ハーフェズ、主のもとへ
ラズワルドがメフラーブの娘になって四日目、馬車で乗り付けた人物がいた。
「迷惑をかけた」
ペルセア一の奴隷商ゴフラーブ。大陸行路一の奴隷商人と言われる彼の元には、たくさんの
また彼は非常に信心深い男であった。人間は欺いてもいいいが、神は欺いてはいけないが彼の信条。
神殿とは良い関係を築き、手堅く誠実な商売をする。そうして彼は一代でペルセア一の奴隷商人となった。
そんな大商人ゴフラーブの謝罪にやってきた理由だが、魔払香の主成分である
それを聞いたゴフラーブは激怒した。
そんな外道を働いたものが自分の店で働いているなどと怒り狂いはしたが、一流の商人である彼は、どのようにしてこの事件が明らかになったのかを詳しく、そして素早く調べ ―― 罪を曝いた切欠が、
メルカルトの娘の養父に嫌疑がかかってしまったと知った彼は、謝罪すべく必要なものを持参してメフラーブの元へ謝罪に訪れたのだ。
「こいつはナスリーン。子供はナスリーンの子。こっちはマリート」
ナスリーンという乳母とその息子をラズワルドに献上した。
ナスリーンは容姿はああまあ美しい娘。目を奪われるような美女ではないのだが、そこらの美女奴隷よりもずっと人に好かれる娘であった。
その生まれ持ったまろやかな雰囲気と人に好かれる笑顔、まっすぐで優しい性格をゴフラーブは見込んで、子どもの頃から手間をかけて育てた高級奴隷である。
ゴフラーブの見込み通りナスリーンは、王都に外交使節団の公使として滞在していた、異国の高級軍人を射止め、その男の愛妾となり子を身籠もった。
公使は任務を終え帰国することになりゴフラーブの元にナスリーンを返した。
公使はナスリーンを非常に気に入り、生まれて来る我が子に関しても、とても楽しみにしており、親子の生活費として金貨二百枚をゴフラーブに預ける。
ゴフラーブは公使にナスリーンを大切にするところに売ると約束し、それを実行した。貴族や大金持ちの家に乳母として売るよりも、メルカルトの子の乳母として売ったほうが遙かに良い ―― もっとも今回の事件がなければ、ナスリーンは裕福な商人の家に、乳母として高値で売る予定だったのだが、ゴフラーブの部下キアーラシュが、没薬をかすめるという信仰を踏みにじるようなことをしでかしただけではなく、神の子の養父にその罪をなすりつけた。それを聞いたゴフラーブは、神の子に許しを得るべく、自分が持っている商品の中でもっとも素晴らしく、神の子にとって今もっとも必要なもの献上したのだ。
「ラズワルドの奴隷ってことでいいのか」
世間の噂話にさほど興味のないメフラーブは、ナスリーンが抱いている子供の父親が誰なのかは知らないが、信心深いで有名なゴフラーブが神の子に献上すると言うのだから、高価な奴隷であることは分かった。
「そういうことでお願いする」
「分かった。こっちのマリートって奴隷はなんだ?」
「マリートは家事手伝いさ」
ナスリーン親子は貢ぎ物だが、マリートという中年の女奴隷はゴフラーブのところの奴隷で、メフラーブ家の家事を担当する。
ナスリーンは貴族用に育てられた奴隷で、家事などは教えられてこなかった。ゴフラーブの予定通りに収まっていたとしたら、彼女は家事などせず乳を与え、成長したら優しく子守歌を歌い愛情を注ぐ存在になるはずであった。
よってナスリーンは家事ができない。そしてメフラーブは変わり者 ―― 家事をする者が必要だとゴフラーブは分かっていたので、ゴフラーブ持ちで通いの家事奴隷を派遣することにした。それがマリート。
「この赤ん坊の名前は?」
ゴフラーブは公使が持たせた金も、貴族しか使えない金貨から銀貨に両替し満額渡した。両替手数料はもちろんゴフラーブが持った。ナスリーンと子供の献上に金貨の両替、手伝いの派遣とゴフラーブは大赤字なのだが、彼はそれを差し引いても「これが正しい」と判断した。
「それはあんたが付けてくださいな、メフラーブ。これで許してくださいな、ラズワルド公」
ゴフラーブはラズワルドに頭を下げた。
その脇でメフラーブは、ナスリーンの腕の中の赤子をまじまじと眺める。母親譲りのくすんだ金髪と、父親譲りと思われるサータヴァーハナの褐色の肌を持った男の子。眠っているので目の色は分からない ―― この頃は目蓋を開けばそこには緑がかった黄色の瞳があった。この赤子こそがアルデシール三世の十二将が一人、瑠璃の騎士と歌われ、英雄王譚では必ず二番目に名が挙げられる、大厄災ラーミンを討ち取ったハーフェズである。
「メフラーブ殿、お尋ねしたいことが」
乳母となる奴隷の着替えや、乳兄弟となる奴隷の産着などを運んでいたゴフラーブの御者は、部屋の床に木札が散らばっていることに気付き一つ手に取る。そこには塾生募集と書かれていた。まだ詳細は記されていなかったが、御者の彼はそれを持ったまま部屋を出た。
この頃メフラーブは塾生十人、二時間で銅貨五枚の教室を一日一回しか行っていなかった。彼一人が生活するにはそれで充分で、残りの時間は錬金術の研究にあてていた。
だが子供を養うとなると、生活は出来るが心元ないので、教室を増やすことにした。
「この木札は作成途中だ」
説明を聞いた御者は、ここに通いたいと言い出した。
「ゴフラーブさま、こちらの教室に通ってもよろしいでしょうか?」
ゴフラーブは少し考え、使用人を通わせることにより、間接的にラズワルドに寄進できると考えて許可を出す。
「明日からよろしくお願いいたします」
メフラーブはあまり気にならなかったが、御者の若者は顔だちが非常に整っていた。艶やかな黒髪に、すっと通った鼻筋。切れ長の目に、濡れたような輝きを持つ黒い瞳 ――
この若者の名はアルサラン。アルデシール三世の十二将の一人として数えられることもある黒獅子アルサランであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
メフラーブにあらぬ疑いをかけ、逮捕しようとしたメルカルト神殿に所属する武装神官。
汚職を働いた武装神官から、メフラーブに対して直接の謝罪はなかった。
謝罪をする必要がないと判断したのではなく、彼らは謝罪をする機会を与えられなかった。
メフラーブを捕らえにきた武装神官は、武装神官部隊内では下位に属する ―― そもそも武装神官とは、魔物を屠る能力を持つ者が集められた部隊で、その屠る能力の強弱で上位下位が分けられる。
下位武装神官とは武器を持ち魔物を直接傷つけて倒す者を指す。屠る能力により下位の中で序列はあるが、決して上位武装神官となることはない。
上位武装神官は武器を介さず魔物を屠ることが出来る者のみが就ける地位で、その能力を持っているのは神の子のみ。
もっとも神の子であっても、魔物を屠る能力は全員所持しているわけではなく、持ち得ていない者もいる。
神の子たちは神殿や王宮のみならず、国内全土においても彼らは信仰と尊敬と畏怖という大きな力を所持しており、武装神官内でも強大な権限を所持している。
その上位者たる神の子たちが下位武装神官たちに「妹とその養父に対する」謝罪を許可しなかった。
「以上になります」
説明をしているのはモラード。彼は神の子ではないが、武装神官団の団長を務めている中年の男性。
「そうですか、モラード。他に報告は」
彼から報告を受けているのはファリドという神の息子。モラードの半分にも満たない年齢だが、神殿においても武装神官団においても彼のほうが尊ばれる。彼はモラードよりも数段高い場所に据え付けられた、青色の寝椅子に横になりながら報告を聞いていた。
「ありませぬ。ファリド公」
「アルダヴァーンは、モラードになにか話すことはあるか?」
「ない」
アルダヴァーンはファリドと同じ場所に、同じように据え付けられた寝椅子にクッション。それにアルダヴァーンは体を預け横になりながら話し掛ける。
「このようなことが起きないよう、注意を払ってください、モラード」
「肝に銘じております、ファリド公」
モラードは青大理石の床に額が付きかけるほど頭を下げる。
「これから会合があるのでな。下がっていただけるかな、モラード」
「お会いいただき、ありがとうございました。失礼いたします、ファリド公、アルダヴァーン公」
武装神官団団長が去ると、ファリドとアルダヴァーンの二人はすぐに長椅子から身を起こし謁見の間を後にする。
彼らが今居るのは、王都にある神殿の中心部にある神の子の住居で、総青大理石で造られている。
透かし彫りされた壁に囲まれた廊下を無言のまま肩を並べて歩く。幾何学模様が施された扉の前へと到着すると、青い服を着た衛兵が頭を下げて扉を開けた。
室内も廊下同様の総青大理石。六角形の部屋で天井が高く六メートルほどもある。
上部一メートルほどには、先ほどの廊下同様の透かし彫りが施されており、ドーム型の天井は入り口扉同様に細密な幾何学模様が金で描かれている。
中心にはメダリオンが目を引く絨毯が敷かれ、菓子に薔薇水、酒などが準備されており、絨毯の回りには薫絹国製の上質な絹で造られたクッションが置かれいた。
「集まったようだな、オルキデフ」
オルキデフは今年四十歳になる神の娘。王都にいる神の子のなかでは、神の息子マーカーンと同い年で最年長。
「貴方たちが最後です、ファリド、アルダヴァーン」
まだ十歳に満たない神の子と、王付きの神の子以外全員が集まり、ラズワルドの養父メフラーブと、どのように交流を持つかについて話し合う。
「武装神官として俺が謝罪に行く」
実際に事件を起こした武装神官には罰として謝罪はさせなかったが、それはメフラーブに関係のないことなので、別の責任ある地位に就いている者が謝罪に行く。その一人が神の息子で武装神官を務めているアルダヴァーン。
「わたしも行こうと思うのだが」
「マーカーンと俺とで行く」
「そうか。まあこんな若造よりも、ある程度の年齢の者が足を運んだほうが、説得力があるか」
ファリドはまだ十五歳の若者。
ペルセアでは十歳になれば酒を飲むことは出来るが、成人は十八を過ぎてから。責任あると言われるのは二十歳を超える必要がある。そういった面で彼は若すぎた。
また彼はペルセア王国に五名しかいない諸侯王の次男として生まれ、隣の神聖都市から神官を招いて育てられ、十歳で神殿にやってきた時には、王者の風格と神の子の神聖さを持ち合わせ、神の子としても人の子としても才能があり、さらに容姿端麗。その能力から二年もしないうちに神の子たちを統括する立場に就いている。神の子に謝罪されるだけで一般人は恐れ多いことと拒否する。その中でも特に優れている彼が謝罪にむかえばどうなるか?
謝罪が謝罪にならないのは、火を見るより明らかであった。
ならばアルダヴァーンは謝罪向きな育ちなのか? となると、これもまた難しい話である。
そもそも神の子は、地上に産まれた時から恵まれている ―― 貧困とは無縁のところに生まれつくので、ほとんどが貴族の子女として生まれる。
アルダヴァーンはファリドの父親が収める領地の隣に位置する、神聖都市の長たる神官長の息子として生まれ、育てられたため、ファリドと同様に謝罪には向いていない。唯一彼がファリドと違うのは、彼より八歳年上なため、見た目が大人なので謝罪に赴いても違和感が少ない ―― 額を覆うメルカルト文様を持つ神の息子な時点で、違和感を払拭することは不可能なのだが。
謝罪についての決定事項報告が終わると、両脇に座っているホスローとシアーマクがファリドの杯に蜂蜜酒を注ぎ彼の前に置き、羊肉の団子が入った石榴スープの大皿から、小皿に取り分け匙と共に手渡す。
普段は召使いや給仕がする仕事だが、今回は人払いをしているので、自分で取ったり、取ってあげたりと、楽しくやり取りをしながら過ごしていた。
「謝罪はわたしとアルダヴァーンが。ヤーシャールには、ラズワルドの自宅にしばらく通って欲しい。幸いラズワルドの養父メフラーブ殿は私塾を開いている。そこに通ってくれ」
鶏肉の香草焼きとハーブをナンに挟んで、いざ口に運ぼうとしていたヤーシャールはいきなりマーカーンに声を掛けられて、運んでいたナンを下ろして彼を見つめる。
「監視かなにかですか?」
ヤーシャールははこの場にいる神の子の中で、二番目に若い十一歳。ペルセアでもっとも有名な武門の、本家に近い分家の生まれの少年である。
「事件が事件なので、少しばかり注意を払うことにした」
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