其の十九 百億里眼――、攻略本がないとクリアできないRPGなんて、やらない方がいい


「――私のことを探していたってことは、自己紹介はいらないカモしれないケド……、アタシは『御子柴あや芽』っていうの。……残念ながら、人に誇れるような特徴はなんにもないケドね~」


 アハハと爛漫に笑う先輩に向かって、ジトッとした目つきの双葉が低く鋭い声を上げた。


「……学期末試験の成績と、授業欠席日数が共にトップという……、ちぐはぐなスペックを持つ先輩は、充分に個性的なお人だと思われますが」

 ――えっ、そうなの?


 私はぎょっと目を丸くしながら双葉の方を見やり、先輩が身体を斜め四十五度に曲げながらニヤッと笑う。


「……へぇ~っ、よく知ってるねぇ。……授業はキライなんだけど、なんかテストの問題解くのは得意なんだ!」


 草野球の腕前を自慢する小学生みたいに、屈託なく笑う先輩はとにかく無邪気だった。聞く人によっては自慢としか捉えられないような発言だったが、先輩が言うと何故か嫌味っぽく聞こえない。


 ――確かにヘンな人だけど、悪い人では、なさそう、かな……

 ほんの数分のやり取りだったが、なんとなく御子柴先輩の人となりを把握した私は、全身に巻きつかれていた緊張の糸がスッと解かれるのを感じて――


「――で、シヨウの何を聞きたいのカナ?」

 ――再びギュっと、きつく縛られた。



「えっ!?」


 目をまん丸く見開き、思わず大声をあげたのは『私』で……、そんな私の反応が面白いのか、袖に覆われた掌を口元にあてがっている御子柴先輩が、隠すつもりもない含み笑いを浮かべる。


「――知ってるよ。春風ちゃん、最近シヨウと仲良くしてくれてるっしょ? ……キミ、アイツの『弱点』について、幼馴染のアタシに聞きに来たんじゃないの?」


 ――果たして、『お見通し』。

 学年一の頭脳を持つ御子柴先輩の観察眼はだてじゃなかった。丸裸の心臓を表面からそっと撫でられたような戦慄を覚えた私は、パクパクと淡水魚みたいに口を開閉させているだけで――


「――さすが、話が早いですね……、実は――」


 私の代わりに口を開いたのは『双葉』で――、ハッとなった私は、我が子を守る雌猫のような勢いで、慌てて言葉を奪い取る。


「――と、冬麻先輩が……、なんで『恋愛をしない』と決めているのか、教えて欲しいんですっ!」


 甲高い大声がまっ平な空を貫き、わたがしみたいな雲にぽっかりと穴が空く。袖に覆われた掌を口元にあてがっている御子柴先輩が、あさっての方向に目線を向けながらハァッと呆れたようなタメ息を吐いた。


「……アイツ、まだそんなダサいこと言ってるんだ……」


 ――果たして、『確信』。

 御子柴先輩の反応を見て、私は双葉の仮説――、『冬麻先輩は過去に恋愛でトラウマを持っている』という予想が、限りなく黒に近いグレーで『事実』なんだと直感した。


「と、冬麻先輩……、私が近づくと、なぜか距離を離そうとするんです……、でも、ただ嫌っているって感じでもなくて、そうじゃないなら、何か理由があるのかなって――」


 ――この人なら、御子柴先輩なら、冬麻先輩の『不自然な行動』について何か心当たりがあるのではないかと、私はたぐりよせるように御子柴先輩の目を窺い見た。


 ――果たして、御子柴先輩はなおも明後日の方向に目を向けたまま、何かを考えこんでいるような、何も考えていないような、微妙な表情を浮かべていて――


「――あんまり、気にしなくていいと思うよ?」


 ――チラッとこっちに目を向けたかとおもうと、

 川辺から小石を放り投げるように、

 ポツンとそんなことを言った。


「……えっ?」


 きょとんとした顔で、バカみたいな顔を晒しているのは『私』で――、御子柴先輩が、子供のイタズラをたしなめる母親のような顔つきで、クスッと笑う。


「……恋愛しないとか……、アイツが一人でビビってるだけで……、それって、単にシヨウちゃんが恋愛ってものをなんにもわかっていないだけだから、それを、春風ちゃんが教えてあげればいいんじゃないカナ?」


 フワリと風が吹いて、ボブカット風の黒髪と、薄茶色のポニーテールが揺れる。


 幾ばくかの静寂を経て、私はようやく声の出し方を思い出す。たどたどしく、弱々しい私の声が、精いっぱいに言葉を紡いだ。


「……お、教えるって……、実は私、人を好きになるの、初めてで……、私自身、恋愛ってものが、全然わかってなくて……」

「――そんなら、なおのこといいよっ!」


 ずずいと距離を詰めた御子柴先輩が、私の両肩をガシッと掴む。鼻先十センチメートル――、ビクッと私の身体が揺れて、先輩は爛漫に咲き誇るひまわりみたいな表情をしていた。


「――変にこなれた女に騙されるより、シヨウには春風ちゃんみたいな子と一緒になって欲しいな。恋愛が分からないなら……、二人で答えを探してみればいいじゃんっ」


 無邪気に笑う先輩の声が、私の身体に巻き疲れて糸をぶっつりと切断する。ハラハラと白い線が宙を舞い、口元が勝手に綻んでいくのを感じた。


「二人で……、一緒に――」

 オウムのようにオウム返しをする私を見ながら、御子柴先輩がクスクスと再び笑う。



 ――キーン、コーン、カーン、コーン――

 滑稽な鐘の音が晴天の空へと響き、ひとときの休息に終焉を告げる。

 御子柴先輩が私の肩からスッと手を外し、一言お礼を言おうと私は口を開き始め――


「――あなたは、どうなんですか? 御子柴先輩」



 淡々と、凄惨なニュースを読みつらねるキャスターみたいに――、能面のような無表情の双葉が、そんなことを言った。


「……幼馴染なんですよね? 冬麻先輩と……。ずっと一緒にいて、彼のコトを何もかも知っていて……、あなたは、冬麻先輩のことをどう思っているのですか?」


 フワリと風が吹いて、ボブカット風の黒髪と、線の細いロングヘア―が揺れる。



 ――な、なんでそんなコト……

 唐突な問いかけに動揺しているのは『私』で――、ニヤリと口角を上げている御子柴先輩の顔は相変わらず涼し気だ。双葉がなんでこのタイミングで急にそんなことを聞いたのか、私には皆目見当もつかなかったが――


 だけど、その『疑問』について、どこか心に引っかかっていたのも事実だった。


「――どう、だったかなぁ……」

 あさっての方向に目をやりながら、組んだ両手を頭の後ろに乗せながら――


「……フフッ、忘れちゃったっ」

 チラッとこっちに目を向けた御子柴先輩が、ヘラッとだらしなく笑った。



 幾ばくかの静寂が流れて、ふいに表情を崩したのは双葉だった。


「……先輩とは、いいお友達になれそうです」

「――ホント? 実は、私もそう思ってたんだよね~、チャットアプリのIDでも交換する?」

 ――ニヤニヤと、底の知れない不気味な笑顔が交錯し――、互いに微笑みあう二人を眺めながら、私はひとり、心の中でポツンと呟く。


 ――なに、この、ふたり……



 ……「もうすぐ授業が始まるから」と、珍妙な微笑み合戦に終止符を打ったのは私で――


「――あっ、そうだ」


 ぎぃっと錆びついた鉄の扉を開けやったところで、御子柴先輩が何かを思い出したように声を上げた。


「――このままノーヒントでクエスト進めるの辛いっしょ、アイツが音楽以外で『好き』なモノ……、教えてあげようか?」

「……えっ?」


 ピタリと動きを止め、すぐ後ろを歩いていた双葉の身体がドンッとぶつかったのも気づかずに、私の口からマヌケな声が漏れ出る。袖に覆われた掌を口元にあてた御子柴先輩が、クスッと、相変わらず不気味な笑い声を漏らして――


「――いや、アイツ、『夏』好きじゃん、実はねぇ――」

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