ゾンビアニ

Tusk

第1章 聖域を侵す闇

第1話 少年とゾンビアニ

 異星より持ち帰られたとされる昆虫型寄生生物「フレンジーバグ」により、人類の約半数がゾンビと化し、混乱した世界はその秩序を失った。


 しかし、それより数百年という歳月を経てようやく、人類はゾンビ化した人間を制御する方法を開発し、少しずつ文明を取り戻しつつあった。


 そんな時代に生きるリクトとタイガ。


 彼らは、ゾンビを制御する術を知るため、大陸の東にあるという研究施設を目指すのだった。



———————————



 夜も更けた、暗い山中のボロ小屋で、リクトはやせ細った老人の前に座り、山芋や山菜を煮込んだ汁物をズルズルと食っていた。


 そのボロ小屋の入り口あたりは大きく破壊されており、少し肌寒い山の空気が小屋の中へと吹き込んでいる。


 小屋の内部もひどく荒らされていたが、リクトはそんな事を気にする様子もなく、壊された柱の一部を座椅子代わりにして座っている。


 老人は、しばらくその光景を黙って見ていたが、無言の空間に耐えられなくなってか、リクトに対して恐る恐る語りかけた。



「リクトさん、でしたかね?……すまないね。せっかく助けていただいたのに、食い物がそんなものしかなくて。アンタはお若いし、本当は肉でも食わせてやりたいところなんじゃが……。」


「ズルズル…… ああ、気にしないでよ、じぃちゃん。 ……どうせロクなもんないだろうと思ってたし。」


「……ああ。そ、そうかね。」



 老人にとって貴重な食糧を食わせてもらっておいて、失礼な物言いをするリクト。


 しかし、老人は、まだ少年であるリクトに対してひどく怯えており、その失礼な物言いに対しても、特に言い返す事はしなかった。


 そして、老人が怯えるその理由は、破壊されたボロ小屋のすぐ外にあった。


 老人は震える手で、小屋の前を指さして言う。



「あ……あの人は、君のお兄さんなのかい?」


 その指先では、フードをかぶった大柄の男が、ベチャベチャと音を立てながら男性の死体をむさぼっている。


 そして、その周囲にも損壊した死体がたくさん転がっており、今しがたこの場所で争いごとが起きた様子だった。



「……ズルズル。うん! あの人は俺の兄ちゃん! タイガって言う名前なんだよ!」


「タ……タイガさんですか。……あ、あの、もしかして、タイガさんは……?」


「……ズルズル。うん。見ての通りゾンビだよ。」


「……!!」


 それを聞いた老人は曲がった背中をさらに丸め込み、先ほどよりも体を震えさせながら縮み上がった。



「……ゾンビなんですなぁ。やっぱりですか。そうですか。……このボロ小屋を襲ってきた何人もの賊どもを、タイガさんはあっという間に殺しちまいましたからなぁ。そんでもって今は、殺した賊どもの脳みそを……」


「ズルズル…… うん。食べてるね。今はタイガ兄ちゃんも食事中!」


「……」



 傍で人の脳を食っている光景を目にしながら平然と食事をし、無邪気な笑顔でそれを話すリクト。


 老人は、人の脳を貪るゾンビにも怯えたが、それ以上に少年のリクトに対して、言い知れぬ恐怖感を覚えた。



「あー!食べた食べた!ごちそうさま! ……まぁ、美味しくはなかったけど、久しぶりにお腹一杯になった!」


 リクトは、汁物がたくさん入っていた鍋をいつの間にか空にしており、手に持っていた椀と箸を乱暴に床に置くと、座椅子代わりに座っていた柱の上で、仰向けに寝転がった。



「……満腹になりましたかね。 それはよかった。」


「うん! お兄ちゃんも食事ができたし、こんなボロ小屋でも立ち寄って良かったよ!」


「ハ、ハハハ。それは何よりです。……しかし、あの賊どもから助けてもらったお礼は、その食事だけで勘弁して頂けますかね? 申し訳ないんじゃが、このボロ小屋には金目の物もないし、他に食い物もないんで……。」


 老人は恐る恐る、満腹で横になったリクトに懇願する。



「えー!? ほかには何もないの? さすが山奥のボロ小屋!」


「は、はい。私の備蓄の食料も、今しがた召し上がって頂いた分で全部でして……。」


「ふ~ん……。そっか。」


 リクトは仰向けになったまま口を尖らせ、つまらなそうな返事をする。



「……ええと、ご勘弁……願えますか?」



 老人が再度懇願すると、リクトは起き上がって老人の方を向いた。



「うん。いいよ。仕方ないし。」


「……ハハ。 そうですかい。 申し訳ねぇ。」



 老人はひとまず安堵した様子だが、座ったままで立ち去る様子のないリクトを見て、再び怯え始める。



「あ、あの、本日は旅先を急がれるのではないのですか?」



 老人は遠回しな言い方で、リクト達に立ち去ってほしいことを伝えるが……、



「いやぁ、今日はもう夜中だし。ここに泊っていくよ!」


「な……!?」


 老人は、この恐ろしい状況から一刻も早く抜け出したかったが、どうやらリクトはこのボロ小屋に泊まっていくつもりのようだ。



——冗談じゃない!!


 老人はそんな心境だったことだろう。


 なんとかリクト達に立ち去ってほしいと、老人は必死な様子で言い訳を始める。



「お……お待ちくだされ! このボロ小屋には布団もありませんし、こんな狭いボロ小屋じゃぁ、3人で寝ようにも……」


「大丈夫だよ! 僕はここで寝るし、タイガ兄ちゃんはゾンビだから、制御装置のスイッチを入れれば、黙って突っ立ってるだけだから。」


しかしリクトは、老人の ”立ち去ってほしい” という意図をまるで読み取ろうとしない。



「……いやぁ、そうは言われましても……」



 老人は困り果て、次の言い訳が思い浮かばなくなって俯くが、リクトはそんな事お構いなしに、自分勝手に話を続ける。



「どころでおじいちゃん、大陸の東にあるっていう、“白い山”って知ってる……?」


「白い山……? ああ……、話には聞いたことがあります。」


「僕たちはそこを目指して旅してるんだ。……でもさ、正確にはその“白い山”に行きたいわけじゃなくて、山の麓にあるっていう研究施設を目指してるんだ。……その研究施設について、何か知っている事は無い?」


「研究施設……? それは初めて聞きましたな……」


「……ふぅん。 そっか。 じゃぁ、いいや」



 そう言うと、リクトは再び仰向けに寝転がってしまった。


 やはり、このボロ小屋から立ち去る気は無い様だ。


 老人は焦ってリクトに話しかける。



「リクトさん! この先の山道を進めば、何軒か民家があるはずです。 こんな壊れてしまったボロ小屋じゃなく、そちらに泊めてもらった方が……」


「う~ん……。それはいいや。面倒くさいし。」


「……」



 もう、何を言っても動きそうにないリクトの様子を見て、老人は脂汗を垂らしながら頭を抱えてしまった。


 そしてその時、頭を抱えて俯く老人の視界に、血だらけのブーツを履いた大きな足元が見えた。



「……!?」



 老人が恐る恐る見上げると、そこにはいつの間にかフードを被った大柄の男が立っている。


 ……タイガだ。



 タイガは口元をベットリと血で濡らし、「フゥフゥ」と荒い息遣いをしながら、血走った目で老人を見下ろしている。



「あ……、あの、リクトさん……? お、お兄さんが……」



 老人が焦ってリクトに呼びかけたその時、タイガの血だらけになった大きな両手が、老人の頭部を掴んで持ち上げる。



「あ! アイタタタ……! イタイ! イタイです! は……はなしてください!」



 老人は浮き上がった足をバタバタさせながらもがき苦しむ。



 リクトはようやくそれに気付き、ダラダラと起き上がったかと思うと、自分の着ている服のポケットの中から、ゴソゴソと何かを探し始めた。


「あ~ごめん!おじいちゃん。 タイガ兄ちゃんの制御装置のスイッチを入れ忘れてた! ……ええっと、リモコンはどこだっけ?」


 どうやらリクトは、ゾンビであるタイガの制御装置のスイッチを入れるべく、そのリモコンを探しているようだ。



「う……!うぐぐぐぐ……! リクトさん……!早くしてくだされぇ!」


「ちょっとまって! あれぇ? どこだっけなぁ……?」



 リクトが体中のポケットをゴソゴソと漁るが、なかなかリモコンが見つからない様子。


 そうこうしているうちにも、タイガの両手は容赦なく老人の頭部を圧迫する。



「う……うぐぐ……」


 ついに老人はしゃべれなくなり、ミシミシと音を立てながら老人の頭部が変形していく。



「あ! あったあった! 上着の裏ポケットだった……。 ごめん、今スイッチを入れ……


パキュ!



 リクトが慌ててリモコンでスイッチを入れようとしたその瞬間、老人の頭部は頭蓋骨が割れる音とともに、見るも無残に潰れてしまった。



「……あちゃ~。間に合わなかったよ……。 悪い事しちゃったなぁ……」



 そして、老人の両手両足はだらりと垂れ下がり、圧迫するタイガの手の間から、老人の脳髄が飛び出した。


 それを目にしたタイガは、まるで割れたスイカでも食べるようにして、老人の脳髄を貪り始める。



「……なんだ、まだ食べるの?兄ちゃん。」


 ズルズル……ベチェベチャ……


 リクトの言葉にもタイガは反応することなく、音を立てながら老人の脳髄を貪る。



「まぁ、いっか。明日は朝早くに出発したいし、“ソレ”を食べ終わったら寝るよ? タイガ兄ちゃん。」


 そう言うと、リクトは手に持っていたリモコンをポケットにしまい、脳を貪るゾンビのすぐそばで、再び仰向けに寝転がるのだった。

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