ハーフェズ、勝負に負けて大泣きする

 学術院に宣言通りに入学を果たしたファルジャード。

 彼は性格にかなり難があった。むろん卑しさなどとは無縁、むしろ真実をはっきりと言い過ぎる ―― 敵を作りやすい性格だった。

 同期入学の貴族たちを置き去りに、半端な教官も易々と追い抜く。

 生まれは定かではないが、神の子ラズワルドが後見しているので、王族なみの出自として扱われる。

 容姿は性格とは似ても似つかぬ柔らかさが目立つため、精悍さや鋭さを良しとするペルセアにおいて美男子とは言われないが、整っていることは誰も否定しない。

 容姿にも頭脳にも性格にも遠慮の欠片のないファルジャードは、学術院に入学したものの、特段優れていない才能を直視させられ挫折したり、自尊心との釣り合いが取れていない貴族たちから、それはそれは恨まれた。

 入学から四ヶ月後、ファルジャードに腹立たしさを覚えていた貴族数名が結託し、帰宅途中のファルジャードを襲う計画を立てそれを実行に移した。

 その結果 ―― ファルジャードは学術院での勉学の合間を縫って、王宮近くの軍の鍛錬所に通うようになった。

 襲撃された際、偶々近くを通りかかっていた若い武人が、多勢に無勢、丸腰に徒手の状況を見て助けに入ってくれた。


「御主、本当に強いな、ラフシャーン」


 その男の名はラフシャーンといい、十数名の暴漢を一人で追い払ってしまった。

 剣で追い払ったのは二三名。彼らが少々痛い目を見ている時に、暴漢の一人が「こいつ大将軍の甥だ!」と気付き、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 負傷者が泣きながら遅れて逃げ去ったのを見送ってから、ファルジャードは助けてくれた礼と、犯人に心当たりはあることを告げた。

 大将軍の甥は、一応伯父大将軍に報告したものの、暴漢たちからなんの訴えもなく ―― 連絡を取り合っている間に、全く違う環境で生きているのが逆に良かったのか、二人は意気投合した。


「いやいや、御主こそ。武一筋で生きてきた俺と、そう変わらんではないか」

「それは買いかぶり過ぎだ、ラフシャーン」


 ラフシャーン。彼は大将軍マーザンダーラーンの甥で、ファルジャードと同い年の十六歳。幼い頃から武の才能の片鱗が見えたこともあり、六年ほど前に大将軍に引き取られ王都にやってきて、武人としての道を歩んでいた。

 その才能は誰の目から見ても明らかで、今では王太子の一人息子アルデシールの側仕えとなっている。


「いや、本当に強いぞ、ファルジャード」

「そうか。だが俺が限界まで強くなっても、御主には勝てぬであろうな。ところでラフシャーン、今日これから付き合ってくれぬか?」

「今日はこれから、アルデシール殿下の所で開かれる宴に参加せねばならぬのだ」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 現ペルセア国王ファルナケス二世の孫アルデシール。黒髪と橄欖オリーブ色の瞳を持っていた。橄欖オリーブ色の瞳は特徴的なものだが、彼はその鋭い目つきの方が遙かに人目を引くため、むしろ彼の瞳の色が橄欖オリーブ色であることに気付く人のほうが稀であった。

 ラズワルドの八歳年上で、現在十四歳。その容貌にもはや幼さは見受けられない。姿形は眉目秀麗という言葉がそのままあてはまる。

 アルデシールはファルジャードとは真逆の、柔らかさとは無縁の容姿で、のちにラズワルドが彼に仮名を付ける際、権力の象徴たる鷹に王を付け鷹の王シャバーズとした時、誰もがその名に納得し、名付けられたアルデシール当人ですら鷹の王シャバーズこそが自分の本当の名ではないかと感じたほど。

 後々誰もに猛禽類の優美さと力強さを感じさせる雰囲気は、既に十四ながら端々に現れていた。


「ラフシャーンはどうした?」


 アルデシールの父は王太子ゴシュターブス。順当にいけば、彼は父の跡を継ぎペルセア国王となる。いずれ国王になる者らしく、今から同年代の部下となりえる者たちと酒を飲み意見を交わすことを怠らず、また才能ある者を自分の配下に加えることにも積極的であった。

 アルデシールの武術の腕はかなりのもので、同年代の武人など全く相手にならなかった。だが二年前、一つ年上のラフシャーンと出会い剣を交え ―― 自分と同等な相手に出会い、彼のことをとても気に入った。

 また武術もそうだが、ラフシャーンは裏表のない男。その気質が裏表のある人間と多く接してきたアルデシールにとって新鮮だった。

 気に入って以来彼を連れて狩りに出るなど、部下として重用しており、アルデシールが開く宴には必ず招待しており、ラフシャーンが欠席することは一度としてなかった。

 何時もならば遅れず宴の席に付いているはずのラフシャーンが、自分が到着してもまだ来ていないことを不思議に思っていると、宴には招いていない、国王直属の臣下でありラフシャーンの伯父でもある大将軍がやって来て、甥が欠席した理由を述べた。


「公柱からのお呼びか。それは良かったな、めでたいことだ。……俺も一度は拝顔の栄に浴してみたいものだ」


 ”ラズワルド公柱が会いたいそうだ”ともなれば、王子との宴の約束の辞退も致し方ないこと。

 そしてアルデシールは、この年までラズワルドには会ったことはなかった。

 下町で自由気ままに生きているラズワルドなので、そこまで足を伸ばせば顔を見ることは出来るのだが「見たい」などという低俗な欲求だけで、神の子の姿を覗き見るなど非礼極まりないことであり、神殿側との関係も悪くなる。そのようなことは後々大国の王シャーハーン・シャーとなる男がするような振る舞いではない。

 もっともペルセア王国歴三一八年現在、ペルセア王族でラズワルドの姿を見たことがある者は一人もいない。ラズワルドが「会いたい」もしくは「会っても良い」と言わぬ限り、王族は会うことができないのだ。

 特にラズワルドは神の子であり、確定はしていないが精霊王の妃でもある。かつて地上に魔王を招いた一人でもあるペルセア国王は、精霊王には嫌われていることもあり、余程のことがない限り近づくことはできない。

 精霊王とペルセア王家の関係に関しては、まだアルデシールは教えられていないが ―― 十四歳の王子アルデシールが、王家の暗部を知らぬのは、年若いのもそうだが、王太子に冊立されていないのが理由である。ペルセアでは王太子に冊立されると、それらを教えられるという暗黙の了解があるのだ。


「三年後まで我慢にございます」

「分かっておる、マーザンダーラーン」


 アルデシールが父であるゴシュターブス王子の跡を継ぐのはほぼ確定。対抗者たり得るアルデシールの叔父であるエスファンデルも、父である国王や兄ゴシュターブスに既にアルデシールに対する恭順の意を示していた。

 それらをより一層補強するため神殿に頼み、ラズワルドが神殿に入る際に乗る輿の担ぎ手の一人として既に選ばれていた。


「明日、話を聞くのが楽しみだ」


 アルデシールはラフシャーンから三年後に拝顔が叶う公柱に関して聞くのを楽しみにし、大将軍は下がり宴は始まった。

 アルデシールの翌日の楽しみとなったラフシャーンの訪問だが、


「うわーん! うえーん! うわーん!」

「な、泣くな、ハーフェズ」


 彼はその頃ハーフェズを泣かせていた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 ラズワルドはこの頃ファルジャードの話題によく登場するラフシャーンのことが気になった ―― 訳ではない。

 ラフシャーンのことを知りたいと考えていたのはセリーム。

 ファルジャードと同い年で、危機に瀕していたとき、助けてくれただけではなく、友人にまでなってくれた。

 ファルジャードの難ある性格をよく知っているセリームとしては、助けてくれただけでもありがたいのに、意気投合して友人になってくれるなど ―― 感謝してもしきれない相手であった。

 いつか会う機会があったら、感謝の気持ちをしっかりと伝えたいと願っていたのだが、ラフシャーンは招かれでもしない限り、この下町まで来る用事はない。そして奴隷のセリームが、まさか大将軍の甥を招いてくださいとも言えない。

 ファルジャードが襲われたことをラズワルドは知らないが、ラフシャーンと仲良くしていること、そしてセリームがラフシャーンにお礼を言いたいと考えていることなどを知り「ならば」と呼ぶようにファルジャードに依頼した。

 頼んだ翌日の午後、ファルジャードはラフシャーンと共に騎馬で下町へと帰ってきた。

 黒馬に乗ってやってきたラフシャーンは、通りの木箱を台代わりにして手を振ってきたラズワルドの姿を見ると、馬からひらりと降りて平伏した。


「もう少しこっちにこい。よその家の前で平伏するな」


 礼儀としては正しいのだが、近所には迷惑だと近づくよう声を掛け、馬を馴染みのカーヴェーとバームダードに任せ、信仰心の篤い勇者ラフシャーンを下宿に押し込んだ。


メルカルト神に忠実なハミルカル僕にございます」


 跪拝するラフシャーンと、慣れたラズワルド。ラフシャーンからの挨拶を一通り聞き、あとはいつも通りに、話をねだった。


「公柱に語れるような話はなにも」

「戦場での面白い話。なければ、ファルジャードが何してるかでもいい」


 ラズワルドとしてはファルジャードが鍛錬所で何をしているかを知りたければ、ことができるので語って貰う必要はない。これは全てセリームの為である。


「わたくしめは、まだ初陣を済ませておりませぬので、ここはファルジャードのことを」

「え……もう戦場に十回くらい行って、百くらい首上げてそうな雰囲気なのに、まだなのか」

「公柱のご期待に添えず、申し訳御座いませぬ」

「いやいや、いいんだ。いつ初陣するんだ」

「近々、アルデシール殿下と共にアンチオキア方面に向かう予定でございます」

「そうなのか。じゃあ帰ってきたら、戦場での武勇を聞かせてくれ」


 ただ執拗に話を聞いてもおかしいので、ある程度のところでラズワルドは切り上げ、


「ラフシャーンはかなり強いとファルジャードから聞いた」

「わたくしめなどは、まだまだにございます」

「上には上がいるだろうが、わたしの奴隷に少し稽古をつけてやってくれないか」


 ラズワルドは額に「メフラーブの娘で神の子でもあるラズワルドの奴隷ハーフェズ」と自らメヘンディを施したハーフェズの頭を叩きながら、ラフシャーンに依頼した。

 ラフシャーンはもちろん断らず、ハーフェズは自宅に戻り稽古用の棒を数本抱えて戻って来る。

 自宅の前で棒を構え、ラフシャーンとハーフェズは向かい合い ―― ハーフェズは負けた。

 九歳も年上で、体格といい経験といいハーフェズの勝てる相手ではない。

 手の甲に食らったラフシャーンの一撃で剣代わりの棒を取り落としたハーフェズは、座り込んで大声を上げて泣き出した


「うわーん! うえーん! うわーん!」

「な、泣くな、ハーフェズ」


 慌てふためくラフシャーンと、何時ものことだと笑って見ている近所の人たち。


「気にしなくて良い、ラフシャーン。おーい、バームダード。折角だからお前も稽古つけてもらったらどうだ?」


 ラズワルドは大泣きしているハーフェズの頭を撫でながら、騎士の家系に生まれ騎士を目指しているラズワルドの二つ年上の少年に声を掛けた。

 バームダードの他に、カーヴェーも棒で稽古をつけてもらい ―― どちらもラフシャーンにはかすりもしなかった。

 そしてそろそろ夕食時になったので、ラズワルドは抱きついて離れないハーフェズと共に家へと戻った。


「気にするなラフシャーン。ハーフェズはよく泣く子だ」


 最近マリートに料理を習っているセリームが作った、ひよこ豆と野菜と米を煮込み、ヨーグルトを加えて沸騰させ、器に盛ったあとミントとセイボリーを散らしたスープと、茹でた人参を潰し、溶いた卵とサフランと混ぜて焼いた卵焼きが、ラフシャーンとファルジャードの前に並べられた。


「大声で泣かれてびっくりしてしまった。おお、このアーシュマーストゥヨーグルトのスープは美味いな。御主が作ったのか。これは美味い」

「セリームの料理は、公柱のところで料理を作っているマリートの味だからな。公柱はこのマリートの料理が大好きでな。そしてこれが旨くて飽きがこない」


 スープを口に運ぶと広がる清涼感と、人参の甘みを感じる卵焼き。違いの味がさらに食欲を引き立てる。

 ファルジャードに「体の大きな男だ」と聞いていたセリームは、自分としてはかなり多目に料理を用意したつもりだったが、空になった器を見て足りなかったと後悔した。


「邪魔するぞ」


 皿が空になったのをまるで見計らったかのように、古びた木戸を叩く音が響き、許可が出る前に扉が開かれた。


「ラズワルド公」

「さっきは驚かせたな」


 ラズワルドは屈み、地面においていた酒器を持ち上げる。セリームが駆け寄って、それを受け取り扉を閉めた。


「先ほどとは?」

「ハーフェズが泣き出したことだ」

「怪我をさせてしまいましたでしょうか?」

「怪我は負ってない。ただ感謝しにきただけだ。そしてこれは感謝を表すために持ってきた酒だ。セリーム、注いでくれ」


 セリムは頷き、陶器の酒器から素っ気ない木の器に酒を注ぐ。

 中身は葡萄酒で、芳醇な葡萄の香りが室内を満たした。


「感謝でございますか?」

「そうだ。ハーフェズはこの界隈では泣き虫として知られている。実際泣き虫だが、先ほど泣いたのは、今まで泣いたのとは違う。あれはお前に負けて悔しくて泣いたのだ」


 ハーフェズはそれはそれは泣き虫だが、いままで泣いた理由に「悔しい」というものはなかった。


「ハーフェズはあれでも、いままで人間相手には負けたことがなかったんだ。もちろん勝ったこともないが、相手を勝たせたこともない。ハーフェズが負けた相手は、いつも神の子だった。だから同じ人間相手に負けたのが、悔しかったとのことだ。目を腫らして鼻声ながら、明日から立派な武装神官になるために特訓すると言い出した。特訓するのがいいことなのかどうかまでは、わたしには分からないが……まあそういう訳だ。ハーフェズのやる気を出してくれて感謝している。そのお礼だ。連れてきてくれてありがとうな、ファルジャード。そして偶に来て、勝負してやってくれラフシャーン。負ける必要はないぞ、大いに負かしてやってくれ。じゃあな」


 ラズワルドは言いたいことを言い、下宿を出ていった。

 ラフシャーンはセリームから器を受け取り、神への感謝を述べてからファルジャードと乾杯し葡萄酒に口を付ける。


「……」

「……」

「美酒だな」

「そうだな……おそらくこれは、シラーズの葡萄酒だな。殿下の宴で何度か口にしたことがある」


 ペルセア王国の都市の一つであるシラーズは、ナュスファハーンから南に300kmほどのところにあり、葡萄酒が初めて作られた場所で名産でもあった。


「シラーズの葡萄酒……そこらで売っていたか?」

「もしかして献上品」

「もしかしなくても献上品だろうな……」


 どうしたものかと思った二人だが、あまりの旨さに止めるということができず、ファルジャードはセリームをも巻き込み、酒器はすぐに空になった。

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