めてたし。」

「だからこそ、僕にお別れを言いに出てきたんだよ。」

 僕は中の人を必死にフォローした。





 僕は説明も答えも急がない、ゆっくり考えて話して欲しいとお願いした。

 こういう事は言葉にするのは難しい筈だから。僕がここに来た理由をさっきまで知らなかったのだから、すぐに話すのは無理があるだろう。


 少し時間を置いてから僕の涼音に対する希望だけ伝えた。

「僕がどうして欲しいか希望だけ言っておくよ。」


「僕は、涼音さんそして中の人にも消えて欲しくないと思ってる。」

「みんなの父さんでいたいんだ。」

「…それだけが僕の希望。」


「返事は今は聞かないよ、後で…、」

「そう、夜のいつもの時間になったらでいいから。」


 僕の言葉に涼音は頷いた。


 実際のところ、中の人の話を聞いただけで、彼女が具体的にどう決断をしてるのかは僕は知らなかった。的ハズレにならないように配慮した賭けであり釣り、それは彼女の本心を引き出す為。

 一番確認したいのは、彼女が別人格だけを消すのか、彼女自身を壊そうとしてるのか、あるいは物理的な自死なのかだった。

 どの決断だったにしても、僕は止めたい、彼女がどれを実行しても彼女は彼女ではない違う何かになるだろう。それだけは、月乃さんの言葉からわかっていた事だった。



 その後二人は、気持ちを切り替えたかのように穏やかな時間を過ごした。

 過度に干渉せず、でも会話もできて、そしてお互いその時々にしてる事の邪魔にならなくて。先週も感じたけど、二人の時間はとっても居心地の良いものだった。





 日課のゲーム、その後の約1時間の魂が抜けたような虚ろな時間を過ぎて、夜のいつもの時間になった。

 ベットで上半身を起こした涼音。

 僕はその横に腰を下ろした。

 

彼女は静かに口を開く。

「みんなを消してしまえば、普通の人と同じようにラクに生きれるのかなって考えた。」


 やはり、彼女は多重人格であることに悩み苦しんでいたという事だろう。でも、この言葉だけでは、彼女が生きようとしてるのか、そうじゃないのか判断はつかない。



 医療によって人格の統合あるいは消去が行われたとしても、その後に存在する涼音さんは今の涼音さんとは異なる存在になるように思う。


 それに僕は、月乃さん達別人格を人間だと思っている。

 僕は中の人、月乃さんや由比ちゃん、そしてりさちゃんと実際に語り触れ合った。 名前を持ち、自我を持ち、記憶も個別に持ってるという、それは身体を共用してるだけで、生きてる人間だと感じられた。それらを消してしまう事を僕は容易には賛成できない。


 人格の統合が行われたとして、別の自我、別の記憶を持つ人格が涼音に統合されたら、それは今目の前にいる涼音とは違う存在になると思える。だからこれも容易には賛成できない。そして、物理的な自死ももちろん容易には賛成できない。



 でも、それでも……。

 僕は僕の信じた人の決断した事を否定しないと決めてるんだ。

 だから、僕は彼女の死の可能性すらある決断を最終的にしたら、無理に止めるつもりはない。

 彼女のが本当に決断を下すなら、僕はその意思は肯定する。

 信じているのだから。




 しばらく考えた。

……そして口を開いた。


「涼音さん、僕は君が決断した事を止めないし否定しないよ。」

「僕はいつも終わりを見つめて生きてるから、死だっていつも考えてるから。」

「いつも目を逸らさないで終わりを見てるからこそ、それを僕は否定しない。」


 彼女は黙って聞いている。


「僕が昼間伝えた僕の希望は知ってるよね。」

 彼女は頷く。


「じゃ、涼音さんが僕の希望を叶えられるかもしれない、そのヒントを教えてあげるよ。」

 彼女は黙って僕を見つめている。


「僕はね、可能性なんだよ。」


「僕は涼音さんと知り合って仲良くなった。」


「後になって多重人格を知ったけど、同じように接することができた。」

「はじめは判らなかったけど、少しづつ多重人格の事も理解してきている。」

「涼音さんを好きになったように、中の人を好きになれている。」


「それぞれの人格に人間性を感じながら、それを全部含めて霧谷涼音だと認識していて、それでも霧谷涼音という人を好いている。」

「そして、普通の人として付き合っている。」


「僕は決して特別な人じゃない。」

「僕のような人間がここに1人いるってことは、特別じゃない僕みたいな人はきっと大勢いる筈。」

「僕のように、涼音さんが多重人格と知っても普通に接していける人が大勢いる。」


「僕は涼音さんが出会った最初の可能性じゃないかな。」


「複数の人格を持ったまま、それを知ってる人と普通に付き合えて、普通に暮らしていける可能性。」

「その可能性、そして、その証明が僕だと思う。」


「君の決めた決断を否定はしないけど、僕の希望、そしてこの可能性をあわせて考えて欲しい。」


「すぐに答えなんか出せないよね…。」


 少し考える。


「……今やってるイラストの仕事のプロジェクトの終わりが6月だったよね。」

「責任感の強い君はプロジェクトを途中で放り出したりしないよね。」

「だから、考えながら6月まではこのまま生きていて欲しい。」

「そして、その時に最終的な決断をしてね。」


「もし途中で消したくなったら、僕に秘密にしないで教えて欲しい。」

「僕は涼音さんのが本当によく考えて決めた事は否定しないから。」


 少し時間をおいて、彼女はそれを受け入れた。約束もしてくれた。





 僕は月乃を呼び出した。


「月乃さん、涼音さんは6月まで考えてから結論を出すと約束してくれました。」

「そしてそれまでは、動かない…生きていることを約束してくれました。」


「いつきさん、よくあの頑固なあるじを説得できましたね…。」

「正直、驚きました。」


「説得というか、可能性を提示して考える時間を作っただけだよ。」


 僕は、ついでいこの1週間考えて準備していた事を実行することにする。

 バックから、準備してあった紙を彼女に渡す。


「先週、月乃さんが言った『何も知らない』への僕の答えです。」


 渡したA4の紙には、1週間でまとめた僕の知る涼音さんの情報とその分析が書いてあった。そういうのをまとめるのは、ゲーム攻略得意な僕の得意な分野だった。


「中と外で協力して情報も共有して涼音さんを支えて行きたい思ってるんだ。」


 月乃さんは、それに目を通して呆れたように言った。

「あるじの事を短時間でよくこれだけ知ることができましたね…。」


 僕は渡した紙を返してもらい、バックにしまい込んだ。さすがにコレを涼音さん本人に見られるのはちょっと嫌だったので回収。




 再び涼音を戻した。

「月乃さんにさっきの事を報告しておいたよ。」

「うん。」

「それから、今後は中の人と僕が協力して涼音さんを支えようって提案しておいた。」

「…うん、ありがとう。」




 そろそろ寝ようと思っていたら突然、涼音の端末に彼からのメッセージが入った。

 それを見た彼女は表情を失い、突然ショック状態に陥った。

 トイレに駆け込み苦しそうに吐いている。数分たって吐いてるような音は止まったけど、彼女はトイレから出てこない。


 声をかけて鍵を開けてもらいドアを開けると、彼女は便器の前に座り込み、ぐったりしている。酷い状態、このままにはしておけない。僕は彼女を抱きかかえてベットまで運び、そのまま眠らせた。


 個人的なメッセージを僕が見る事はできないので、何が書いてあったかわからないけど、それを見ただけでこんな状態になるって、彼との関係は危険すぎると改めて思えた。

 すでに表面的な好きとか嫌いを通り越して、心の奥底から拒否反応が出てるようなものだろう。




 翌日、僕達は気分転換に出かける事にした。

涼音はどれを着て行こうか、自慢のゴスロリ服を何着か着替えてる。

…目の前で。


 いつも遠慮なく着替えるのでイチイチ目を逸らすのも面倒になり、その様子を普通に眺めてられるというところまで僕は鍛えられていた。

 まあいいでしょ、父さんだし、そんな家庭もあるかもしれない。


 そして…。

 気が付くと、服選びがいつの間にかファッションショーになっていた。

 何着も着替えては僕に見せて、感想を聞いてくる。


 正直に言わせてもらえば…。

 かわいい、みんな可愛いです。

 僕の負けです。

 下着姿まで着替えるたびに見せられて、もう父さん何も言えません。


 結局、深いグリーンのワンピースに決めたようだ。

 胸元の白と袖の白、胸元のリボンもかわいい。

 さらに、カラーコンタクト入れて、お化粧して。

 これは全力戦闘準備ってやつなのでしょうか。


 結局、いろいろやってて出発するまでに2時間くらいかかったという…。




 僕は涼音と手をつないで歩いた。

 手をつながないと腕を絡めそうな雰囲気もあったので防御です。

 彼女の身長は僕の肩くらいだけど、厚底の靴のおかげで少し差が縮まっている。そうじゃなかったら、身長差で手をつなぎにくいだろうな。遠目には、小さな女の子の手を引く怪しいおじさんに見えてる気がしてきた。自分がどう思われようがかまわないと思っていてけれど、犯罪者と思われるのだけはちょっと嫌かな。



 ディスカウントショップでお買い物をして。ホームセンターを二人でブラブラ。

 二人ともホームセンターで数時間時間を潰せるという趣味を持ち合わせてたので、飽きにずにあれこれ見て回る。


 ゲームセンターに行くと、何故かプラスチック製のカラフルなお魚のガチャにはまりだす。ハマるポイントがよくわからない。なんだかんだ、全種類コンプリートするまでガチャを回し続けた。


 軽食スペースで、ハンバーガーとポテトを食べながら、コンプした魚をテーブルに並べて撮影。

 ところが、二人は絵師とカメラマン、絵作りには二人とも拘りがある。どう並べるか、どう写真を撮るかで二人とも凝りすぎ。30分くらいプラスチックのお魚たちを弄ってやっと写真を撮った。


 最後はマンションの近くのラーメン屋さん。

 ……これが予想以上に美味しくて、二人とも感激。

 マンションの近くにこんな美味しいラーメン屋さんがあった事に二人で驚いた。羽尾ラーメン、うん、覚えてておこう。


 マンションに戻ったのは暗くなってからだった。

 たぶん、これってデートなんだろうな。二人とも恋愛感情はないお友達デート…。いや僕と涼音の場合は親子デートかな。



 マンションに戻ると、また遠慮なく服を脱ぎ部屋着に着かえる。

 僕もそれを大して気にすることもなくなっていた。

 そして、その後は日課のゲーム時間まで二人はそれぞれ好きな事をしながらゆっくり過ごす事にする。


 僕も他人とずっと一緒にいると窒息しそうになる人間なんだけど、不思議と涼音と一緒にいてそういう感じはしたことなかった。それは涼音もそうで、同じ事を驚いているみたいだけどね。

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