第16話 re(終編)
「今何分?」
長椅子からゆっくりと重い腰を上げて立ち上がり、消え入りそうな声で、そう尋ねる。
「あ、はい、えーと…。」
この時、女子マネージャーはきっとこう思っていることだろう。
"はっきり、喋れよ。ハゲ!"
それでも見当違いの仕草を繰り返す間に、答えを探し求める努力だけはするのだが。
「何分!?」
「67分です!」
「おぉ…67分、ねぇ。」
外れていた焦点が少しずつ定位置に近づいていく。
「…、はっ!」
上空から魂が無事帰還。景気づけに自ら両手で顔面平手打ち。
「まだ、…とれる。」
その声量も囁くほど、小さいものであったが、数十秒前までとは何もかもが違っていた。
「とれる。いける。だって、前半、相手はあれだけプレスだけをかけ続けてきたじゃないか。もう、もつはずがない。なら、きっと。」
「ナイスだ!ナイス!グレイト!」
絶好調のお調子者たちに賛辞を送りながらも、戸辺は息つくことを知らない。ベンチ前のラインマン菅木に肩をかける。
「なぁ。今の、お前だったらどうやって止める?考えとけよ。」
そう言って、右手で左肩を軽く二回たたき、今度はアップをする4人のもとへ。
「出瀬(いづせ)、朝針(あさばり)、江家(こうけ)、久沢(ひさざわ)。この次で、ターンオーバーだ。もう、なんも言わないから、とにかく思い切って楽しんでやってこい!」
ー3分後ー
「とったら、落ち着いて繋げ。盗られたら、守れ!今は、持たれてる。飯田降りてこい!4-4-2でブロックを組むんだ。」
正気を取り戻したスキンヘッドは、攻撃の方針を切り替える。
「夫津木!今一度、よく考えるんだ!攻撃をうけているのは、どっちサイド?なら、その逆は?重心をまた、見つけるんだ!」
"大丈夫だ、しのげる。そしたら一閃"
一方、ピッチでは、伊出のヒールを受けた阿部が右足から地を這うマイナスクロス(縦の進行方向とは反対に進むパス)を入れる。合わせて津上が飛び込む。しかし、すんでのところで千の足がのび、ボールは左へ。そのこぼれ球を寺笛が回収する。それでも、敵は奪いとりに向かってくる。ここで無用なリスクは背負いたくないものだ。逆サイドよりの司馬へと下げる。
「尾樽部さん!」
臼井をとばしてワイドへ送る。守備のスライドは落ち着いていない。空白の前方へ大きく離した。そして、アーリークロス。
「うっわ。」
上手く回転が加わらなかった。高弾道かつ緩いチャンスボールは、キーパーの手元へ。着地。守護神は首を振る。
「秦!」
夫津木は叫びながら、ターゲットマンを見つけた。そして、すかさずパントキック。
「ヤバっ!」
光陰矢の如く放たれた低空飛行物体は、あっという間に尾樽部の背後上空まで迫ってきた。
"よし、来た!これは完全に入る!繋がる!少し、気づくのが遅かったが、もういい。あそこが弱点だ!レフトバックは戻りへの反応が遅い。そして尚且つ秦より低身長。さらに、ざまぁみろCB。奴らだって、うちの右トップが間にいるんだ。不用意に出れないだろ?ジレンマがたまるよな?そうすると、もう必ずミスがでる。これで、一点、二点、三点、四点。そして大勝だ!!"
何人も嘲笑ったボールが右サイドで、遂にエースへと入る。
"来る!"
その時だった。
「オラァ!!」
天空に舞うのは、鉛色の空とあまりに独創的な焦げ色の髪。乗り捨てられた馬は濡れた草原に転がり、芝のつく白球は敵陣まで逆戻り。青年は高々くほえる。
ー「整理するぞ。さっきもいったが、狙われるのは必ずSBだ。特に尾樽部は執拗に。うちとしては、そんなロングボール一発なんかで、一点、二点、三点と決められ勝たれたら、かなわない。だから、シャットアウトするんだ。スライドを使って。」
「…。」
「いや、監督。ブロックが上手く作れていない状況でスライドするんですか?」
「阿部。いい質問だ。確かに、枚数が少ない中で、ディフェンスポジションを変えることは、リスキーに感じるだろう。でも、このいわゆる"カオス"(戦術的決め事での打開が難しい状況)をわざと相手が創り出す最大の目的はなんだ?」
「…。」
「君たちの思考を破壊することだ。そしてそれは、様々な形で君たちを襲うことになる。時には、不安として現れ、また次の時には、焦りとして近づき、最後には、綻びとして君を食い尽くす。そんなの絶対に嫌だろ?だからそのためには、どうしたらいい?司馬。」
「思考を整理する。」
「その通りだ。僕らは思考を整理する必要がある。そのために、ディフェンスポジションを明確化するスライドを使うんだ。ここまでいい?臼井。」
「大丈夫です。」
「オーケィ。そしたら、ボードに注目。まず、尾樽部の裏にボールが出るだろ。そしてトップ下のやつが走ってくる。この時、尾樽部が戻るのはもう間に合わないだろ?だから、臼井。お前が振り向かせる前につめて仕留めろ!」
「オーケィ。了解です。」
「でも、いや、すいません。右トップは、どうするんですか?」
「司馬。その右トップはお前が見るんだ。逆にそうしなければ、臼井が思い切って前にでれないだろ?」
「あ、はい。そうですか。じゃあ
「じゃあ、逆サイド大外は捨てるということでよろしいですね!?」
「阿部。流石だ。ということはもういう必要もないかもしれんが、お前は右CBのように振る舞うんだ。」
「分かってます。」
「オーケィ。でもただ、気をつけろよ。君はボールサイドみるだけでは不十分だ。もう少し体を開いて、ペナルティエリアの綻びは全て監視しなければならないのだから。」
「…。」
「まぁ、いい。じゃあ、とりあえずそれをボール使って確認しよう。少し広がって。いいよ。オーケィ。で、三人でて。…」ー
「は!?」
ボールはタッチラインを割る、
"いや、いや、いや、待て。落ち着け。あいつ、どんだけ跳ぶ…まぁ、そんなことは置いといて。とりあえずマイボールだ。自陣だけど。でもまだ、重心は高い。それに相手だってもう疲れてる。そしたら、必ず、スキは…"
「ピッ!」
笛が鳴る。
「ニ椛!安藤!寺笛!尾樽部!戻ってこい!」
選手交代:弓川ー73分ー
ニ椛→朝針
安藤→出瀬
寺笛→江家
尾樽部→久沢
それぞれがそれぞれと右手を合わせて白線を交わす。そして離散する。
「お疲れ。次も頼むよ。エース。」
副主将を務める9番とハイタッチ。
「お疲れ。いい働きだった。期待してる。」
イカした頑張り屋とハグを交わす。
「グレイト。それ以外言うことない。」
「なら、変えないでください。」
ニタリと笑う小兵の天才と腕をぶつける。
「お疲れ。今日は、その最高の左足に感謝だ。」
「それって、褒めてます?」
アシストを決めたDFに返事を返すことはなく、彼のムラのある頭髪を右手でかきむしる。
"これで、もうシャットアウトだ。"
ー85分ー
"くそ!全然、前よりになんないじゃないか。だからといって、運んでもシュートまでいけない。あの新しく入ってきたやつの守備、硬すぎだろ。爆速だし。ふざけんな!負けてたまるか!!"
「おい、そこ!競り合い負けんなよ。ほら、拾って。」
いつもより変化の激しい攻防に、西洋の選手たちは疲労困憊である。
「おい!おい!おーい!」
いくら外から人が、ただ叫んだってどうしようもない。4-4-2のブロックで守備負担が軽くなった本日絶好調のお調子者は、するすると左サイド中央を突破していく。慌てて左CBが中をしめながら左足を出す。これも伊出は引き裂く。自身の左足の横で右足の裏を通して縦突破。中一枚。ショートで折り返す。これを朝針が崩れながらも右足でしとめる。
3-0
陥落。
ーそして冒頭ー
90プラス3分に伊出の左足からの華麗なゴール。
最終スコア
弓川vs西洋 4-0
県一部リーグ初戦
勝者 アウェイ:私立弓川高校
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