第7話

「はあ!?なんじゃとう!?」


「だぁかぁらぁ、この子を暫くこの村に置くって言ってんの!」


「村に置くう!?何をじゃあ!?」


「この子って言ってんでしょうがっクソ爺ぃい!!」


 この遣り取りを五往復させた所で、奈津は我慢の限界に達した。汚い言葉を付け加えて大声を出す。

 耳の穴に指を突っ込む久野はそんな彼女を横からなだめる。

 二人の前に座る阿夜は事の成り行きがわからないのか、小首を傾げてきょとんとしていた。


 三者は今、朝食の時に話し合った通りに、阿夜の滞在を報せるべく村長の家を訪れていた。

 許可を貰うではなくただの報せであるのは、村長の人柄をよく知っているからこその信頼だろう。実際、それに則りこの場の雰囲気といえば、妙な蟠りもなくとても和やかだった。……奈津に関しては、些か頭に血が上っているようだが。


「――ほっほっほ。相も変わらず元気じゃのう。奈津をからかうのは楽しくてかなわん。怒った顔が達磨の様で……ぷぷぷっ」


「――こんのっ!」


 耳を向けて今まで何度も聞き返していた老人はそう抜かす。その言葉を聞いて、やはり聞こえていたか、とついに立ち上がる奈津。間髪入れずに久野も立ち上がり、詰め寄ろうとする彼女を慣れた手つきで羽交い締めにした。


 奈津と村長の仲は悪いという訳ではない。久野と同じく子供の頃に世話になっていた為、言ってみれば親も同然の関係性だ。

 しかし村長の奈津に対する扱いはいつもからかいである為に、短気な彼女は毎度このように怒りで身を燃やさねばならない。喧嘩する程仲が良いとは言うが、奈津はこのじじいのこういった所が大嫌いでならなかった。


 とはいえ、楽しい時はお互い本気で笑い合えたりもする。やはり繋がりとして考えれば、仲は良いのだろう。

 じたばたともがく奈津と呆れた面持ちで抑える久野、二人を背景に、村長は話題の張本人へ視線を向けた。


「阿夜殿と言ったか。何も心配はいらん。ここの住人はこの二人同様に優しいでな、いくらでも甘えてえぇよ」


「はい。誠に感謝致します。暫しの間、お世話にならせて頂きます」


 阿夜は今朝と同じく深々と頭を下げた。それに伴い、気が付いた二人は争う事を止める。


「……じゃがな、阿夜殿よ。一つだけ条件がある」


「条件?」


 うむ、と口が髭で隠れた老人は深刻そうに頷く。目尻が垂れて眠っている様に見える糸目、眼は見えないのだが、確かに存在する視線は阿夜を貫く。


 村長が低くドスの付いた声を出した瞬間、場の空気が徐々にぴりぴりと張り詰めてきた。先程までの悪戯好きな一面とは打って変わり、真剣な雰囲気でこの空間を支配する。その威圧からは例えようのない凄みを感じ取れた。初めて見た久野と奈津は思わず息を呑む。


 普段は見せない、村の長たる威厳。


 その者が口を開いた瞬間、


「そのふくよかな胸を触らせてくれんかのぉ。奈津のまな板と比べて見ているとなんというか、こう……ぐふっ」


「クソ爺ぃぃい――!!」


 奈津が怒り狂った。


 こればっかりは久野も同じだったらしく、暴れ回る栗毛の野獣を心置きなく解放。


「ま、待てい! 拳はやめるのじゃ!」


「あんたって人は……っ。そんなんでも一応は村長でしょう!? 偶には真面目になったらどうなのよ!」


「何を言うか。ワシは毎日を真面目に生きておる。阿夜殿の胸を触りたいというのも真剣に真摯に考えてじゃな――」


「考え所が曲がってんのよ! て言うより尚更たち悪いわっ!」


 奈津の拳骨は容赦なく村長の毛の無い頭を狙う。

 それを村長は、殴られる寸前で猫の如く身を翻して躱した。糸目で奈津を見つめて、にやりと嘲笑う。

 腰の曲がった高齢者とは思えない身のこなし。日々を女の尻を追いかけるのに費やして身に付けたと言われる残念な賜物。忍びの名を冠しても恥じないその挙動は奈津を翻弄し、まな板という非難で更に煽る。


「まな板言うなあああ!!」


 力任せに腕を振るう。そして空振る。

 次いではしたなく腿を出しての蹴り。

 そして空振る。


「ふむ。足は綺麗なんじゃがなぁ……。まな板が惜しいのぅ」


「ふっぎぃぃぃいい!!!」


 猿みたいに叫んで奈津は激怒する。攻撃が当たらない事よりも、自分が気にしてる事をつつかれる方がとても腹立たしかった。

 ここまで来ると流石に分が悪いと思ったのか、村長は家の中から外へと場所を移動した。追いかける野獣は戸をぶち壊し、まな板言うな、と叫びながら走って行く。


 …………遠ざかっていくその声がやがて完全に聞こえなくなると、嘘のような静けさが人と鬼の間に残る。久野はいつものため息を吐く。やはりこうなったか、と。


「久野様」


「あ、はい。何ですか?」


「ワタクシは胸を村長様に触って頂くまで、ここに留まった方が宜しいのでしょうか?」


「いえ、今すぐ出ましょう」


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