第12話
今世の猶予は一年しかない。
この離宮さえ確保できれば、自由に動けると思っていた。
これまで運命を変えてきたのだから、前の生の様にはいかないと思ってはいたけれど・・・・
「どうしました?クロエ姫」
「・・・いえ。お仕事は宜しいのですか?陛下」
「陛下とはよそよそしい。イサークと呼んでください。私達は家族になるのですから」
「はい・・・・イサーク様・・・・」
一体何なのだろうか・・・・
離宮に来てから十日と数日が経った。
なのにまだ一歩もこの離宮から出る事が出来ないでいた。というのも、皇帝であるイサークがほぼ毎日のようにやって来るのだ。
時間が開いた時に来るようで、先触れは出してくれるがいつ来るかがわからない。
しかも、面会する時間もただ顔を見てすぐに帰る時もあれば今の様にゆったりとお茶を飲んでいく時もあり、かなりまちまちだ。
よって前もって予定を告げておかなければ何処にも行けない状態なのだ。
忙しいなら無理しなくてもいいのに・・・と思うクロエとしては、正に誤算もいいところである。
取り敢えず町に出て職を探し、頃合いを見てこの離宮を離れ他国へ逃げようと思っていたのだが・・・・
今だ逃走を目論むクロエに対し、最近ではケイト一家が少し様子を見てはどうかと言い始めてきた。
クロエ自身も、たった十日と少しとはいえ毎日イサークと顔を会せ言葉を交わしていると、少しずつ恐怖心と言うものは薄らいできた事は確かではある。
が、やはりふとした拍子にあの最後が思い出され、此処で呑気に生活していてもいいのかと焦燥感が募っていくのだ。
だが、今世は二十才まで生きている。イサークも自分との距離を縮めようと努力してくれている。
前とはずいぶんと違う運命を辿っているのだから、もう少し素直になってもいいのでは・・・とも、時折思ってしまうのだ。
特にイサークと顔を会せる度に、前の生の彼にはなかった小さな癖や言葉遣い。容姿も前の彼は髪を長くのばし結い上げていたのに対し、今の彼は短く切り揃え前髪も緩く流している。
そう言う違いを見つける度、この人は私を殺したあの人ではないのだと実感していくのだ。
それはクロエにとってとても大切な事でもあるから。
帝国に嫁いでくる時、祖母のルナティアに「運命は変わったのだから、前の生に捕われては駄目。今度は思うままに生きなさい。大丈夫よ」と言われた。
祖母は三回目の生でようやく自由を手に入れ、クロエが輿入れして間もなく側近達を連れ故郷のシェルーラ国へと旅立って行った。
自分も自由を手に入れたのだろうか?前と同じ帝国へと嫁いできたのに・・・・
何処か物憂げに微笑むクロエに、イサークは席を立ちクロエの前に跪いた。そして、彼女の反応を見ながら恐る恐る彼女の手を取り見上げる。
「姫、私が怖いですか?」
屋敷に通う彼は、最小限の接触しかしてこなかった。それも、何時も探る様にこちらの反応を見ながらだ。
そんな彼の態度に、何故かここ最近どこか寂しさを感じ始めていたクロエ。それはただ恐怖心が薄れてきただけだと思っていたのだが。
怖いわけではないのだがビクンと身体を揺らし戸惑う彼女の反応に、どこか悲し気に微笑むイサークを困惑した様に見つめ返すクロエ。
「私は全て知っています。・・・・・姫が前の人生で私に殺された事を」
その言葉に驚き、思わず身を引く様に立ち上がり椅子が大きな音を立てた。
だがイサークは手を離す事はない。
「・・・・祖母が話したのですか?」
「はい。本当は帝国に・・・私の元に来ることすら
イサークは悲し気に目を伏せたが、すぐにクロエと視線を合わせるその眼差しは、クロエでも分かってしまうほど優しさに溢れていた。
「ですが、姫が嫌がっても私はこの手を離すことが出来なかった。貴女が愛おしくて堪らないのです」
突然の告白に、クロエの顔に熱が上がり、真っ赤に染め上げる。
「怯えた顔ではなく、屈託のない笑顔が見たい。震えるのは恐怖からではなく、喜びに満たされ震えて欲しい。五年前に貴女に一目で恋に落ちた私は、会うたびに強く思うのです」
なんと情熱的な言葉で口説いてくるのか・・・・前の生ではこんな事はなかった。というより、今世でも男性に口説かれることなどなかったクロエは、傍から見れば可哀想なほど真っ赤で今にも泣きそうである。
「意気地の無い私は、隠れて何時も貴女に会いに行っていました。本当は堂々と会いたかったのですが・・・・」
「え?私に会いに来てくださっていたのですか?」
「『花の都』へ」
クロエは目をまん丸に見開き、全てを知る。
「っ!!おばあさま!」
これまで祖父母は勿論、自分が死ぬことのない運命を目指して生きてきた。災いの元凶がリージェ国と帝国だった為、まずはリージェ国から帝国を守り、そして第二の帝国をつくらないよう祖母ルナティアとシェルーラ国王ルドルフが長い年月をかけ、他国と強固な絆を築いてきたのだ。
自分としては天寿を全うしたい、ただそれだけの為だったのだが。なのに、祖母は自分の知らない所で色んな事を画策していたと言うのか。
呆然とするクロエにイサークはこれまでの経緯を話した。
本当は話さなくても良い事なのかもしれない。だが、クロエが今だ前の人生の自分を見ている事が、我慢できなかったから。
―――此処に居る自分を見て欲しい。
告白した事で、事態が今より悪くなるかもしれなとも思った。
これは自己満足だ。クロエの事など何一つ考えていない、自分の為だけの告白だ。
だとしても、言わずにはいられない。
「では、ジャスさんとイサさんって・・・イサーク様とジャスパー様だったのですか?」
「はい。働いている貴女が余りにも可愛らしくて、通わざるえませんでした」
またもクロエの顔に朱が走る。
この人は・・・恥かしげもなく何てことを言うの!?
『氷の皇帝』は何処に行ってしまったの??
悶絶するクロエ。それを蕩ける様な眼差しで見つめるイサーク。
甘ったるい雰囲気が充満し始めた室内。
だが、当然室内は二人きりではない。ジャスパーもいればケイトもいるし、ロイドもいる。
周りの者達は二人の良好な関係にほっと胸を撫で下ろすも、心の中では砂糖の様な甘ったるいセリフや雰囲気に、半分意識を飛ばしはじめていた。
人とは此処まで変われるものなのか・・・と、感心しながら。
そんな中、クロエが正気に戻り恥ずかしそうにケイトに問う。
「もしかして、ケイト達も知っていたの?」
これまでの流れで帝国に嫁ぐと決まった時に、彼女等は反対していなかった。
「申し訳ありません。ルナティア様よりお聞きしており、初めから知っておりました」
目覚めたあの日から全てが始まっていたのか・・・
自分達の事だけでも大変だったのに、おばあ様ってば・・・
クロエは握られたままのイサークの手に、自分の手を重ねただ一言、
「ありがとうございます」
心のままに言葉を紡いだ。
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