取るに足らない日常の中で

えら呼吸

first.“evolution”

1-1

 ――母さんは人間じゃなかった。


 ――父さんは人間だった。


 ――妹は人間だけど違っていた。


 ――俺、も――


























「――……」


 ゆったりと、甦る様に瞑っていた瞼を開く。少々後味の悪い目覚め。どんな夢だったか覚えてないくせに何故か体が疲れている、そんな塩梅。


 まだ頭の中は微睡んでいて、ここはどこ私は誰の状態。なにがなんだか分からないので、思考が戻るまでこのまま暫く視界の考察とする。

 窓際の席に座る俺の視界に映るのは、同じ講義を受けている大学生達。一人で黙々とノートを取る真面目や、友達とこそこそ喋る不真面目や、俺と同じく腕枕をしてまだ目が覚めない様子の寝不足などなど。――もういいや。わかった。


 身を起こす。変な体勢だったので首が凝ってしまった。ラジオ体操よろしく右へ〜左へ〜回して〜、と大袈裟にほぐしていたら黒板を背にした助教授に睨まれていた。やべ、油断した。

 苦笑いしてすいません、の仕草。苛立った様子で助教授は続きを始める。舌打ちとかここまで聞こえてくるし。俺が言うのもなんだが、大人になろうぜ?


 クスクス――。するとそんな光景がツボにでも入ったのか、小鳥みたいに笑う声が降ってきた。席は階段状に設けられている為、俺は後ろの席を見上げる。ぎゃ、ほぐしたばかりの首が。


「ふふ、目を付けられちゃったね、詩乃しの。あの人、不真面目な学生、特に男子には厳しいって噂だよ。……どしたの?首なんか押さえて」


「……何でもない。後でさすってくれ」


 ん、わかった。とやはり小鳥みたいな可愛らしい声。


 式織真琴しきおりまこと


 俺と同じ専攻を受ける時はいつも真後ろの席に座る奴。大学に来てから知り合って……もう一年経つか。

 首が少し隠れる程度のさらさらショートヘアを靡かせて、中性的な、いかにも育ちの良い感じのする顔立ち。王子とか美少年とかいう言葉が似合った美形の持ち主。シルエットも細くて、モデルとかやってても可笑しくはない。その甘いフェイスから女子の人気は高く、未だに告白してくる子もいる。


 しかし羨ましいなんてこれっぽっちも思わない。

 だって彼女は女である。男の娘というオチを覆す男子にとっての救世主メシアなのだ。


「男には厳しい、か。他にも噂、あるんでない?」


「勿論だよ。詩乃がいま思ってる通りの噂。彼は、気に入った女子と二人っきりになれるように補習とか仕組むらしくてね。だから女子からはかなり嫌われてる。ベタベタ体を触られた子もいるらしいよ」


「やっぱりね。女とは縁の無さそうな顔してるからな。案外、教諭という立場もその為に獲得したのかも」


 かもね、とクスクス小鳥の笑い声。曲げた人差し指で口元を隠す仕草は実に上品である。まあ、実際いいとこのお嬢様な訳だが。


「真琴は大丈夫か?お前なんか一発で気に入られそうだけど」


「ふふ、心配してくれてありがとう、詩乃。幸運にも、あの人の中では僕はまだ男みたい」


 よかった……安堵のため息が出る。真琴の外見が少年寄りで、一人称が僕というのが幸いしたようだ。声質も中性的、どっちにでも傾ける優しげな声ってのもある。


 たしかに、宣言されない限りは誰だって、真琴の事はただの美少年だとしか思わないだろう。服装は女物ではなくお坊ちゃんという感じ、歩き方もエリートマンみたいに礼儀正しく、女性らしい口調は聞いた事がない。


 まさに、美少年。だからこそ、女と知った時の緊張は計り知れない。

 元々のパーツが完璧な為に、美少年はその瞬間から美少女になるわけだ。そのギャップがなんとも言えない感情を沸き立たせ、そこから先の式織真琴の全てが可愛くて見えて仕方なくなる。反転した時の反動はとにかく絶大だ。真面目で近寄りがたい委員長がドジッ子だった……みたいな?


 かくいう俺も知った時は絶句し、頬を染めてしまった。


「ほんと、いい女だな」


「わお、嬉しいね。詩乃もいい男だよ、多分」


 多分とはなんだ、多分とは。いや自信は無いけど。

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