さようなら! 惑う心と散り行く命!【1】
とある日曜日の午後。
真昼は県内でも比較的有名で、大きな商業施設へと一人繰り出していた。目的は裁縫に用いる布を仕入れること。使い慣れたものであれば近所にも売っているのだが、品揃えでは比べ物にならない。また今日は新しいものに触れてみたい気分だった。
しかしながら夕や夜兎、ましてや母親と一緒ではない日常は非常に珍しい。真昼は一つの世界の趨勢を担う存在なのだから、彼を守るものが傍にいても可笑しくはない。が、ずっと誰かが近くにいるのも精神衛生上負担があった。
まあ、夜兎の使いがどこかで見てるんだろうけど。
自身の立場は理解している。
どれだけ強くなろうとも、自分はもう孤独でいることは不可能なのだろう。夜兎から説明を受けた日から少しだけ気を回してみたが確かに見られているという感覚はある。勿論、トイレやお風呂等のプライベートな時間は保証されているのだろうが、言ってみればたったそれだけ。それ以外は監視付きと考えると、とても気分の良い話ではない。
でも、夜兎と出会った時からこの状況が続いていたならさして悩む問題じゃないのかも。今は他にもっと気にするところがあるし。
モヤモヤとした気持ちに一旦決着をつけエスカレーターで上る。
そして手芸用品専門店の生地コーナーに入り浸り、幾つか気に入った布を購入すると、ホクホクとした気分のままフロアを後にした。近頃訓練と精器回収に明け暮れていた真昼には、ストレス解消になるとても幸せな時間だった。
「この服可愛いかも」
ふと女性向けのアパレルショップの前で止まり、ガラスの壁に囲まれたマネキンへと視線を向ける。
女体化してから早半月の時間が流れ、学校にも通えるようになり女としての生活にも慣れてきていた。周囲には表向きは後天性難病ということを伝えているが、平然と受け入れられた時は真昼も戸惑いを隠せなかった。どうやら周りにとっては真昼が男だろうが女だろうがさして変わらないらしい。本人が最も気にしていることだけに、現実は非情だ。
「ボクに似合うかな」
喧騒に掻き消される程度の声量で呟く。
少し前までは女性向けの衣服に興味が湧かなかった。小宵が無理に着せてくることはあっても、自分で着たいと思ったことは一度もない。だが今はほんの僅かではあるものの興味はあった。
魂は体に引きずられるのだろうか、と考えたところで値札が目に入る。真昼に馴染みがある世界とは遥かにかけ離れた金額に衝撃が走った。
たっかっ!!
え、え、え! こんなに高いの!?
一桁下の領域で生きている彼にしてみれば未知の価格だ。魅力溢れるデザインであるが現実を知ってしまった今、自分に似合うかどうかの思いは時空の彼方へと飛んでしまっていた。
「どうしたんですか、真昼先輩?」
「いや、この服の値段高さにあまりに驚いて」
「あー、このブランド今巷で流行ってますもん。学生のアタシ達にはかなり無理しないと手が出ないですね」
「そうだよね――って!?」
頭に電流が走り、慌てて左を見る。
慣れ親しんだ自然な会話に反応が遅れたが、話し掛けてきた少女はまさしく真昼の幼馴染の一人である朝美だった。
「アサミ、どうしてここに……?」
一歩離れ、胸のアクセサリーへと手を伸ばす。
「う~ん、どうしてと言われると、『今度こそ真昼先輩を勧誘しにきた』という他ないですね」
「勧誘? 誘拐じゃなくて?」
「そうとも言います」
小さく笑いながら少女が言う。
駄目だ、話になっているようでなってない。アサミは昔から人の話を聞かないところがあったが何時にも増して顕著だ。
とは言えアサミと戦いたくはないし、こうなったら監視が救援を呼んでくれることを信じて時間を稼ごう。
「ボクと別れてからどうしてたの?」
「色々ありましたよ。人前では言えないようなことが一杯。それはそうと真昼先輩」
「…………」
急に重くなった空気を前に何時でも変身出来るように心の準備をする。
しかしながら、彼女から出た提案は真昼の想像の遥か斜めにぶっ飛んでいた。
「折角なので立ち話もなんですし、スイーツでも食べながら話しません? 近くにパンケーキの美味しいお店があるんですよ」
「え?」
「だから、パンケーキ食べに行きましょうよ。真昼先輩も甘いもの好きじゃないですか」
両肩を捕まれ前後に揺らされる。外野から見れば友達、或いは姉妹の何でもない絡みに見えるだろう。
だが当人にとっては深刻な事態だ。唐突に押し寄せてきた少し前の日常に真昼の心は激しく揺れていた。
真昼は朝美を否定した。そして朝美は実力行使で応え失敗した。それは紛れもない事実だ。
真昼とて戻れるなら仲の良かった昔の関係に戻りたい。そのためならば、罠かもしれない彼女の誘いに乗るのはそこまで悪いものでもないと、彼は判断した。
「分かった、分かったから! 行くから揺らさないで!」
「やったー」
無邪気に喜ぶ朝美。片側だけ結ばれた髪がぴょこぴょこと跳ねる度に彼女と敵対したことを忘れそうになった。
「じゃあ行きましょう先輩!」
「ちょ、ちょっとアサミぃ!」
半ば連行されるように強引に腕を引っ張られていく。しかし朝美は彼の抵抗が少なくなると、徐々に隣へと並んできた。
男性の中で前から数えた方が早い真昼よりも小柄な彼女は、真昼と並ぶと丁度良いバランスだ。幸せそうに体を寄せる朝美に対して、真昼は羞恥心に悶えていたが。
「きょ、距離が近いよアサミ……」
「そうですか。女の子同士はこれぐらいが普通ですよ」
「本当にぃ?」
「本当です!」
強気な笑顔に圧倒され、喉元まで込み上げた音は言の葉へと変わる前に散っていく。
久しぶりに会う幼馴染の雰囲気に気を取られ、最も大切なことに真昼は気付かなかった。女であることを否定しなかった自分を。
「ここです! ここに来たかったんですよ、先輩!」
嬉しそうにまたぴょんぴょんと跳ねる後輩。ここまで素をさらけ出されると自然と心が温かくなった。
彼女が行きたがっていた喫茶店は和風な外観で、付近がビルだらけだけあって異色の存在のように見えた。しかし繁華街ということもあって人の入りは相当だ。
「いらっしゃいませー。何名様でしょうか」
「二人です!」
「承知致しましたー。ご案内致します」
四人組のグループと入れ替わりにドアをくぐると、テンポ良くテーブルへと案内される。店内の混み具合からいってどうやら運が良かったらしい。
わぁ、落ち着いた店内。こういうの好きだなぁ。
派手な装飾は一切なく、色彩も白をベースに組み立てているせいか大人な空間に見える。空きスペースにはコーヒー豆を入れた瓶を置くことで喫茶店らしさが滲み出ていた。清掃が行き届いているのも評価が高いポイントだ。
「良いお店だね」
「はい! これなら料理も期待出来そうです!」
テーブルにつき二人でメニュー表に目を通す。チェーン店とは違って品数は少なめだった。
「真昼先輩は何にします?」
「ボクはこのパンケーキのストロベリーソースにしようかな」
「あー! アタシもそれ気になってます! でもチョコレートソースも気になってて、あ、でもプレーンも良いかも」
「写真を見る限りソースは別容器みたいだし、プレーンよりもチョコレートソースの方が良いんじゃない? ソースは互いのをシェアすればいいよ」
「お~、さっすが真昼先輩! じゃあそうします!」
すっかりテンションが上がっている朝美を微笑ましく思いながら店員を呼び注文を伝える。女性店員が去ると、対面の少女はテーブル隅に置かれていたコップとピッチャーを使い真昼にお冷を差し出してきた。
「はい、真昼先輩」
「ありがとう」
感謝を伝え、コップの水を口に含む。
意外と喉が渇いていたのか、冷たい水は全身に染み渡るような美味しさだった。
「ところで真昼先輩?」
「ん?」
「これってデートですよね?」
「ブッ!?」
『デート』という単語の衝撃に脳を揺さぶられ水を溢してしまう。
いきなり何言い出すんだこいつは!
「ち、違うよ! 今までにもこんなこと沢山あったでしょ!」
全力で否定する真昼。
「えー、アタシ達もう良い歳じゃないですかぁ。そこのところ彼女としてはハッキリさせときたいというか」
「何時からボクはアサミの彼氏になったのさ!」
「出会った時からですか?」
「知らないよ! 記憶を捏造しないで!」
「酷いです、先輩! 一度は愛し合った仲じゃないですかぁ!」
「完全にアサミの妄想だよね!」
「真昼先輩が私のものになると思ったのに……よよよ」
「短剣振り回して脅迫してきた時のことを良い思い出みたいに言わないで!」
真昼の突っ込みにケラケラと笑う朝美。
おちょくられているとは分かっているものの、別段悪い気はしなかった。
「ところで真昼先輩」
「何?」
「真昼先輩はアタシと一緒に居たくないですか?」
急に踏み込んだ質問が飛んでくる。
しかしながら真昼は特に焦るでもなく淡々と答えた。
「居たいよ。だってアサミもボクの大事な人だし」
「――――!?」
急にアサミが押し黙る。
「それはズルいですよ、もう……」
「ん? ごめん、聞こえなかった」
「何でもないです!」
静かになったと思えば直ぐに勢いが戻った。
あまりの緩急の差にほんの少しだけ辟易としてしまったが、こういうところも朝美の一部なのだろうと考えるとつい笑みが零れた。
不思議だ。
さっきまではアサミのことを敵としか見れなかったのに今は違う。少し前のボク等に戻っているような気がする。
ボクは……、今の関係が好きだ。今の関係でいたい。
「あの、アサミ――」
「お待たせ致しました。『星のパンケーキ』のストロベリーソースとチョコレートソースでございます。ご注文は以上で宜しかったでしょうか」
「ぁ。あー、はい」
「ではごゆっくりどうぞ」
真昼の想いは搔き消され、変わりに二つの皿がテーブルに並ぶ。
ふっくらとしつつ見ているだけで幸せになれそうな星形のパンケーキ。フルーツもこれでもかと散りばめられており、甘味好きにとっては堪らない一品であることこの上ないビジュアルをしていた。
「わー、美味しそうですね!」
パシャリとスマホで写真を撮ってから、朝美は両手を合わせた。
真昼も続いて手を合わせる。
「いただきます」「いただきます!」
左手のフォークで抑えながら、右手に持ったナイフでパンケーキへ刃を入れる。一口サイズになったふわふわなケーキを口の中へと持っていくと、世界が一瞬で幸せに染まった。
口いっぱいに広がる優しい味。主張が激しすぎないバターの香りが単調になりがちな味を高め、表面に僅かに掛かった粉砂糖が飽きがこない領域へと導いていた。また、何とも言えない触感によって口腔内に幸福が満ちていた。
果物と同時に食べるとまた違う幸せがやってくる。ストロベリーソースと苺とケーキを同時に含んだときは意識が飛びそうになった。朝美と交換したチョコレートソースも主役を引き立てる甘過ぎない方向性がとても良かった。
「美味しかったですね、真昼先輩」
空になった皿を前に、朝美が向日葵のような満開の笑顔で言う。どうやらかなりご満悦のようだ。
「うん、凄く良かった。紹介してくれてありがとう、アサミ」
真昼はお冷を一口飲み応える。
「いえいえ、アタシも真昼先輩と来れて嬉しかったですから」
「そっか。ボクもこうやってまたアサミと話せて嬉しかったよ」
「先輩……」
朝美の表情が更に明るくなる。ただ、真昼の目には一瞬だけ曇ったような気がした。
「……とても残念です、真昼先輩。出来ることならずっと、こうしていたかった……」
「アサミ……?」
少女は鞄から財布を取り出し、注文した値段分のお金を机の脇に静かに置いた。それも真昼のを含めて。
「アサミ?」
真昼の問い掛けに少女は応えなかった。
代わりに彼女は少年の頬に触れると一度微笑んだ後、少年と共に世界から消えた。
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